音楽家ピアニスト瀬川玄「ひたすら音楽」

♪クラシック音楽の伝統を受け継ぐ真の音楽芸術家を目指して活動しています♪ 「YouTubeクラシック音楽道場」も更新中♪

◆リスト《ダンテ・ソナタ》を聴いて

2006年11月05日 | リスト Franz Liszt
本 文 リスト作曲、《巡礼の年 第二年》より
《ダンテを読んで-ソナタ風幻想曲》を聴く機会に恵まれ、
この音楽の物語が自分の中でひとつのまとまりをみたような気がして、
想うがままを書き綴ってみようかと試みます。

ちなみに私は、この音楽の作曲に至る契機となったと言われる
ダンテ『神曲』を読んだことも、その詳しい内容も
恥ずかしながら知らずにいます。ただ巨匠リストの作品、
俗称《ダンテ・ソナタ》と呼ばれるこの曲が、
「天と人と地獄」との壮絶な物語であるという情報が
どこかしらからか耳に入ってきたことから、その情報を元に
自由な音楽の物語を紡いでみようとしているのみです。
音楽を聴きながら、一人の人間の脳内世界ではこんな物語が
展開されていた、そんな様子を惜しげも恥ずかしげも無く(!?)
文章にしようとしているもの、そう気に留めていただき
お読みいただけますよう、ご容赦とお願い申し上げます。


◇◆◇◆


悪魔。
冒頭のTritonus(三全音、増四度または減五度)の響きは
古くからの西洋音楽における悪魔を象徴する音。

巨大な悪魔の姿に、心の警報が鳴り響く、
不気味に歩み寄る悪魔のささやき、
人は嘆く(半音階のメロディーともいえぬメロディー)
悪魔の鋭く力強い爪が人に襲い掛かる!!
嘆きは叫びへと変わる

突如、楽曲冒頭のTritonusと同じリズム・モチーフでありながらも
G-Dur(ト長調)の完全五度の響きは、悪魔とは180度意味の異なる
天の象徴、
天が近づく、Es-Dur(英雄的な変ホ長調)の完全五度、そして
Des-Dur(変二長調)を介して、これがドミナントとなり、ついに
Ges-Durの壮麗なる響きの光の大洪水となって、
ピアノという楽器の全てが鳴り響く
(超絶技巧ピアニスト・リストの真骨頂)。

天の救い、天は我を見放さなかった!!

冒頭のTritonusが光の洪水を遮断する、悪魔の宣戦布告!?
悪魔の存在が強く刷り込まれる。悪魔は再び来ることを予告するがごとく、
今は立ち去ってゆく(短調解決)。

人は、一体何が起こったのか把握することもできず、
地上を――それは天上と地獄との間――うつろい彷徨いながら
天上の光の流れるさまをただただ眺め、嘆く(半音階)

天が答える、同じ言葉で、同じ半音階で。
人は、天が共にあることを知る、両者は共にうたう!!
うたが頂点に達っし、再び悪魔の影が迫る。
戦いが再び始まろうとしている。

天国と地獄との戦い、
縦横無尽に入り乱れての壮絶な戦いが繰り広げられ、
人は為す術もなく逃げ惑う(右手オクターブ)
追われる人、逃げ惑う人々、最大の危機、
奈落の底に引き摺り込まれそうになる、
ついに、神の光が戦いの仲裁に入る、
戦いは終わったかのようにみえ、
悪魔は静かに答えて去る、不気味に。

残された人の絶望、ただただ、己の無力を嘆くのみ

・・・音楽の断絶・・・

・・・天の彼方から光・・・それは希望の光・・・

再び立ち上がることを知る、自らの力で・・・!!

立ち上がる人々に対し、悪魔は黙ってはいない、
最後の戦いが始まる、それは人と悪魔との戦い、
逃げ惑う以前の戦いとは違う、前向きな、
力と希望に満ちた戦い、
人は立ち向かう、悪に、己の運命に、
自ら道を切り開いて、この地上において、
我は生きる――――――――――――





コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ◆演奏不可能なクレッシェンド... | トップ | ◆リスト《ソナタ h-moll》と... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。