昔々ここは柏木で、見ている先は淀橋と角筈。
なぜここが柏木なのか調べたことはなかった。
淀橋は昔々その名の通り神田川にかかった橋が地名になった。
淀橋の近くに長者が住んでいた。
それで長者橋と言う地名も残っている。
中野長者橋です。
ヨドバシカメラの名は地名の淀橋からとられたのだと思う。
私が中学生の頃に淀橋の近くにヨドバシカメラがあった。
ガラガラ引き戸のガラス戸を開けて店内(住居か倉庫)に入ったら、ステテコ姿の社長が出てきた。
伯父が銀行員でスクーターの後ろにのせられて、取引先のヨドバシカメラに連れて行ってもらったのだ。
今となっては銀行よりもヨドバシカメラは大企業になった。
創業者は甲州のでと聞いています。
「じゃりン子ちえ」の世界が東京新宿にもあった。
都心にいると、いろんな名物有名社長に会います。
今のIT企業の社長とちょっと違い、漫画みたいなユニークな御仁が多かった。
札束をいっぱい詰めた鞄を常時持ち歩いてロールスロイスを乗り回していたが、たまに大通りでタクシーを拾っていた御仁。闇市からたたき上げてきた人生だったようだが、あっさりお亡くなりになってから、会社は倒産。名物社長じゃなきゃできない経営だった。
ジャガーをご自分で運転してきた名物女子社長。美容業界では知る人ぞ知るおかたで、面白い御趣味をお持ちだそうで、ざっくばらんで男っ気があるおば女子だった。
都心スーパーの社長さんは各店舗を黒塗りセンチュリーで回って、ご自分のスーパーでお金を払って買い物していた。自分のお店の見回りでご自分の財布から買い物のお支払いしていた。
とある衣料品店の社長さんは、なんと新宿マラソンのスポンサーでもあったがご自分も走られていた。店員さんと話していたら、、、どこぞの大学陸上部の出で優勝していた。速いランナーをスカウトして駅伝部でも作ろうとしたのかな?たしかお歳は80歳ぐらいだったが、ランニング大会を走ろうと思うだけでも超人
お歳暮の配達アルバイトをしていたときに、有名書店の社長宅に届けたら、やはりステテコ姿で玄関に出られてきた、、、色々あります。CEOなんてお高くとまっていないで、「社長さん」という者は庭をご自分で手入れしているような見本だった。
この写真のように高層階から俯瞰で見ると、建築の容積率が異なる区画があるのが良くわかります。
手前は住居地域、中間が商業地域、その先の高層ビル群は容積率をアップした区域です。
住居地域にビルがあるのは建築規制がかかる前に建てられた。