舞台で人前に出てする演奏から、
その人の「人となり」が現れ、見え、伝わってくる、
とよく言われ、実際、その通りだと思われます。
さらに一歩踏み込んで考えてみたのですが、
演奏において見受けられる「人となり」とは、
その演奏・音楽において、
奏者が「何を大事にしているか」が、
現れてくると言えるのではないだろうか?と。
「何を大事にしているか」
人によって、
その人の生来持っている感性によって、
その人の受けてきた教育によって、
「大事に思っているもの」は、千差万別でしょうか。
以下色々と考えてみますと・・・
「きれいな音」を大事にしている人もいれば、
「大きな音」を大事に思う人もいる、
「間違えない」ことを大事に思う人もいる。
「楽譜に書かれた指示」は大事ですし、
「スタッカート」の有無や、
「スラー」がどこまでかかっているか、
「音符を間違えない」ことだけでなく、
「書かれた音楽標語」も大事にしたいです。
演奏者の「個性」を大事にする、
ということも最近ではよく言われることです。
「速く弾くこと」を目標にすることだってあるし、さらには
「速くキラキラと、一粒ずつの音が際立って聞こえる」
ことを大事に思う人もいるでしょう。
あるいは、一音一音をハッキリさせるのではなく、
「全体としての流れ・フレーズ」も大事でしょうし、
そうなると、
「音楽語法」と呼ばれるものも気になってきます。
「フレーズの的確な節目・切れ目」や、
「棒読みにならない抑揚ある歌」
そして、
その抑揚をもたらす基となっているであろう
「ハーモニー・和声」の大事さ!!
「ドミナントからトニカへ解決」し、音楽が収まる大事さはもちろん、
「サブドミナントへ向かう」音楽性の大事さが最近分かってきました。
そして、
私がドイツ留学を経て学び、受け継いできたとても大事なことのひとつの
「倚音・掛留音」という不協和音を大事に思う心。
過去の天才的な作曲家達自身、これを大事に使って作品を書いていたことを、
我々は見逃してはならない!と、師匠を初めとする
クラシック音楽の伝統を受け継ぐ幾人かの名匠達から
強く!!指摘され言われてきました。「倚音・掛留音」は大事な音楽の魅力。
それ以前に、もっと原初的に大事なのは
「拍感」
フレーズやハーモニーなど大きな目標を大事にするあまり
拍感が無くなってしまっても、大事なものの欠如となってしまうでしょう・・・
実際、鍵盤に向かってのピアノ演奏にあたっては、
理想の「指使い」を見付けることや工夫することがまた大事でしょう。
そして、
こうして考えられる大事なことを実現するための
「テクニック」がもちろん大事であって、
「指」
「手首」
「腕」
「肩」
「上半身」
「頭」の使い方、
「脱力」という大事な問題が関わってくることでしょう。
また「足」すなわち「ペダル」の大事さ!!
その音楽の
「物語性」「幻想、想像(ファンタジー)」
を大事にすることも出来るし、
余計なことに邪魔されず
「音そのもの」を大事に思うことも出来る。
「想像力」が大事なら、
各人の「経験・体験」が大事だとも言えるでしょうし、
例えば「恋愛経験をせずしてロマンティックな音楽は出来ない!?」と
言うこともできるかもしれませんし・・・
それはさておき、もっと日常的な
「うれしいこと」「たのしいこと」
「つらいこと」「かなしいこと」
という感情だって、音楽には反映されること多々ですから、
そういった普通の感情も、大事。
感情に流されず、音そのものに耳を済ませようするのならば、そこには
「磨きぬかんとするクールで冷静な知性や感性」の働きが
大事となってくるでしょう。
あぁ!他にも、
アンサンブルにおける、他の人との
「コミュニケーション」が大事ということもありますし、
そうなると、
奏者と聴衆との間における「コミュニケーション」の大事さ
ということにも話は広がってくるかもしれません。
いやはや・・・こうして、
色々と考えてみると、
「大事なことは、ひとつではなさそう」
ということが見えてくるようです。
その人が大事にしていることが、
演奏を通じて現れ伝わってくる。
演奏を通しては、
その人の「心」が見え・きこえてくる、
とも言えるのでしょうか。
演奏とは、面白いものです。
あなたは何を大事に音楽していますか?
