昨日は二俣川から鶴ヶ峰駅まで歩きました。
途中聴いた曲は、1865年生まれのニールセンの作品である。
彼の略歴については以前触れたので省略する。
交響曲第5番作品50は、1921年から1922年にかけて作曲された。
聴いたCDはオーレ・シュミット指揮、ロンドン交響楽団の演奏による。
第一楽章は、大きく二つの部分からなる。
テンポ・ジュストの第一部では最初弦楽器がトレモロで、
揺れる風のように幻想的な音楽を奏していく。
これにファゴットやホルンなど管楽器が、彩りを加えていく。
やがてもう一つの動機が現れもするが、
ここまでは平和でのどかな北欧の自然の情景が描かれる。
しばらくすると小太鼓が、行進曲風なリズムで叩き、
ティンパニが決然とした感じで二音を叩き、弦楽器も入り、
緊張感と悲愴感を漂わせ、戦争の影を感じさせる。
やがて第二部アダージョのところとなり、
これまでの悲惨さを優しく慰めるような主題が弦楽器に現れる。
そしてそれを邪魔するかのように木管楽器が絡んでいき、
再び小太鼓が鳴り響き、激しい戦闘の様子が描写され、
盛り上がりをみせて、クライマックスを迎える。
クラリネットが終わりを告げるかのような旋律を歌い、
最後は静かに何もなかったかのように静かに終わる。
第二楽章は、4つの部分から成っている。
第一部のアレグロは、勇ましく緊張感を持った旋律が、
オーケストラ全体でダイナミックに奏されていく。
第二部プレストは、スケルツォ風の部分で、
悪魔のように荒々しい舞踏がフーガ風に展開される。
激しい中クライマックスを迎えるとフルートが入り、
次の第三部アンダンテ・ウン・ポーコ・トランクィロとなる。
ここは第一部の主題がやさしい感じで奏されていく。
平和を求める願いが込められているかのように、
繰り返されながら、盛りあがりをみせたところで、
第四部アレグロに入り、新たな主題を奏すが、
これを中心に音楽はやがてテンポをあげて、
激しく、荒々しくなり、最後のクライマックスを築いて、
高らかに金管楽器が旋律を奏でて堂々と終わる。
それにしてもシュミット盤による交響曲第5番は、
録音が古いものの、やはりいつ聴いても名演奏だと思う。
途中聴いた曲は、1865年生まれのニールセンの作品である。
彼の略歴については以前触れたので省略する。
交響曲第5番作品50は、1921年から1922年にかけて作曲された。
聴いたCDはオーレ・シュミット指揮、ロンドン交響楽団の演奏による。
第一楽章は、大きく二つの部分からなる。
テンポ・ジュストの第一部では最初弦楽器がトレモロで、
揺れる風のように幻想的な音楽を奏していく。
これにファゴットやホルンなど管楽器が、彩りを加えていく。
やがてもう一つの動機が現れもするが、
ここまでは平和でのどかな北欧の自然の情景が描かれる。
しばらくすると小太鼓が、行進曲風なリズムで叩き、
ティンパニが決然とした感じで二音を叩き、弦楽器も入り、
緊張感と悲愴感を漂わせ、戦争の影を感じさせる。
やがて第二部アダージョのところとなり、
これまでの悲惨さを優しく慰めるような主題が弦楽器に現れる。
そしてそれを邪魔するかのように木管楽器が絡んでいき、
再び小太鼓が鳴り響き、激しい戦闘の様子が描写され、
盛り上がりをみせて、クライマックスを迎える。
クラリネットが終わりを告げるかのような旋律を歌い、
最後は静かに何もなかったかのように静かに終わる。
第二楽章は、4つの部分から成っている。
第一部のアレグロは、勇ましく緊張感を持った旋律が、
オーケストラ全体でダイナミックに奏されていく。
第二部プレストは、スケルツォ風の部分で、
悪魔のように荒々しい舞踏がフーガ風に展開される。
激しい中クライマックスを迎えるとフルートが入り、
次の第三部アンダンテ・ウン・ポーコ・トランクィロとなる。
ここは第一部の主題がやさしい感じで奏されていく。
平和を求める願いが込められているかのように、
繰り返されながら、盛りあがりをみせたところで、
第四部アレグロに入り、新たな主題を奏すが、
これを中心に音楽はやがてテンポをあげて、
激しく、荒々しくなり、最後のクライマックスを築いて、
高らかに金管楽器が旋律を奏でて堂々と終わる。
それにしてもシュミット盤による交響曲第5番は、
録音が古いものの、やはりいつ聴いても名演奏だと思う。