Mars&Jupiter

おおくぼっちの屋根裏部屋へようこそ!

ナイマンの「蜜蜂が踊る場所」を聴きながら、横浜から和田町まで歩く

2007-11-15 05:15:17 | 古典~現代音楽イギリス編
マイケル・ナイマンの「蜜蜂が踊る場所」を聴いた。
その冒頭から、イメージしたのはまず、
ブライアン・イーノの「鏡面界」である。
環境音楽的なその音楽はやすらぎの音楽である。
この曲で重要な役割を担う楽器がサクソフォンである。

時々バルトーク風の音楽の要素を感じることもあれば、
スティーヴ・ライヒの音楽との共通性を感じるのは、
単なる偶然ではなく、彼がそれまで影響を受けた音楽が、
そういったものであるという証拠である。
しかし、それを越えてポップな彼の音楽は、
やさしく、多くの人々に語りかけてくる。

ロンドンで生まれた彼は、
王立音楽院で作曲や音楽史を学んだが、
当時の音楽界の動向には興味を示さず、
ルーマニアの民族音楽に興味を持ったり、
バロック音楽の編纂などをやっていたようだ。
作曲をしない時期がしばらく続いたが、
スティヴ・ライヒのミニアル音楽や、
ジョン・ケージの実験音楽に興味を示すようになり
1970年代から作曲家としての活動を始めたようである。
「ピアノ・レッスン」で映画音楽を担当したことなどで、
一躍有名になった人物である。

昨日は横浜から和田町駅まで歩きました。
マイケル・ナイマンは1944年生まれの作曲家だが、
異色の作曲家といえばそうだが、
大器晩成的な作曲家を生み出しているイギリスと考えれば、
それは不思議なことでもない気がする。
こころに染み渡ってくる音楽
それがナイマンの音楽なのかもしれない。
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エリック・コーツのロンドン組曲を聴きながら、横浜から和田町まで歩く

2007-11-14 05:57:16 | 古典~現代音楽イギリス編
昨日は横浜から和田町駅まで歩きました。
途中聴いた曲は1886年生まれのエリック・コーツの曲。
彼は、ノッティンガムシャーのハックナルに生まれた。
1906年からロンドンの王立音楽院で学んだ彼は、
ヘンリー・ウッドのもとでクイーンズ・ホール管弦楽団の
首席ヴィオラ奏者として、1910年から1912年まで活躍した。

「浮かれ人」序曲は、1922年に作曲された。
ワグナー的なサウンドと北欧的な叙情的な旋律が特徴だ。
初期の作品であるが、親しみやすい曲だ。

ロンドン組曲は、1933年に作曲された。
第1曲コヴェント・ガーデンはやはりワグナー的で
一方北欧的な雰囲気をもつ曲である。
第2曲のウェストミンスターは、穏やかにはじまり、
ロマンティックでもありながら、壮大な曲。
第3曲ナイツブリッジは、BBCの番組の音楽に使用され、
彼の名声を広め、不動のものとした曲のようだが、
最初のところはシベリウスのカレワラ組曲を思わせる感じで、
それとは別にイギリス的な勇敢なメロディと、
ロマンティックなメロディが現われ、絡み合いながら
最後の堂々としたコーダへと進んでいく。

組曲「3人のエリザベス」は1944年に作曲された。
第1曲平穏の時代は、勇ましい感じの旋律が流れる。
エリザベス1世の平穏な時代を描いたのだろうが、
華麗な感じでロマンティックの曲調は、
映画音楽のようで、いかにも大衆受けする音楽である。
第2曲アンガスの春は、最初第1曲の主題が登場するが、
そのあとはイギリスの田園風景を描写しているような
牧歌風で夢の中にいるような平和な音楽が流れる。
第3曲若き英国は、勇ましい感じで始まり、
ポルカ調かと思うと、イギリス風の旋律になり、
現代のエリザベス女王の時代のイギリスの繁栄を、
歐歌しつつ、堂々としたコーダで終わる。