♪
その人の「人となり」が現れ、見え、伝わってくる、
とよく言われ、実際、その通りだと思われます。
さらに一歩踏み込んで考えてみたのですが、
演奏において見受けられる「人となり」とは、
その演奏・音楽において、
奏者が「何を大事にしているか」が、
現れてくると言えるのではないだろうか?と。
「何を大事にしているか」
人によって、
その人の生来持っている感性によって、
その人の受けてきた教育によって、
「大事に思っているもの」は、千差万別でしょうか。
以下色々と考えてみますと・・・
「きれいな音」を大事にしている人もいれば、
「大きな音」を大事に思う人もいる、
「間違えない」ことを大事に思う人もいる。
「楽譜に書かれた指示」は大事ですし、
「スタッカート」の有無や、
「スラー」がどこまでかかっているか、
「音符を間違えない」ことだけでなく、
「書かれた音楽標語」も大事にしたいです。
演奏者の「個性」を大事にする、
ということも最近ではよく言われることです。
「速く弾くこと」を目標にすることだってあるし、さらには
「速くキラキラと、一粒ずつの音が際立って聞こえる」
ことを大事に思う人もいるでしょう。
あるいは、一音一音をハッキリさせるのではなく、
「全体としての流れ・フレーズ」も大事でしょうし、
そうなると、
「音楽語法」と呼ばれるものも気になってきます。
「フレーズの的確な節目・切れ目」や、
「棒読みにならない抑揚ある歌」
そして、
その抑揚をもたらす基となっているであろう
「ハーモニー・和声」の大事さ!!
「ドミナントからトニカへ解決」し、音楽が収まる大事さはもちろん、
「サブドミナントへ向かう」音楽性の大事さが最近分かってきました。
そして、
私がドイツ留学を経て学び、受け継いできたとても大事なことのひとつの
「倚音・掛留音」という不協和音を大事に思う心。
過去の天才的な作曲家達自身、これを大事に使って作品を書いていたことを、
我々は見逃してはならない!と、師匠を初めとする
クラシック音楽の伝統を受け継ぐ幾人かの名匠達から
強く!!指摘され言われてきました。「倚音・掛留音」は大事な音楽の魅力。
それ以前に、もっと原初的に大事なのは
「拍感」
フレーズやハーモニーなど大きな目標を大事にするあまり
拍感が無くなってしまっても、大事なものの欠如となってしまうでしょう・・・
実際、鍵盤に向かってのピアノ演奏にあたっては、
理想の「指使い」を見付けることや工夫することがまた大事でしょう。
そして、
こうして考えられる大事なことを実現するための
「テクニック」がもちろん大事であって、
「指」
「手首」
「腕」
「肩」
「上半身」
「頭」の使い方、
「脱力」という大事な問題が関わってくることでしょう。
また「足」すなわち「ペダル」の大事さ!!
その音楽の
「物語性」「幻想、想像(ファンタジー)」
を大事にすることも出来るし、
余計なことに邪魔されず
「音そのもの」を大事に思うことも出来る。
「想像力」が大事なら、
各人の「経験・体験」が大事だとも言えるでしょうし、
例えば「恋愛経験をせずしてロマンティックな音楽は出来ない!?」と
言うこともできるかもしれませんし・・・
それはさておき、もっと日常的な
「うれしいこと」「たのしいこと」
「つらいこと」「かなしいこと」
という感情だって、音楽には反映されること多々ですから、
そういった普通の感情も、大事。
感情に流されず、音そのものに耳を済ませようするのならば、そこには
「磨きぬかんとするクールで冷静な知性や感性」の働きが
大事となってくるでしょう。
あぁ!他にも、
アンサンブルにおける、他の人との
「コミュニケーション」が大事ということもありますし、
そうなると、
奏者と聴衆との間における「コミュニケーション」の大事さ
ということにも話は広がってくるかもしれません。
いやはや・・・こうして、
色々と考えてみると、
「大事なことは、ひとつではなさそう」
ということが見えてくるようです。
その人が大事にしていることが、
演奏を通じて現れ伝わってくる。
演奏を通しては、
その人の「心」が見え・きこえてくる、
とも言えるのでしょうか。
演奏とは、面白いものです。
あなたは何を大事に音楽していますか?
♪