本日のお昼休憩に一筆・・・
4月16日のコンサートに向けて、
ベートーヴェンに向き合いながら頭の中は
アドレナリンが大量分泌中なのかもしれない・・・
本番一週間前の特殊な精神状態を、
本人も忘れてしまう前に!?、せっかくだから
書き残してみようかと、先日からPCに向かって奮闘しています。(おいおい、ピアノを弾きなさいよ、という話もある・・・でも、こうして文章を書くと、なんだか考えがまとまるというか、意欲が沸くというか、うまく実際の演奏とリンクすればいいな、と思っているのですが・・・)
お読みになられる方、お付き合いいただければ幸いです。
●さて、
《op.109》と向き合いながら気付いたことがありまして、
一体この美しい曲に、音量最大とされる「ff」の指示が
何回あるか!?を調べてみると、
音楽のクライマックス、山場、あるいは
音楽の進み方が見えるかもしれない、と思い、
書いてみようと思うのですが・・・。
●I楽章では、たったの1回。
再現部 第2テーマの「C-Dur ハ長調」のアルペジオですね。
E-DurにおけるC-Durというのは、「Mediant」といわれる
特殊な和音に位置づけることができます。
(日本語だと、「借用和音」?というのでしょうか?勉強不足で・・・)
この「Mediant」、ベートーヴェンの音楽のいたるところに
美味しく使われています。交響曲《第九》しかり。
後期ベートーヴェンに限らず、初期の作品でもすでに使われいますし
(《ピアノソナタ第3番 op.2-3 C-Dur》I楽章Cadenz)。
この《op.109》I楽章の「ff」が、この「Mediant」にかかっているのが、なんだか・・・なんでしょう、何かを感じる。力、というか、大きさというか、真にクライマックスというか・・・言葉が見つからない・・・
●II楽章では
いきなり冒頭から「ff」。いきなりです・・・
ベートーヴェンは、怒っているのでしょうか!?
そして再現部で再び「ff」、
しかも、7小節という不規則な小節数で右手のテーマは終わりながら、すぐさま左手にテーマが移る、ここにも「ff」。
面白いところです!!
----中断----やっぱり、こう書いていると
考えがまとまってくる。いい演奏をしたい!
●III楽章
たったの1回。
《Var.IV》の後半ですね。
「sempre pp」で始まる後半は、なんだか会話のようにも聞こえる・・・あ、この会話、自分の勝手な想像なのですが、ずっと以前の初期ベートーヴェンのピアノソナタに、これに似た会話があるように考えています。《op.2-3》II楽章 E-Dur ホ長調。ほら!!調性も同じだ!!この曲も、ほんとうに美しい・・・中間部が、会話に聞こえる。誰と誰が話しているのか?これも興味深いですよね。あるいは、聴く人それぞれ、演奏する人それぞれの個人的な世界観に反映されるのが、一番いいのかもしれない・・・深入りできない個人の世界、しかし、そんな我々人間、皆が持っている内なる世界の扉を開いてくれる、これらの音楽作品・・・
E.フィッシャーは、「ここに生き甲斐ある人生がある」とも言っています。音楽を通して、我々の人生が充実する・・・
音楽家という仕事の存在意義が、ここにあると思います。
・・・・話がすごい方向へ行ってしまった。
でも、ここまででタイムリミットかな・・・・また書きます!
4月16日のコンサートに向けて、
ベートーヴェンに向き合いながら頭の中は
アドレナリンが大量分泌中なのかもしれない・・・
本番一週間前の特殊な精神状態を、
本人も忘れてしまう前に!?、せっかくだから
書き残してみようかと、先日からPCに向かって奮闘しています。(おいおい、ピアノを弾きなさいよ、という話もある・・・でも、こうして文章を書くと、なんだか考えがまとまるというか、意欲が沸くというか、うまく実際の演奏とリンクすればいいな、と思っているのですが・・・)
お読みになられる方、お付き合いいただければ幸いです。
●さて、
《op.109》と向き合いながら気付いたことがありまして、
一体この美しい曲に、音量最大とされる「ff」の指示が
何回あるか!?を調べてみると、
音楽のクライマックス、山場、あるいは
音楽の進み方が見えるかもしれない、と思い、
書いてみようと思うのですが・・・。
●I楽章では、たったの1回。
再現部 第2テーマの「C-Dur ハ長調」のアルペジオですね。
E-DurにおけるC-Durというのは、「Mediant」といわれる
特殊な和音に位置づけることができます。
(日本語だと、「借用和音」?というのでしょうか?勉強不足で・・・)
この「Mediant」、ベートーヴェンの音楽のいたるところに
美味しく使われています。交響曲《第九》しかり。
後期ベートーヴェンに限らず、初期の作品でもすでに使われいますし
(《ピアノソナタ第3番 op.2-3 C-Dur》I楽章Cadenz)。
この《op.109》I楽章の「ff」が、この「Mediant」にかかっているのが、なんだか・・・なんでしょう、何かを感じる。力、というか、大きさというか、真にクライマックスというか・・・言葉が見つからない・・・
●II楽章では
いきなり冒頭から「ff」。いきなりです・・・
ベートーヴェンは、怒っているのでしょうか!?
そして再現部で再び「ff」、
しかも、7小節という不規則な小節数で右手のテーマは終わりながら、すぐさま左手にテーマが移る、ここにも「ff」。
面白いところです!!
----中断----やっぱり、こう書いていると
考えがまとまってくる。いい演奏をしたい!
●III楽章
たったの1回。
《Var.IV》の後半ですね。
「sempre pp」で始まる後半は、なんだか会話のようにも聞こえる・・・あ、この会話、自分の勝手な想像なのですが、ずっと以前の初期ベートーヴェンのピアノソナタに、これに似た会話があるように考えています。《op.2-3》II楽章 E-Dur ホ長調。ほら!!調性も同じだ!!この曲も、ほんとうに美しい・・・中間部が、会話に聞こえる。誰と誰が話しているのか?これも興味深いですよね。あるいは、聴く人それぞれ、演奏する人それぞれの個人的な世界観に反映されるのが、一番いいのかもしれない・・・深入りできない個人の世界、しかし、そんな我々人間、皆が持っている内なる世界の扉を開いてくれる、これらの音楽作品・・・
E.フィッシャーは、「ここに生き甲斐ある人生がある」とも言っています。音楽を通して、我々の人生が充実する・・・
音楽家という仕事の存在意義が、ここにあると思います。
・・・・話がすごい方向へ行ってしまった。
でも、ここまででタイムリミットかな・・・・また書きます!