音楽の知識を「知らない」けれども音楽を「感じている」のは、よいことだと思う。「感じていない」というのは、音楽としてよくないこと!?
音楽するにおいて、「知識」や「感覚」は共に大事と以前から考えています。最近ではしかし「感覚」の方が重要!?と思われたりもします・・・「知らない」はまだしも「感じていない」はまずい!?という具合に。
音楽を「感じる」ということについて、一概には言えないでしょうが、人が個々に音楽を楽しんで感じている状態は、原始的で大事な素晴らしいことだと思います。一方その道を勉強する上では、自分勝手でなく「どう感じるか」を洗練させていくよう精進が必要だとも思われます。
「音楽を感じる」という問題! 楽譜を見て練習をしながら改めて強く思うのは、クラシックという高い芸術性を秘めた音楽においては、自分勝手に感じるのではなく、音楽そのものが持つ力を、自分の感覚を高め磨いて「的確に感じたい」ということかと思いました
「感じ方にはレヴェルの差がある」・・・「感じる」という人間皆に平等に与えられている感覚ではありますが、その感じ方には個々にレヴェルの差があるであろうことも、その道を勉強する身であれば、知っておくべきか、とも思われました。「感覚を磨く」のは大事な修行!
「言葉にならない音楽の世界がある」「言葉(知識!?)は邪魔」という話もあります・・・ そういった音楽の孤高の境地というのも、確かにあるでしょう!! それを感じられた時の心の有り様は・・・まさに「筆舌に尽くしがたい」です。でもそれはよっぽどな境地!?普段は言葉も必要!?
あるいは、「言葉」が「筆舌に尽くしがたい」音楽の一端を、的確に捉えることに成功する場合だって、あるように思われます。立派な音楽評論家は、その偉大な仕事を成し遂げたりもしているでしょう。これも音楽にとって大事なこと!