Mars&Jupiter

おおくぼっちの屋根裏部屋へようこそ!

武満徹のノヴェンバー・ステップスを聴きながら、西谷から二俣川まで歩く

2007-09-25 12:01:59 | 古典~現代音楽日本編
昨日は、西谷から二俣川まで歩く。
二日間長い距離を歩いたので、短い距離にしたが、
昨日の天候は、ウォーキングにはもってこいの涼しさで、
本来ならば、もう少し歩きたいところだが、
無理はしないことにした。

途中聴いた曲は、1930年東京生まれの武満徹の作品。
彼は作曲を清瀬保ニに師事するが、基本的には独学であった。
東京藝術大学の受験には失敗している。
1950年代から作品を世に発表していくが、
彼の作品が認められるのは、日本ではなく海外であった。

弦楽のためのレクイエムは、1957年に作曲された作品。
この曲は亡き早坂文雄に捧げられた作品で、
レクイエムの形式ではなく、緩急緩の3部形式からなっている。
作品は、死を予感させるような厳しさを感じるもので、
彼の心の叫びを表現しているようでもある。

ノヴェンバー・ステップスは1967年に作曲された。
ここで重要な役目を果たす日本の楽器が、尺八と琵琶である。
この曲は彼の名を世界に広めた作品であり、
尺八や琵琶による音楽表現の多様さや、
高度な奏法の無限さを伝えていると思う。
聴いた印象は、一言でいうならば「幽玄」の世界。
まさに「幽玄」という日本独特の美の世界を
音楽に表現して成功したのは彼しかいないだろう。
ここでは、音楽は縦軸の音階の世界を自由自在に動き、
横軸のリズム・テンポの世界をも自由自在に動き回り、
さらにはZ軸の楽器の無限の奏法という世界をも自由に動く。
従来の音楽の二次元的な世界ではなく、
三次元的な世界の中で音楽が表現されている。
ちょっと私見の入った無責任な表現かもしれないが、
私が聴いて感覚的に感じたことはそんなことであった。
それにしても尺八を演奏する横山勝也さんの演奏は凄い。

「遠い呼び声の彼方へ!」 は、1980年代の作品。
ここで感じたのは、ウェーベルンやベルクの影。
もちろん、「タケミツ・トーン」であることには違いないが、
なぜか、新ヴィーン学派の影を感じてしまうのは私だけか?
ヴァイオリンが奏でる乾いた荒涼とした音楽の世界の中で、
曲は絶えずエネルギーの収束と発散を繰り返していく。

ヴィジョンズは、1989年の作品である。
フランス画家オディロン・ルドンの作品から受けた印象を、
音楽に表現し、曲は「神秘」と「閉じた眼」からなる。
どこか知らないおそらく宇宙空間のような世界に
聴き手の私は導かれ、取り残される。
でも彼(武満)は一体どこにいったのか?
彼はどこに向かおうとしているのか?
既に亡くなってしまった武満徹氏だが、
曲を聴き終わったあと、私が感じるのは、
今でもどこかへ向かおうとしている武満の音楽の影である。

今回で日本の管弦楽曲についての紹介は終わりにしたい。
東アジアの中国や韓国の管弦楽曲についても、
ここで触れたいところだが、別の機会で紹介したい。
なお、今回の管弦楽曲日本編に関するCDの情報は、
私のHPの以下のアドレスに載せてあります。
http://www1.ocn.ne.jp/~bocchi07/ongaku-kenkyu.html
参考にしていただければ幸いです。
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須賀田礒太郎の交響的序曲、西谷から川崎まで、たけくまの試飲会

2007-09-24 11:38:55 | 古典~現代音楽日本編
昨日は、西谷から川崎市幸区まで歩く。
川崎のたけくま酒屋の試飲会に行くために、
昨日とはルートを変えて、国道一号線ではなく、
西谷から新横浜に出て環状2号線を川崎方面に向かい、
末吉橋を渡ってから矢向の駅を通過し、神明町まで行った。
途中余り迷うことはなく、3時間ほどで着いた。
昨日とは違い、少し涼しかったので歩きやすかった。
たけくま酒店2Fで行われる試飲会へ行き、
様々な日本酒の利き酒をするが、ここで感じたことは、
色々飲むと舌の感覚も微妙に揺れてくるということ。
感覚とそれに基づく評価は時や状況により、人それぞれ違うので、
結局はその時自分がうまいと思ったものを
選ぶしかないかなということ。

