困ったことになりました・・・・先日の日記の内容を、
撤回させなければならない事態となってしまうかもしれません・・・。

こちらの画像は、師匠K.Schilde先生の直筆、
日本中のSchilde門下なら(!?)皆心当たりのある
「シルデ・ノート」を写したものです。
(許可無くこんなことをして、許されるのだろうか・・・
まぁしかし、きっと師匠も自分のレッスン内容が、
音楽を愛する多くの方々の目に触れることを望まれるはずですから、
このまま掲載を断行いたします!!御免)
こちらは、先日のベートーヴェン《悲愴》のレッスンの記録でして、
師匠の言った「冒頭のfp和音」の処理を、今一度確かめたところ、
思わぬ見落としがあったことに気付いてしまったのです。
読みにくい文字だとは思うのですが、ここにはドイツ語で
「Schindler; Er hielt den ersten Akkord so lange,
bis es fast verklungen war…
(シンドラー曰く;彼は最初の和音を、それがほとんど
聴こえなくなるまで保持した)
といった文章が書かれています。
シンドラーとは、こうご紹介すると、もしかするとピンと来る方が
いらっしゃるかもしれませんが、映画「ベートーヴェン、不滅の恋人」で
映画の進行役をする、ベートーヴェンの「無給の秘書」と呼ばれる
実在の人物でして、彼自身、少々ピアノを弾き、音楽にも造詣があり、
ベートーヴェン自身のピアノ演奏を文章として残した貴重な記録を
残している人物であります。
ここでいう「彼」とは、もちろんベートーヴェンその人のことで、
この記録を信じるならば、ベートーヴェンはこの《悲愴》冒頭の
c-moll(ハ短調)「fp」の指示のある和音を、
現在に比べれば音量の貧弱である、当時のピアノという楽器の音の
自然な減衰のなすがまま、この和音を記譜された音符の長さ以上に
伸ばしていたことになります。
当時の楽器が、たとえ今日のグランドピアノに比べて
音の減衰が速いとはいえ、先日の日記で挙げました
実音符の「1.3倍~1.5倍」程度の長さでは短すぎます!!
もしも、もしもこの記述が真実であるならば、
ベートーヴェンは、この冒頭の和音にそれほどまでの深い思い入れを
抱いていたように想像することが出来ましょうか。
自身の耳の聴こえなくなる様を、音の減衰に照らし合わせ、
まるで自分の耳の聴こえなさを確かめるように、
力を込めた「f」の和音の消え行く様を、
じっと聴き入ろうとしていたのかもしれません・・・
◇◆◇◆
解釈の仕方を、強引にひとつに絞り込む必要は無いと思いました。
よって、先日の日記は、ひとつの解釈として、削除することなく
そのままの形で残すことにしますが、
もうひとつの解釈として、ベートーヴェンと直接関わりのあった
このシントラーによる歴史的な証言を照らし合わせてみて、
この名曲《悲愴》の冒頭和音に悲劇の天才の境遇を反映させ、
この音の意味を十二分に味わうことは、
あるひとつの音楽の在り方かもしれません。
……………………………………………………………
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「シルデ・ノート」を写したものです。
(許可無くこんなことをして、許されるのだろうか・・・
まぁしかし、きっと師匠も自分のレッスン内容が、
音楽を愛する多くの方々の目に触れることを望まれるはずですから、
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師匠の言った「冒頭のfp和音」の処理を、今一度確かめたところ、
思わぬ見落としがあったことに気付いてしまったのです。
読みにくい文字だとは思うのですが、ここにはドイツ語で
「Schindler; Er hielt den ersten Akkord so lange,
bis es fast verklungen war…
(シンドラー曰く;彼は最初の和音を、それがほとんど
聴こえなくなるまで保持した)
といった文章が書かれています。
シンドラーとは、こうご紹介すると、もしかするとピンと来る方が
いらっしゃるかもしれませんが、映画「ベートーヴェン、不滅の恋人」で
映画の進行役をする、ベートーヴェンの「無給の秘書」と呼ばれる
実在の人物でして、彼自身、少々ピアノを弾き、音楽にも造詣があり、
ベートーヴェン自身のピアノ演奏を文章として残した貴重な記録を
残している人物であります。
ここでいう「彼」とは、もちろんベートーヴェンその人のことで、
この記録を信じるならば、ベートーヴェンはこの《悲愴》冒頭の
c-moll(ハ短調)「fp」の指示のある和音を、
現在に比べれば音量の貧弱である、当時のピアノという楽器の音の
自然な減衰のなすがまま、この和音を記譜された音符の長さ以上に
伸ばしていたことになります。
当時の楽器が、たとえ今日のグランドピアノに比べて
音の減衰が速いとはいえ、先日の日記で挙げました
実音符の「1.3倍~1.5倍」程度の長さでは短すぎます!!
もしも、もしもこの記述が真実であるならば、
ベートーヴェンは、この冒頭の和音にそれほどまでの深い思い入れを
抱いていたように想像することが出来ましょうか。
自身の耳の聴こえなくなる様を、音の減衰に照らし合わせ、
まるで自分の耳の聴こえなさを確かめるように、
力を込めた「f」の和音の消え行く様を、
じっと聴き入ろうとしていたのかもしれません・・・
◇◆◇◆
解釈の仕方を、強引にひとつに絞り込む必要は無いと思いました。
よって、先日の日記は、ひとつの解釈として、削除することなく
そのままの形で残すことにしますが、
もうひとつの解釈として、ベートーヴェンと直接関わりのあった
このシントラーによる歴史的な証言を照らし合わせてみて、
この名曲《悲愴》の冒頭和音に悲劇の天才の境遇を反映させ、
この音の意味を十二分に味わうことは、
あるひとつの音楽の在り方かもしれません。
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