行進曲「コーリング・オール・ワーカーズ」は、
BBCの番組「働くときの音楽」で使用された作品で、
1940年初演され、人々の親しまれた曲のようだ。
「ダム・バスターズ」は映画音楽として1954年作曲された。
どれをとっても楽天的な音楽で、
大衆に親しまれ親しみやすい音楽だ。
そこにイギリスの民衆の多くに好かれる魅力があるのだろう。
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ピーター・ホープのモーメンタム組曲を聴きながら、希望が丘からいずみ中央駅まで歩く

2007-11-13 06:26:43 | 古典~現代音楽イギリス編
昨日は希望が丘からいずみ中央駅まで歩きました。
弥生台駅からいずみ野駅に向かう途中、
暗くなりかけた道の前面に見えたのが、
富士山のシルエットだったのだが、
横浜でこんな風景を見ることのできる場所が、
あるのかと思い、その美しさに少し感動する。

途中聴いた曲は1930年生まれのピーター・ホープ。
彼が生まれたのは、ストックポートという場所だ。
英文の解説によると、彼はマンチェスター大学で学び、
それから王立マンチェスター音楽大学で学んだ。
卒業後は、ロンドンの印刷会社で働いていたが、
24歳には作曲家と編曲者として自由契約の身になった。
編曲者としては、歌手ジェシー・ノーマンや
ホセ・カレーラスのための作品を創作したようだ。

モーメンタム組曲は、1959年に作曲された。
弦楽オーケストラのための曲で、
第3曲の曲名がそのまま組曲の題名になっている。
第1曲ダンスは、素朴だが躍動的な曲で、
イギリス民謡の田舎風の音楽が流れる。
うってかわって第2曲の間奏曲は叙情的な曲で、
美しい旋律が静かにそしてロマンティックに語りかける。
ケルトの雰囲気をただよわせていると解説には書いている。
第3曲のモーメンタムは躍動的な曲で、
終わりにかけて音楽は徐々に速度を上げ、
最後はさわやかに曲を閉じる。
イギリスの弦楽オーケストラの小品も探すと奥が深い。
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マルコム・アーノルドの「聖トリニアンの美女たち」を聴きながら、横浜から和田町まで歩く

2007-11-12 09:40:10 | 古典~現代音楽イギリス編
昨日は横浜から和田町駅まで歩きました。
途中聴いた曲は1921年生まれのマルコム・アーノルド。
彼が生まれたノーザンプトンは、第一次世界大戦の時期
靴の製造で有名な町であった。
彼はトランペットに興味を持ち、
ロンドンの王立音楽大学では、
トランペットと作曲を学んだようだ。
その後、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団で、
トランペット奏者として活躍し。
戦後は作曲と指揮に専念するようになったようだ。

交響的習作「マシーンズ」は、1948年に作曲され、
1951年には改訂版が出されている。
冒頭の打楽器の荒々しく強烈なリズムに乗り、
金管楽器・弦楽器によってテーマが示される。
さすがブラスバンドでとりあげることの多い
アーノルドらしい鮮やかな金管楽器の扱いである。
曲は主題が提示されるアレグロ・コモド、
第1変奏のヴィヴァーチェ、第2変奏のアンダンテ、
第3・4変奏のアレグロ・コンブリオ、
第5変奏アレグロ・コモド-レント・エ・マエトーソからなる。
最後の終わり方もなかなか、かっこいい。

サラバンドとポルカは、1956年に作曲された。
英文の解説によるとロンドンのサドラーズ・ウェルズ劇場と
ニューヨークのメトロポリタン劇場で上演された
バレエ音楽「ソリティア」で使われた作品であり、
ソリティアとは一人用のカードゲームである。
サラバンドはロマンティックだが少し寂しげな曲だ。
ポルカはのどかで親しみやすい楽しい曲である。

