Mars&Jupiter

おおくぼっちの屋根裏部屋へようこそ!

鶴ヶ峰から二俣川までオルフの「カルミナ・ブラーナ」を聴きながら歩く

2007-11-20 07:02:24 | カール・オルフの作品
風邪が治ったようで治っていない。
昨日はそこで無理をしないで、
鶴ヶ峰駅から二俣川まで歩きました。
今回もオルフの「カルミナ・ブラーナ」について。

昨日歩く途中聴いたCDの演奏は、
ケーゲル指揮、ライプチヒ放送交響楽団のものだ。
ケーゲルは2回録音をしているが、
聴いたのは1960年録音の旧盤である。
録音は1960年にしては良く、
フルートなど木管楽器の演奏がいい。
「おお、運命の女神よ(O Fortuna)」では、
オスティナートで繰り返される、
リズムが様々な楽器に引き継がれていくのが、
よくわかり、軽快な演奏である。
新盤の1974年録音の方が録音の良さとともに
その部分さらに徹底されている感じはするが、
勢いとか躍動感というところでは旧盤の方がいい。

第1部の「初春に(PRIMO VERE)」は、
「春の愉しい面ざしが(Veris leta facies)」が、
おごそかで古代的な世界を表現しているようでいい、
それでいて訪れた春を賛美する中世の人々の気持ちが、
歌詞と音楽がうまく表現している。
高校時代にこの音楽を初めて聴いたのだが、
信州の冬も長く、雪の積もった風景の中、
早く春が来ないかと待ちわびる自分の気持ちは、
その春の到来を喜ぶヨーロッパ中世の人々の世界を
とても身近なものに感じさせてくれたのである。
そもそも発見された「カルミナ・ブラーナ」自体、
その詩全体に占める春にまつわる内容の詩は多い。
中世の人々にとって春という季節が、
大切な意味を持っていたということだろう。

「見よ、今や楽しい(Ecce gratum)」も、
厳しい冬からあこがれた春の到来を喜ぶ作品である。
オルフの音楽も、歯切れのいい音楽とともに、
春の到来を喜ぶ人々の姿を表現している。

「小間物屋さん、色紅を下さい
(Chramer gip die varwe mir)」は、
中高ドイツ語で書かれた作品だ。
「カルミナ・ブラーナ」の詩はたいてい、
ラテン語で書かれたものが多いのだが、
中には中高ドイツ語で書かれたものが多い。

高校時代、クレマンシックが中世楽器で再現した
「カルミナ・ブラーナ」のレコードが当時発売され、
それを買って、比較して聴いてみたことがあった。
オルフの音楽とはまったく違うのでおもしろかった。
ルネ・クレマンシックの独自の解釈ということもあり、
少しアラブ風な感じで異国的なこの曲は、
オルフの「カルミナ・ブラーナ」だけでなく、
そもそもの「カルミナ・ブラーナ」の世界へと
私を誘ってくれ、視野を広げてくれた。

また中高ドイツ語で書かれた二つの詩、
[おいで、おいで、私の友だち(Chume,chum,geselle min)」、
「たとえこの世界がみな(Were diu werlt alle min)」も
合唱と管弦楽の絡み合いがよく、かっこいいのである。
「カルミナ・ブラーナ」の世界はまだまだ深いのである。
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カール・オルフの「カルミナ・ブラーナ」を聴きながら横浜から和田町まで歩く

2007-11-19 07:07:48 | カール・オルフの作品
まだまだ風邪が治らないけれど、
昨日は横浜から和田町駅まで歩きました。
今回からは合唱曲・声楽曲をとりあげる。
まずはカール・オルフの作品を特集したい。
代表作「カルミナ・ブラーナ」について
4回にわたってとりあげてみたい。

1895年ミュンヘンで生まれたオルフは、
ミュンヘン音楽学校で学び、劇場の指揮や
合唱の指揮などで活躍し、教師としても活動した。
1937年初演された「カルミナ・ブラーナ」の大成功で、
ドイツ各地で上演されるようになり、
世界的にも知られるようになった。
今や数多くの録音されたCDが存在するように、
管弦楽付きの合唱曲として人気の作品となっている。

数あるCDのうち昨日聴いたCDの演奏は、
アイヒホルン指揮、ミュンヘン放送管弦楽団のものだ。
録音は1973年で古いのだが、金管楽器の演奏が素晴らしい。
「芝生の上で」の「踊り」の弾んだリズムがいい。
なお、インタビューに答えるカール・オルフの声も入っており、
「カルミナ・ブラーナ」をなぜ作曲したのかについて
その作曲の意図などについても知ることができる。

「カルミナ・ブラーナ」の最初の曲は、
「おお、運命の女神よ(O Fortuna)」は、
何といっても歌詞と音楽がいい。
バイエルンのベネディクト=ボイレン修道院で
発見された中世の詩集をもとにしたこの作品は、
最初に聴いた時から気に入ってしまったのである。
その時のレコードは、ストコフスキー指揮のものだった。

