西暦1200年代に日本は侵略されて植民地化される危機にあった。
日本全体がまとまっていなかった時代ですが、天皇の勅令で武士たちが一致団結して九州に赴いた。
群雄闊歩の時代で、小田信長や秀吉、家康の登場はまだ先のこと。
(下村博先生から引用)
日本が島国だったから助かったのだろう。
元の国は今の中国そのもの。元の10万人の兵士を高麗の仕立てた船で北九州に押し寄せてきた。
台風が来て海が荒れていなければどうなったかわからない。おそらく韓国のように、中国のご機嫌を取るような国になっていただろう。
元の兵士たちの残虐性は日本の武士たちを驚かせた。当時の武士は戦う相手とあいまみえると、名前を名乗のりあってから、いざいざ勝負などという、のんびりした戦いで、とても総力戦という戦法はなかった。
元寇の戦いを知って信長や秀吉は戦いの戦法を考えた。元に比べたら日本の各地の武将たちは、信長や秀吉にしたら楽なものだった。
元寇の役は、元と高麗の合同軍だった。高麗の進言で元が欲を出したというのが正しい。元がわざわざ海を越えて、危険な賭けをする意味が、元々なかったからだ。元の10万人の兵隊は、台風(嵐)で海の藻屑に消えた。大変な損失で、元がの勢力が衰えるきっかけになったのかもしれない。
いつの時代も、近隣に中国があり同じような構図になる。