「聖トリニアンの美女たち」は、1954年に作曲された。
聖トリニアン女学校を描いたロナルド・サールの漫画の世界を
シドニー・ギリアッドとフランク・ラウンダーが脚本化し、
コメディ・タッチの白黒映画が制作されたようで、
悪評高い架空の寄宿制の女学校を描いたようだ。
俳優の演技のとめどのないペースに共感して、
それにあう音楽を作曲したということである。

ラジオ体操の音楽のような第1曲の前奏曲。
そして、第2曲のトリニアンへの列車は、
その列車の感じをうまく描写している。
コメディー映画を感じさせるユニークさがある。
第3曲のフラッシュとフリットン夫人では、
第1曲の冒頭の旋律が始め登場し、途中ではジャズ風となる。
第4曲のレースとゲームでは闘争的なシーンが描写される。
軽快であるとともに甘い音楽が流れる。
第5曲フィナーレは第1曲と同じ旋律が流れ、
ハッピーエンドで終わるような感じだ。

ところで、このマルコム・アーノルドの作品、
意外に(でもないか)誤訳が多かったりする。
たとえば、バレエ音楽「ソリティア」は、
「孤独」と訳されている場合もあるが、
CDの解説を読むと一人用のゲームと書いているので
「孤独」という訳は違いようにも思われる。
(確かにサラバンドは孤独を思わせる作品だが)
それから、「聖トリニアンの美女たち」は、
聖トリニアン(教会)の鐘と訳しているものもある
おそらく、Bellesを鐘と訳したのだろうが、
Belleには美女・美人などの意味があり、
映画の内容からしても舞台は女学校なので、
「鐘」との関係はなさそうだし、Bellの複数形はBellsである。
そんなこともあり、ここでは「美女たち」と訳した。
ちなみにこの白黒映画は今年になってリメイクされ、
「聖トリニアン」というタイトルで、映画化されたようだ。
それにしてもマルコム・アーノルドの作品名に誤訳があるのは、
まだまだ知られていないということなのでしょうか?
残念な現状ですが、最近CDもよくみかけるようになったので、
もっと知られてほしいものですねえ。
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ウォーロックのカプリオル組曲を聴きながら、二俣川から西谷まで歩く

2007-11-11 06:26:05 | 古典~現代音楽イギリス編
昨日は二俣川から西谷駅まで歩きました。
途中聴いた曲は1894年生まれのウォーロック。
ロンドンで生まれた彼も、ウォルトンと同じく、
音楽についてはほぼ独学であったという。
ピーター・ウォーロックという名前は本名ではなく、
ユダヤ系の音楽評論家フィリップ・ヘゼルタインが、
作曲家として活動する場合に使った名前のようだ。

「ディーリアスへのセレナーデ」は1922年に、
ディーリアスの60歳の誕生日のために作曲された。
ウォーロックは作曲家ディーリアスを一生涯崇拝していた。
英文の解説によるとフランスに住んでいたディーリアスの
家の近くには、彼の叔父を通じてディーリアスに出会い、
その後もディーリアスの家に訪れるなどし、交流を深めたようだ。
弦楽オーケストラのために書かれたこの曲は、
ディーリアス崇拝者のウォーロックらしく、
いかにもその旋律はディーリアス風である。

カプリオル組曲は1926年に作曲された作品で、
古いフランス舞曲から発想を得たようだ。
6つの短い小品からなる弦楽オーケストラ版は、
新古典主義的な趣を持ち、聴きやすい曲である。
4曲目のブランスルの軽快な感じは特にいい。

しかし、ウォーロックの生涯は36歳で終わり、意外に短い。
1920年代終わりには作品の創造力に衰えが出始め、
軽いうつに悩まされていたようだ。
ガス中毒で亡くなったようであるが、
自殺か事故死かはわからないようである。
なかなか作曲家というのも大変なもんだ。
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