この「カルミナ・ブラーナ」のそもそもの詩集には、
いくつかのものに音符が付いていたため、
中世楽器でその音楽を再現したものがCDで出ている。
コーエン指揮、ボストン・カメラータ演奏のCDでは、
この「おお、運命の女神よ(O Fortuna)」が、
取り上げられているが、曲がつけられていないため、
その同時代の音楽の旋律を転用している。
だからこそ、この詩には、オルフの音楽の方があっている。
運命の女神がふざけたような気持ちで、
人々の人生を踏みにじり、一瞬に貧しくし、
時には権力をも一瞬に消させるという運命の女神の
いたずらのような行為への人々の嘆きは、
聴き手に強烈な印象を与えるだろう。

「運命の女神の痛手を(Fortuna plange vulnera)」は、
軽快なテンポで展開されるいい曲であるが、
やはり運命の女神が回す車輪が、過去の栄光を奪い、
冷たい仕打ちを加えるさまを描いている。
中世のヨーロッパの人々の人生観を、
この詩の中でみることができる気がする。
そんなこといったら現代社会だって、
運命の女神のいたずらはどこにでもある。
景気変動の激しい時代の中で、一喜一憂するうちに
自分の知らないうちに人々はすっかり運命の女神の力に
支配されているのかもしれないなあ。
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グスターヴ(グスタフ)・ホルストの「祈り」、「誘惑」、そして「1年の朝の踊り」

2007-11-18 05:50:58 | グスタフ・ホルストの交響曲・管弦楽曲
昨日も風邪が治らず、ウォーキングは休みました。
今回でイギリスの管弦楽編は終わりにする。
ホルストの管弦楽曲について3つあげよう。

「祈り」は1911年に作曲され、同年初演されている。
しかしこの曲も再演されたのが1983年になってからであり、
長い間忘れ去られた作品となっていた。
「祈り」というタイトルをなぜ彼がつけたかは、
わからないが関係するのはオペラ「シータ」である。
その第2幕に「夜明けへの祈り」というのがある。
そもそもこの「祈り」の原題は「夕方の歌」なので、
これは「夕陽への祈り」になるのだろうか?
そんな仮説みたいなものを解説では書いている。
明らかにこの曲は初期のロマン派的な音楽とは違う、
ホルストの新しい境地を示し始めた転換期の曲だろう。

「誘惑」は、シカゴの舞踏団に委嘱され1921年に作曲された。
第1次世界大戦の終わりにかけてのイギリスでは
様々な作曲家が、短いバレエ曲を作曲する活動があった。
一時期それは注目を浴びたが、長続きはしなかった。
その活動の最後の時期にあたるのがこの作品のようだ。

シナリオはアリス・バーニーによるもののようだ。
物語はこうだ。部屋の中にはろうそくの炎が灯っている。
その光は見事な輝きをみせており、
その光に魅せられ蛾が寄ってくる。
そこに「フォリア」という名の最も美しい蛾が現われる。
しかし、「フォリア」は炎の誘惑を無視する。
「フォリア」の美しさへの欲望に満たされた炎は、
「フォリア」を焼き尽くすまでその力を強めていく。

この作品は完成を急ごうとした余り、
この時代に書かれた他の作品に似た旋律などを使い、
類似したところが指摘できるようだ。
1926年にこの作品を上演してもらおうと働きかけたが、
失敗に終わった作品のようだ。
確かにシナリオ自体の内容をみるとインパクトがなく、
上演には難しい作品だったのかもしれない。

「1年の朝の踊り」は1926年から1927年の間に作曲された。
同じ作品番号にあたるのが「金のガチョウ」であり、
この2つは同じ時期に作曲され、全曲版も出ている。
今回聴いたのはその音楽の一部で、導入部に続き、
第1の踊りから第4の踊りまで続いていく。
イギリス民謡風の旋律は、親しみやすく、
いかにもホルストらしい軽快な音楽である。

なお、今回の管弦楽曲その他の地域編に関するCDの情報は、
私のHPの以下のアドレスに載せてあります。
http://www1.ocn.ne.jp/~bocchi07/ongaku-kenkyu.html
管弦楽曲イギリス編を参考にしていただければ幸いです。
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グスターヴ(グスタフ)・ホルストの「冬の牧歌」、交響詩「インドラ」、そして「夜の歌」

2007-11-17 09:02:45 | グスタフ・ホルストの交響曲・管弦楽曲
昨日は風邪を引いたこともあり、ウォーキングは休みました。
急にここ最近寒くなったこともあり、
体調を崩さないようにするには注意が必要だ。

イギリスの管弦楽曲のシリーズもあと2回で終わりにしたい。
そこで最後は1874年チェルトナムに生まれた作曲家、
グスタフ・ホルストのあまり聴かれない管弦楽曲の
いくつかを2回に分けて紹介し、終わりにしたい。
組曲「惑星」で一躍有名になったホルストだが、
そのことも影響してかもしれないが、
他の管弦楽曲は注目されず知られていないのが多い。

