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音楽家ピアニスト瀬川玄「ひたすら音楽」

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《悲愴》I楽章冒頭、ペダルの使い方

2006年08月16日 | 《8番op.13“悲愴”》
先日の日記でも触れましたが、
ベートーヴェンの音楽におけるペダルの使い方が、
物理的な音響としての効果と、音楽の内的なものの両者に非常に密接して
いると、最近ではさらに一層強く感じるようになっています。
(「ペダルの問題」は、ベートーヴェンのピアノソナタに限らず、
ありとあらゆるピアノ曲に関わる大問題と言えましょうか)

ペダルに関する最近の新たな発見を思い返してみますと、
師匠からのレッスンを思い返し、ウィーンの伝統的ピアニストでもある
Badura-Skoda氏からも学ぶことができた革新的な出来事は、

「ペダルをいかに使わないか」
ということだったように思われます。


この《悲愴》I楽章冒頭にてこのことを考えてみますと、
1小節目「fp」については、先日の日記に書いたとおりですが、
「ペダルをいかに使わないか」のコツは、「fp」の
うしろの文字「p」に当てはめて考えてみると、このI楽章における
「Grave」の前奏を成功させることが出来るのではないかと思えるのです。

具体的に冒頭の1小節目をひとつ具体的に、
ペダリングを書き記してみますと(【?】は拍のつもり)



【1】あらかじめ踏み、徐々に離し
【と】ペダル無し
【2】踏む(四分音符の拍感を体で感じ、次にくる音に備える)
【と】新しい和音と同時に離し、次に備え再び短く踏む
【3】四分音符和音と同時に離し、そのまましばらくペダル無し
【と】無し
【4】無し
【と】和音がしっかり無くなっていることを確認し、ペダルを踏む

という風になりましょうか・・・そして、このペダリングは基本的には、
次の2小節目に通用するはずです。(ついでに
2小節目の【1】拍目で徐々にペダルを離していく方法は、
「fp」の音を実現させる有効な手段となります)

この記事のテーマである肝心の「ペダル無し」は、
【1】裏拍におよそ当たる「p」の不気味なまでの静けさや、
【3】から【4】にかけての解決音と休符において、
大いに効果を発揮するように感じられます。

「ペダル無し」による具体的な効果を検証してみますと、
ペダルを使用することによってダンパーが上がってしまい、
全ての弦が共鳴し、楽器全体が響きを増してしまうのを、
防ぐことにあるのかと考えられます。

ペダルの有無を巧みに使い分けることにより、
音楽に即した響きと色を、足という自分の体の一部でもって
意識できるようになるのではないでしょうか。(ついでに、
音符のないところでペダルを踏むという動作は(【2】、【4】裏)、
音楽の流れを確実に感じるための助けともなり、
音楽的にも有効な方法となるように感じられます)

・・・しかし、こうして文章にすることで、さらなる可能性や
さらに微妙なニュアンスと箇所箇所による違い等の
細かなことが多々書き忘れられているようでもあり、
なんとも、むずがゆい気分です・・・。

ということは、こちらの記事内容はあくまでも一つの例として
留めておくのがよいのかもしれません。もしかすると、
明日の自分は違う風に弾いているかもしれませんし、あるいは、
もっといいアイディアが浮かんでくるのかもしれませんので。
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