昨日は二俣川から西谷駅まで歩きました。
途中聴いたのは1909年生まれのホルンボーの作品。
彼の略歴については以前交響曲編で触れたので省略する。
交響曲第10番作品105は1970年から1971年の間に作曲され、
翌1972年1月27日にシクステン・エールリンク指揮、
デトロイト交響楽団によって初演された。
その後若干修正を入れた改訂版が作られ、
同年9月7日に、デンマーク国立放送交響楽団により
ブロムシュテット指揮の下、デンマークにおける初演がなされた。
この作品はウォルト・ホイットマン著の『草の葉』の詩集の中の、
「幻影たち(Eidolons)」と関係しているようだ。
聴いたCDはオウェイン・アーウェル・ヒューズ指揮、
オーフス交響楽団の演奏によるものである。
第一楽章ポコ・ソスティナート-アレグロ・エスパンシーヴォは
冒頭で打楽器の強烈な一音に始まり、フルートなど管楽器が入り、
弦楽器も入り、ややシリアスな感じで音楽が始まる。
この部分は何回か繰り返され、やがて弦楽器中心に
速く躍動的な旋律が奏されるようになり、
これに金管楽器や打楽器が絡んでいく。
そして管楽器にはやさしく牧歌風の旋律が現れ、
それが終わると打楽器と金管楽器による荒々しい音楽になり、
盛り上がりを見せながら、小太鼓の音と共に激しく終わる。
第二楽章アンダンテ・アッフェットゥオーソは、
弦楽合奏によるユニゾンの旋律に始まり、
それに金管楽器が加わって、絡んでいく。
色んな楽器による旋律の重なりあう部分や、
打楽器と木管楽器の扱い方については、
ニールセンからの影響を感じさせる。
激しく盛りあがりをみせてクライマックスを築いたあとは、
弦楽器と木管楽器によるおだやかな音楽になり、静かに終わる。
第三楽章アレグロ・コン・フォルツァは、
木管楽器中心に一定の音型が繰り返され、それを弦楽器が引き継ぎ、
やがては金管楽器や打楽器が加わり、荒々しくなる。
いったん静まってからは、弦楽器中心に静かに曲は進行していくが、
再び管楽器が加わり、激しい部分と幻想的な部分を見せながら、
打楽器と金管楽器によりクライマックスを築き、
最後は弦楽合奏だけが残り、静かに終わる。
途中聴いたのは1909年生まれのホルンボーの作品。
彼の略歴については以前交響曲編で触れたので省略する。
交響曲第10番作品105は1970年から1971年の間に作曲され、
翌1972年1月27日にシクステン・エールリンク指揮、
デトロイト交響楽団によって初演された。
その後若干修正を入れた改訂版が作られ、
同年9月7日に、デンマーク国立放送交響楽団により
ブロムシュテット指揮の下、デンマークにおける初演がなされた。
この作品はウォルト・ホイットマン著の『草の葉』の詩集の中の、
「幻影たち(Eidolons)」と関係しているようだ。
聴いたCDはオウェイン・アーウェル・ヒューズ指揮、
オーフス交響楽団の演奏によるものである。
第一楽章ポコ・ソスティナート-アレグロ・エスパンシーヴォは
冒頭で打楽器の強烈な一音に始まり、フルートなど管楽器が入り、
弦楽器も入り、ややシリアスな感じで音楽が始まる。
この部分は何回か繰り返され、やがて弦楽器中心に
速く躍動的な旋律が奏されるようになり、
これに金管楽器や打楽器が絡んでいく。
そして管楽器にはやさしく牧歌風の旋律が現れ、
それが終わると打楽器と金管楽器による荒々しい音楽になり、
盛り上がりを見せながら、小太鼓の音と共に激しく終わる。
第二楽章アンダンテ・アッフェットゥオーソは、
弦楽合奏によるユニゾンの旋律に始まり、
それに金管楽器が加わって、絡んでいく。
色んな楽器による旋律の重なりあう部分や、
打楽器と木管楽器の扱い方については、
ニールセンからの影響を感じさせる。
激しく盛りあがりをみせてクライマックスを築いたあとは、
弦楽器と木管楽器によるおだやかな音楽になり、静かに終わる。
第三楽章アレグロ・コン・フォルツァは、
木管楽器中心に一定の音型が繰り返され、それを弦楽器が引き継ぎ、
やがては金管楽器や打楽器が加わり、荒々しくなる。
いったん静まってからは、弦楽器中心に静かに曲は進行していくが、
再び管楽器が加わり、激しい部分と幻想的な部分を見せながら、
打楽器と金管楽器によりクライマックスを築き、
最後は弦楽合奏だけが残り、静かに終わる。