音楽家になるのに、技術や知識以上になくてはならない大前提、それは音楽を美しいと感じる心。これ無くしては、よい音楽家にはなれないと、今はっきり思いました。あくまで基本!当たり前のようなこと、でもとても大事なこと。
音楽を美しいと感じる心があり、その道を歩まんとする時、技術や知識は不可欠でしょう。感性・知性・技術は相互作用に高めあい、その道を昇華させてゆく。生き甲斐ある音楽の勉強の道・人生となれたら、素晴らしく、また面白いでしょうか?
音楽を美しいと感じる心、これ、最初は無くても、きっと気付くことの出来るもの。そして磨いてゆけるもの。ほうっておいたら、埃がたまるもの?でも埃を払えば、またきっと輝く動きだすもの。(錆び付くこと?・・・はあってほしくない!)
音楽を美しいと感じる心、これは誰にでもある!と、簡単には私には言えない・・・人によって、感性・生活環境の差ゆえに、音楽に魅力を感じない人も、いないとは言えない。しかし、究極的には!誰しも、音楽を美しいと感じられる、そうも思う!
音楽を美しいと感じる心、これは宇宙の摂理に関わるところではないだろうか?音楽とは、音という物理を使った人間による芸術。音は物理、物理は宇宙。音は宇宙につながる。我々人間は、宇宙の一部。ゆえに、人間誰もが宇宙の一部なのだから、人間誰も音楽に共鳴することは、出来る!?
音には、二種類ある。協和音と不協和音。そのどちらにも美しさが感じられるもののよう。協和音の安定をよろこぶ、これが基本? そして、そこに至る道中において、不協和音がえもいわれぬ魅力を醸し出す!香料・スパイスのように!?
不協和音について、もっと知らねばと思いました。4度は、協和音。しかし、オクターブ上がったところで11度となると、これは不協和音かもしれない!? と、先ほど初めて思いました・・・主音をドとすると、4度はファ。主音から11度もファ。同じファでも、前者は協和音、後者は不協和音!?
ジャズでは!もちろん11や13という数字(音程)は日常茶飯事なのでしょう。今更そんなことを考えるなぞ!?一介のクラシック音楽家では、ジャズの人の高度な音感覚には足元にも及ばない!?と頭を下げたくなることが少なからずあります・・・。我々も見倣いたい!そして、洗練させていきたいです!
11度と4度が別物だとすると・・・両者が同じ階名を持つゆえに、手前にある4度が真っ先に頭に浮かび、その考えに洗脳され、実際の音11度の不協和音な響きに気付かず今まで生きてきた・・・これ「頭デッカチ」の悪い例のように反省されます・・・自分はこれまで何を聴いてきたのか!(泣)
今夜の始めの呟きに戻りますが、だからこそ!感性が一大事であって、知性・知識はそれを補うもの・裏付けるものという位置関係にあると今の私は思っています。技術も同様。まず感性ありき!そして知性と技術も必要!と。これを三本柱と、勝手に数年前から名付けています。
勉強は、おおいに結構なのでしょうが、これに没頭し過ぎてはいけない? 世界に・自然に・自分の周囲に目を・耳をひらいてみると、思いがけない発見と、勉強の成果が!? 勉強したことと感じること、これが合致する手応えこそ、生き甲斐というもの!?
音楽において、考えること、感じることはどちらも大切でしょうが、優先順位があるなら、感じることの方が大事なのでは!?と、今の私は思います。