「冬の牧歌」は、彼が王立音楽大学に在学中の間に作曲され、
1897年に完成した彼の初期につくられた管弦楽曲だ。
ドイツ的な色彩が強く、ワグナー的かつブラームス的で
リヒャルト・シュトラウス的で、勇ましい感じの曲である。
彼の管弦楽曲の出発点をみることができる作品だ。
若々しさのあふれる曲で、ドイツ音楽に傾倒していた師
スタンフォードの影響もあるのだろうなと感じさせる。

哀歌(ウィリアム・モリスの思い出に)は、
1899年から1900年の間に書かれた交響曲、
「コッツウォルズ」の第2楽章にあたる。
初演は1902年4月24日にボーンマスで行われたらしいが、
その後この交響曲の存在自体は忘れ去られ、
1982年になってようやくこの楽章だけが再演された。
ドイツ風で重々しいこの曲は、痛々しい哀歌の感じを出している。

交響詩「インドラ」は1903年に完成している。
この時彼はドイツのベルリンにいたようだ。
古代インドのヒンドゥー教の神々に関する音楽は
彼の作品の中でも多い方であるが、ここで出てくる神について、
「インドラは古代ヒンドゥーの雨と嵐の神である」
と彼はスコアの中に書いた説明文の中に書いたようだが、
「リグ・ヴェーダの讃歌」ではこのインドラの神を
「嵐と戦闘の神」と記しているようである。
一般的にはインドラは軍神であり、
暴風雨など天候をつかさどる神である。
そのような荒々しさを持つ神の性質を描写し
壮大な感じを見事な管弦楽法で表現している。
ところどころでみられる音楽は組曲「惑星」の
「金星」などを思わせるところがあるだろう。

「夜の歌」は1905年に作曲されたが、
初演されたのは1984年になってからである。
イギリスの牧歌的な感じを出した小品である。
それに対して歌劇「シータ」第3幕からの間奏曲は、
ワグナー風の壮大な音楽から始まり
最後は牧歌風の静かな音楽で終わる曲である。
ホルストの管弦楽曲はまだまだ知られていない作品が
埋もれていうということである。
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マイケル・ティペット、オペラ「ニューイヤー」からの組曲を聴きながら、和田町から横浜まで歩く

2007-11-16 08:15:25 | 古典~現代音楽イギリス編
ティペットの「ニューイヤー」からの組曲を聴きながら
昨日は和田町駅から横浜まで歩いたのだが、
最初から聴き始めてすぐさま面食らったのは、
冒頭から聴こえてくる宇宙船が降り立つような音だ。
まるでSF映画をみているようでもある。
しかもエレキギター、サクソフォーンとドラムの演奏が、
その組曲の中では続き、最後は宇宙船が飛び立つ感じ。

実際組曲の中を見てみると
第1曲宇宙船は着陸する、第2曲前奏曲
第3曲シャーマンダンス、第4曲贖罪者のための狩り
第5曲ドニーのスカラデ、第6曲ドニーの夢
第7曲夢の間奏曲、第8曲ジョアンの夢の歌
第9曲ジョアンとプレグランのためのラブシーン
第10曲天国の踊り、第11曲贖罪者への合図
第12曲新しい年を迎えて
第13曲宇宙船は再び飛び立つ

オペラのあらすじなどを入手できないので、
これらの訳が正しいかどうかは自信がないが、
しかし13のエピソードからなるこの曲の内容は、
とてもSFぽいものに見えたりする。

1905年ロンドンで生まれたマイケル・ティペットは、
王立音楽大学で学び、その後指揮と教育活動に従事し、
オラトリオ「われらの時代の子」で注目されるようになった。

CDの英文で書かれた解説によると、
オペラ「ニューイヤー」はヒューストン・グランドオペラと、
グリンデボーン祝祭オペラの双方からの委嘱を受け、作曲され、
アメリカ初演は、1988年ヒューストンで、
イギリス初演は、1989年グリンデボーンでそれぞれ行われた。
組曲は、その中からの曲を選んではいるが様式上は、
独立した演奏会用の作品として考えられたようだ。
つまり、ベルクのヴォツェックからの3つの断章のように。
この組曲はサンフランシスコ交響楽団の委嘱を受け作曲され、
1990年にタン・ムーハイの指揮、同交響楽団で初演された。

想像上のある場所の今という恐怖の町。
劇はその恐怖の町の大晦日を舞台に行われる。
その中に出てくる話の内容の具体的なことはわからない。
宇宙船の着陸と離陸というのに惑わされそうだが、
このような架空の世界という舞台設定を知ると、
実はそこに出てくることは
世界のどこかで現在行われていること
世界のどこでも近い将来起こりそうな事を
架空の物語として作り上げ、
人類に警告を鳴らしているのかもしれない。
ティペットなら、そんな作品を書いても
おかしくないなあと思うのである。
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