店で買ったのは、「尾瀬の雪どけ」の純米吟醸原酒と、
「夜明け前」の純米吟醸のひやおろしの日本酒2本と、
そして宮崎の麦焼酎「麦麦旭万年」の1本である。
「尾瀬の雪どけ」はくせのない辛口の日本酒。
「麦麦旭万年」は一般的な麦焼酎とは違い、
麦の香りのする個性の焼酎である。
「夜明け前」は個人的に好きな酒である。

途中聴いた曲は、1907年横浜生まれの須賀田礒太郎の作品。
若い頃から結核を患っていたこともあって、
関東学院の中学を中退したあとは、個人レッスンを受けながら、
作曲法を最初は山田耕作と信時潔に学び、
1931年からは菅原明朗の弟子になった。
1930年代後半からコンクールで自分の作品を応募し、
入選することで、彼の名声は高まっていった。

「交響的序曲作品6」は1939年に作曲された。
1940年の皇紀2600年の奉祝曲として考えられた。
曲はCDの解説にもあるようにヒンデミット風に書かれ、
重厚な感じで始まる音楽は、主題を展開しながら、
いかにもドイツ音楽的な構築性をもっている。
8分以降の曲調が変わり、アレグロの部分は、
ヒンデミットの交響曲「画家マチス」の第1楽章の
主題をもとにフーガ的に展開していく。
最後は壮大に、そして華やかに終わるが、
主題をヒンデミットからとってくるあたりなど考えると、
習作的な感じがしなくもない。
(著作権の問題はどうなっているのかなあ?)

「双龍交遊之舞」は、同じく皇紀2600年の奉祝曲として、
1940年に作曲されたが、うってかわって日本的である。
雅楽の舞の様式「序」「破」「急」の3つで構成される曲の
「序」の最初は、フランス音楽かと思わせるが、
そのあと雅楽の「納曽利」を基とした主題を奏で、
しかしその後西洋的な音楽となり、和洋折衷の趣をなす。
「序」で提示された「破」でも引き継がれるが、
ゆったりとした雅楽風の部分が、変奏しつつ繰り返される。
「急」も「序」と同じ主題をフルートが吹き、軽快に始まる。
2分半前後にファゴットが繰り返す下降する音型などは、
ストラヴィンスキーの交響詩「うぐいすの歌」から
明らかに影響を受けているという印象を受ける。
曲は主題を中心に壮大なクライマックスを迎え、
最後は意外にあっさりした終わり方で曲を閉じる。

バレエ音楽「生命の律動」は1950年に作曲された。
3つの曲によって構成されるが、第1曲の冒頭からして
ストラヴィンスキーのバレエ音楽からの影響は濃厚である。
最初の方は「春の祭典」第2部の「序奏」から、
「乙女たちの神秘的な集い」の部分にとても似ているし、
途中も「ペトルーシュカ」「火の鳥」からの引用を感じさせる。
第2曲は「春の祭典」の「祖先の儀式」や
「ペトルーシュカ」の第4場を思わせ、
いたるところでストラヴィンスキーの音楽になっており、
いったいどうなっているんだという感じである。
第3曲のゆっくりとした冒頭の部分で、
やっと日本らしい部分が出てくる。
そのあと曲は荒々しい音楽へと変わっていく。
後半は東洋的な旋律をもとに展開していくが、
(これも交響詩「うぐいすの歌」を想起させる)
曲は最後不協和音の中、あっけなく感じで終わる。
作曲者の創作に対する迷いを感じさせる曲である。

