ベートーヴェン《ピアノソナタ 18番 Es-Dur op.31-3》
を久々に練習しながら、ほんの些細なことですが、気付いた面白いことをひとつ。
この《ソナタ18番》は以前、勉強したことのある曲なので、再び引っ張り出して弾くこととなるのですが、しかし、数年のブランクを置いて、ソナタ全曲演奏にチャレンジすることで得られた様々な経験などを通して再び自分の知っている曲に戻ると、実に色々なものが違って見えてくることを体感しました。
さっそく1楽章の冒頭
昨日の日記の延長線上で解釈しますと、この曲は
「オーケストラ的」だな~~と思いました。
真ん中の音域で鳴る冒頭、テーマ(序奏?)が現れます。
6小節ごとにフェルマータが来ます。
そして、
再び10小節目から6小節の同じ主題、今度は音域が様々に異なります。
これが!!「オーケストラ的」だな~~~の納得ポイントだったんですね~。
上の方から、
きっと、高い木管楽器が(フルート)、1オクターブ降りて、
きっと、中音域の木管楽器が(オーボエかクラリネット?)、そして
はるか下の低音(低い弦楽器群、チェロとコントラバスにヴィオラが最上部?)で「問いかけるように」、その問いに答えて、
高音域の木管楽器が答える・・・・・みたいな。
さて、
ところが今日の日記のメインに書きたいことは、今、上で書きました
●「問いかけるように」という部分なのです。
このパッセージ、すでに3小節目に出てきているものと音域は違えど、
同じものなのですが、しかし、違いがありました!!
●「cresc.(クレッシェンド)」の位置が、
この第3小節と第12小節とでは、違ったんです!!
一回目は、第3小節から4、5、6と進むに連れて、
「4小節目」に「cresc.」が書かれている。
(ゆえに、2つめで大きくなっていく)
二回目は第12小節から13,14,15と進むに連れて、
「14小節目」に「cresc.」が書かれている。
(ゆえに、3つめで大きくなっていく)
この二回目(12,13小節)は、上に書いたとおり、
低音の弦楽合奏のような重い響きを感じさせるのですが、
その二小節間(12,13)は、「cresc.」しないのです。
その代り、次の二小節(14,15)の高音に移って、初めて「cresc.」するという・・・・!!!!
なぜ、ベートーヴェンは一回目と二回目を違って書いたか?
「オーケストラ的」という考えからヒントを得てか、
一回目は中音域で6小節間に渡ったもの、
二回目は同じような6小節の間に、違う楽器で奏されていること、
二回目12,13小節の低音「cresc.」無しは、ベートーヴェンの意図的なものであることは疑いありません。となると、この効果は・・・
ファンタジー(想像)をめぐらせてみたところ、
ああ、低音が「問いかけているのかな?」となったのでした。
それに対する高音域の14,15小節が、いよいよ「cresc.」を伴って
「答えを返す」・・・・みたいな!
さらに、今思いついたことですが、
一回目の第4小節から始まる「cresc.」は、実際、ピアノでは
演奏不可能なものです。だって、第4小節はまるまる長い和音ひとつであって、この楽器(ピアノ)では、一回音を出してしまったら、それ以上音が大きくなることは基本的にはありませんから。しかし、作曲者はここから「cresc.」を書いている・・・・
しかし、書いてある通り、ここから「cresc.」は始まっていると
考えてみますと、そこから先に続く旋律が、まとまりを持ってくる
と感じることができます。
「3小節目から、4~5~~6~~~!!!」って・・・。
それに対して
11小節目と12は、「11~12~~?」そして
「13~~14~~~!!!」となる・・・・。
ん~~~・・・・・書くのは難しいな・・・・
楽譜を見るのが一番でしょうか、興味ある方は見ていただければ分かり易いかと思います。
こまごまと書いたのですが、まとめてみれば
今日の収穫、自分が改めて確信したことは、こうした
「たった一小節でも、書いてある違い」があることに想像と思索を馳せることで、音楽の「しゃべり」が浮かび上がってくることがあるのだな~と思ったまでです。
「原典版」の楽譜を使う意義は、こういったところにあると思います。
彼ら大作曲家の書き記したものは、ハンパじゃなく高い音楽性を備えているのです。だからこそ、研究者と出版社によって謙虚に真剣に取り組まれた「原典版」は、演奏する側にとってこの上なくありがたいものとなるのです。
大作曲家の音楽、その一端を覗き見たい一心で、こうして楽譜と音楽に向き合っていくのは、なかなかやりがいのある作業です。