メトロノームを使って練習していて、
ふと考えました。
音楽の自然な伸び縮みがあることは否定しがたく、
どんな時でも杓子定規にメトロノームの機械的なテンポ感に
音楽が追従する必要はないと思われます。
だからといってメトロノームが不要である、
という極論に走る必要も全くないでしょう。
ようは、使い方しだい、ということでしょうか。
ここでひとつ、
今の自分の考えうるメトロノームの有効な使用法を
ちょいとまとめてみたいと思います。
●「メトロノームを鳴らしながら演奏することで、
自分がテンポを崩し易い箇所を見つけ出すことができる。」
客観的に聴いている分には「テンポの崩れ」というものは
割りと容易に聴き取ることができ、あるいはそれが不快であったり
することもあるようですが、
演奏している本人にとっては、この「テンポの崩れ」というもの、
なかなかの曲者で、よほどの高いテンポ感覚に到達しない限り
自分のテンポが崩れているか・あるいは正しく流れているかを
正しく自己判断することは、非常に困難だと思われるのです。
特に、
テクニック的に難しい箇所であったりすると、なおさらテンポが
崩れてしまう可能性は大と思われます。
そんな時に、ひとつじっくり集中して
メトロノームを傍らに流しながら練習することによって、
一体自分は「速くなっているのか」「遅くなっているのか」、
あるいは、どこでテンポが崩れているかを
極めて現実的に教えてくれるのが、
このメトロノーム先生ということになりそうです。
「なんだよ、ちくしょう!非音楽的だ!!」
と叫びたくなることもありますが(ありませんか!?)、
しかしまぁ、現実は現実、
自分のテンポがそこで崩れていることを「知る」ことができ、
さて、そこから音楽的な兼ね合いとバランスを取り、
どうやって料理しようかを考えるのに非常に有効な練習過程
と考えたら、メトロノーム先生との有意義な音楽生活を
送ることができるのではないでしょうか!?
つづく
ふと考えました。
音楽の自然な伸び縮みがあることは否定しがたく、
どんな時でも杓子定規にメトロノームの機械的なテンポ感に
音楽が追従する必要はないと思われます。
だからといってメトロノームが不要である、
という極論に走る必要も全くないでしょう。
ようは、使い方しだい、ということでしょうか。
ここでひとつ、
今の自分の考えうるメトロノームの有効な使用法を
ちょいとまとめてみたいと思います。
●「メトロノームを鳴らしながら演奏することで、
自分がテンポを崩し易い箇所を見つけ出すことができる。」
客観的に聴いている分には「テンポの崩れ」というものは
割りと容易に聴き取ることができ、あるいはそれが不快であったり
することもあるようですが、
演奏している本人にとっては、この「テンポの崩れ」というもの、
なかなかの曲者で、よほどの高いテンポ感覚に到達しない限り
自分のテンポが崩れているか・あるいは正しく流れているかを
正しく自己判断することは、非常に困難だと思われるのです。
特に、
テクニック的に難しい箇所であったりすると、なおさらテンポが
崩れてしまう可能性は大と思われます。
そんな時に、ひとつじっくり集中して
メトロノームを傍らに流しながら練習することによって、
一体自分は「速くなっているのか」「遅くなっているのか」、
あるいは、どこでテンポが崩れているかを
極めて現実的に教えてくれるのが、
このメトロノーム先生ということになりそうです。
「なんだよ、ちくしょう!非音楽的だ!!」
と叫びたくなることもありますが(ありませんか!?)、
しかしまぁ、現実は現実、
自分のテンポがそこで崩れていることを「知る」ことができ、
さて、そこから音楽的な兼ね合いとバランスを取り、
どうやって料理しようかを考えるのに非常に有効な練習過程
と考えたら、メトロノーム先生との有意義な音楽生活を
送ることができるのではないでしょうか!?
つづく