「東洋の舞姫」は、1941年の作品である。
東洋的で親しみやすく、今までの曲調とは違い、
明らかにロシアの国民学派風の音楽である。
イッポリトフ=イヴァノフなどを想起させ、
「コーカサスの風景」のようなエキゾティックな曲である。

それにしても須賀田礒太郎は色々な西洋の作曲家の影響を
ある意味そのまま吸収しようとしているところがあり、
彼の実像を掴むことがなかなかできず、評価は難しい。
私がこの中から感覚的にいいと思うのを選ぶとしたら、
迷うことなく今は「双龍交遊之舞」だろうな。
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大栗裕の「大阪俗謡による幻想曲」を聴きながら横浜から川崎まで歩く

2007-09-23 06:40:24 | 古典~現代音楽日本編
昨日は、横浜駅から川崎市幸区まで歩く。
国道一号線をずっと歩いていったのだが、
昼の暑さは予想以上で、日焼けをしてしまった。
やはり、まだこの時期は昼間にウォーキングは厳しい。
今日は川崎にある酒屋たけくまの試飲会の日だと思っていったら、
酒屋に着いたところ、店の人に試飲会は明日からだと知らされ、
軽いショックを受ける。ここまで歩いてきたのに残念である。

途中聴いた曲は、1918年大阪生まれの大栗裕の作品。
彼はホルン奏者として活躍し、作曲の方は独学のようだ。
1950年代から、オペラや管弦楽曲を発表し、
注目されるようになり、その作風は「東洋のバルトーク」、
「浪速のバルトーク」、「日本のハチャトリアン」と称されるようだ。

「大阪俗謡による幻想曲」は1955年に作曲され、
ベルリン・フィルハーモニーでも演奏されたらしい。
冒頭のあやしく始まる音楽は、いかにも日本的である。
吹奏楽曲を多く残していることもあってか、
打楽器や金管楽器が活躍し、なかなか軽快な曲である。
「東洋のバルトーク」と称されるのも、うなづけるように、
曲の作り方は、民族的な旋律を使いながらも、
ダイナミックで現代的な響きを持ちつつ、
強烈なリズムの扱いが、印象的である。
中間部のオーボエやフルートのソロは叙情的である。
その後曲は徐々に荒々しさを取り戻し、
最後は大阪の俗謡が再び登場し、華々しく終わる。

「管弦楽のための神話」は、天の岩屋戸の物語に基づいた曲で、
1973年に吹奏楽用に作曲されたものを、
1977年に管弦楽版に編曲したものである。
ゆったりと始まる音楽は、次第に勢いを増していき、
打楽器が原始的な感じを想起させるリズムを叩く。
そこあと続く、金管楽器が中心に刻む旋律は、
バーンスタインの、交響曲第1番「エレミア」を思い出させる。
中間部のフルート・ソロはあやしい神話の世界をかもしだす。
そのあと弦楽器や木管楽器を中心に神秘的な世界が表現される。
曲はやがてまた金管楽器を中心に、
再びバーンスタインぽい荒々しい旋律が戻ってくる。
そして最後はうねるような壮大な音楽となり、終わる。

「大阪のわらべうたによる狂詩曲」は、1979年の作品。
最初のファンファーレ風の音楽に始まり、
2回目のファンファーレ風の音楽のあと、
わらべうたが登場するが、その主題の扱いはバルトーク的である。
この曲を聴くと、「浪速のバルトーク」というのもわかる。
そのあとは、叙情的な雰囲気でわらべうたの旋律が扱われる。
最後は打楽器と金管楽器を中心に、
華々しいクライマックスを迎えて終わる。
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橋本國彦の「天女と漁夫」を聴きながら希望が丘から西谷まで歩く

2007-09-22 05:58:50 | 古典~現代音楽日本編
昨日は、希望が丘から西谷まで歩きました。
途中聴いた曲は、1904年東京生まれの橋本國彦の作品。
CDの解説によると、幼少時代父の転勤で大阪に移り、
幼い頃から西洋音楽に親しみ、
中学時代にはヴァイオリンを学んだ。
やがて、作曲家を志すようになり、
1923年に東京音楽学校(現東京藝術大学)に入学した。
しかし、その当時学校には作曲科がなかったので、
ヴァイオリンを専攻し、作曲についてはほとんど独学だった。

