昨日は、西谷から二俣川まで歩く。
二日間長い距離を歩いたので、短い距離にしたが、
昨日の天候は、ウォーキングにはもってこいの涼しさで、
本来ならば、もう少し歩きたいところだが、
無理はしないことにした。
途中聴いた曲は、1930年東京生まれの武満徹の作品。
彼は作曲を清瀬保ニに師事するが、基本的には独学であった。
東京藝術大学の受験には失敗している。
1950年代から作品を世に発表していくが、
彼の作品が認められるのは、日本ではなく海外であった。
弦楽のためのレクイエムは、1957年に作曲された作品。
この曲は亡き早坂文雄に捧げられた作品で、
レクイエムの形式ではなく、緩急緩の3部形式からなっている。
作品は、死を予感させるような厳しさを感じるもので、
彼の心の叫びを表現しているようでもある。
ノヴェンバー・ステップスは1967年に作曲された。
ここで重要な役目を果たす日本の楽器が、尺八と琵琶である。
この曲は彼の名を世界に広めた作品であり、
尺八や琵琶による音楽表現の多様さや、
高度な奏法の無限さを伝えていると思う。
聴いた印象は、一言でいうならば「幽玄」の世界。
まさに「幽玄」という日本独特の美の世界を
音楽に表現して成功したのは彼しかいないだろう。
ここでは、音楽は縦軸の音階の世界を自由自在に動き、
横軸のリズム・テンポの世界をも自由自在に動き回り、
さらにはZ軸の楽器の無限の奏法という世界をも自由に動く。
従来の音楽の二次元的な世界ではなく、
三次元的な世界の中で音楽が表現されている。
ちょっと私見の入った無責任な表現かもしれないが、
私が聴いて感覚的に感じたことはそんなことであった。
それにしても尺八を演奏する横山勝也さんの演奏は凄い。
「遠い呼び声の彼方へ!」 は、1980年代の作品。
ここで感じたのは、ウェーベルンやベルクの影。
もちろん、「タケミツ・トーン」であることには違いないが、
なぜか、新ヴィーン学派の影を感じてしまうのは私だけか?
ヴァイオリンが奏でる乾いた荒涼とした音楽の世界の中で、
曲は絶えずエネルギーの収束と発散を繰り返していく。
ヴィジョンズは、1989年の作品である。
フランス画家オディロン・ルドンの作品から受けた印象を、
音楽に表現し、曲は「神秘」と「閉じた眼」からなる。
どこか知らないおそらく宇宙空間のような世界に
聴き手の私は導かれ、取り残される。
でも彼(武満)は一体どこにいったのか?
彼はどこに向かおうとしているのか?
既に亡くなってしまった武満徹氏だが、
曲を聴き終わったあと、私が感じるのは、
今でもどこかへ向かおうとしている武満の音楽の影である。
今回で日本の管弦楽曲についての紹介は終わりにしたい。
東アジアの中国や韓国の管弦楽曲についても、
ここで触れたいところだが、別の機会で紹介したい。
なお、今回の管弦楽曲日本編に関するCDの情報は、
私のHPの以下のアドレスに載せてあります。
http://www1.ocn.ne.jp/~bocchi07/ongaku-kenkyu.html
参考にしていただければ幸いです。
二日間長い距離を歩いたので、短い距離にしたが、
昨日の天候は、ウォーキングにはもってこいの涼しさで、
本来ならば、もう少し歩きたいところだが、
無理はしないことにした。
途中聴いた曲は、1930年東京生まれの武満徹の作品。
彼は作曲を清瀬保ニに師事するが、基本的には独学であった。
東京藝術大学の受験には失敗している。
1950年代から作品を世に発表していくが、
彼の作品が認められるのは、日本ではなく海外であった。
弦楽のためのレクイエムは、1957年に作曲された作品。
この曲は亡き早坂文雄に捧げられた作品で、
レクイエムの形式ではなく、緩急緩の3部形式からなっている。
作品は、死を予感させるような厳しさを感じるもので、
彼の心の叫びを表現しているようでもある。
ノヴェンバー・ステップスは1967年に作曲された。
ここで重要な役目を果たす日本の楽器が、尺八と琵琶である。
この曲は彼の名を世界に広めた作品であり、
尺八や琵琶による音楽表現の多様さや、
高度な奏法の無限さを伝えていると思う。
聴いた印象は、一言でいうならば「幽玄」の世界。
まさに「幽玄」という日本独特の美の世界を
音楽に表現して成功したのは彼しかいないだろう。
ここでは、音楽は縦軸の音階の世界を自由自在に動き、
横軸のリズム・テンポの世界をも自由自在に動き回り、
さらにはZ軸の楽器の無限の奏法という世界をも自由に動く。
従来の音楽の二次元的な世界ではなく、
三次元的な世界の中で音楽が表現されている。
ちょっと私見の入った無責任な表現かもしれないが、
私が聴いて感覚的に感じたことはそんなことであった。
それにしても尺八を演奏する横山勝也さんの演奏は凄い。
「遠い呼び声の彼方へ!」 は、1980年代の作品。
ここで感じたのは、ウェーベルンやベルクの影。
もちろん、「タケミツ・トーン」であることには違いないが、
なぜか、新ヴィーン学派の影を感じてしまうのは私だけか?
ヴァイオリンが奏でる乾いた荒涼とした音楽の世界の中で、
曲は絶えずエネルギーの収束と発散を繰り返していく。
ヴィジョンズは、1989年の作品である。
フランス画家オディロン・ルドンの作品から受けた印象を、
音楽に表現し、曲は「神秘」と「閉じた眼」からなる。
どこか知らないおそらく宇宙空間のような世界に
聴き手の私は導かれ、取り残される。
でも彼(武満)は一体どこにいったのか?
彼はどこに向かおうとしているのか?
既に亡くなってしまった武満徹氏だが、
曲を聴き終わったあと、私が感じるのは、
今でもどこかへ向かおうとしている武満の音楽の影である。
今回で日本の管弦楽曲についての紹介は終わりにしたい。
東アジアの中国や韓国の管弦楽曲についても、
ここで触れたいところだが、別の機会で紹介したい。
なお、今回の管弦楽曲日本編に関するCDの情報は、
私のHPの以下のアドレスに載せてあります。
http://www1.ocn.ne.jp/~bocchi07/ongaku-kenkyu.html
参考にしていただければ幸いです。