1920年代後半には歌曲の作曲に取り組み、
ドビュッシーやラヴェルに影響を受けた作品だけでなく、
シェーンベルクの影響を受けた歌曲も残しており、
映画主題歌やCMソング、歌謡曲など、
クラシックの分野にとどまらない活動をした。
ヴァイオリニストとしては1934年までリサイタル、
レコーディング活動を行ったようで、その弟子の一人に
指揮者として大成した朝比奈隆がいる。
1934年から1937年には欧州に留学し、
この時にベルクの「ヴォツェック」を観て、
強い衝撃を受け、帰国前に彼から教えを受けたようだ。

交響組曲「天女と漁夫」はヨーロッパに留学する前の作品で、
日本舞踏家の依頼で作曲され、1932年に初演されている。
後に彼はそれを演奏会用の音楽として交響組曲にまとめた。
曲は「羽衣伝説」に基づく作品で、ラヴェルなどを思わせ、
「序奏」のけだるい感じからして、印象派音楽的である。
「漁夫の主題」をフルートが吹く「黎明」も魅力的で、
「漁夫たちの踊り」は、旋律は日本的でありながら、
その曲の明るい感じは、全くもってフランス的なのだ。
最初に出てきた「漁夫の主題」が、何度も繰り返される。
「漁夫の独舞」は、ファゴット・ソロがフルートなどと絡み、
おどけた感じを出しており、次の「漁夫と天女の踊り」でも、
その感じを残しながら、踊りの音楽はしゃれた感じでもある。
時々「漁夫の主題」が現れ、
曲は二つの主題で盛り上がっていく。
日本的な情緒的な部分も顔を出し、
ヴァイオリン・ソロによって始まる「天女の舞」に続く。
天女の舞に漁夫は魅せられ、羽衣を返すシーンになる。
「天女の舞」の主題は終曲「天女の昇天」で、
クライマックスにふさわしい壮大な音楽となり、
華やかに曲を終わる。

大戦中、時局にあった愛国主義を掲げた作品を書いた彼は、
敗戦後、そのことの責任を取り、
それまで教鞭をとっていた母校の職を辞したらしい。
そして、懺悔の気持ちから作品も書いたようである。
このような作曲家がいて、
次世代の作曲家たちの活躍があるのだなあと思う。
彼の門下には、中田喜直、団伊玖磨、芥川也寸志、
そして黛敏郎など有名な作曲家たちが名を連ねている。
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芥川也寸志のオーケストラのためのラプソディを聴きながら横浜から星川まで歩く

2007-09-21 05:45:47 | 古典~現代音楽日本編
昨日は、横浜駅から星川まで歩きました。
途中聴いた曲は、芥川のオーケストラのためのラプソディ。
芥川也寸志は1925年東京生まれで、
芥川龍之介の三男として育った。
東京高等師範学校(現筑波大学)の
付属中学にいた時に、作曲家を志すようになり、
その後東京音楽学校(現東京藝術大学)に進み、
その時に橋本國彦に師事した。
その後伊福部にも師事している。

オーケストラのためのラプソディーは1971年に作曲されている。
冒頭の荒々しい感じはプロコフィエフの
スキタイ組曲(アラとロリー)を想起させる。
そのうち登場する執拗に繰り返される音楽は印象的だ。
東洋的な雰囲気をかもし出しながら、曲は展開されていく。
フルート・ソロが中間部で吹く旋律もエキゾティックである。
曲自体は日本的というよりは、ロシア音楽的な感じがする。
何度も一つの音型を繰り返すオスティナートの技法を使い、
徐々に壮大な音楽になって、終わる。

今まで聴いていた管弦楽曲には、
旋律からして日本音楽的なものが多いが、
この作品は、それに比べ西洋的な感じがする。
とはいえ、個性的な音楽を作り上げている気がする。
日本人の作曲家の音楽の世界は深く、様々だ。
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