先日、長野県松本市の名物、
サイトウキネン・オーケストラを聴きに行ってきました。
このオーケストラ=フェスティバルの魅力はやはり素晴らしいもの、
小澤征爾さん率いるメンバーの団結力は、
他ではなかなか見ることのできない
一種独特の巨大な魅力を放っているのだと思います。
今年のサイトウキネン・オーケストラでは
シンフォニー・コンサートの最後に
グスタフ・マーラー作《交響曲 第1番 “巨人”》が演奏されました。
そして演奏を聴きながら、特に最後の「4楽章」に、
強く引き込まれていったのでした。
残念ながら、
我々ピアノ弾きにとっては、
グスタフ・マーラーという作曲家の作品に接する機会は
決して多くは無いといえましょう・・・
歌曲の伴奏が少々、ソロの曲もあるそうですが、
メジャーなものとは決して言えません。
よって、
そんなピアノ弾きにとって遠い存在のマーラーのことを
書くなぞということは、少々おこがましい気もするのですが、
ひとつ、このコンサートを通じて「面白い!!」と
思ったままのことを書いてみたいと思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私のドイツ留学時、
特にお世話になった先生方のひとりが、
和声学のW.G.ライデル先生という方だったのですが、
ドイツ流和声の伝統を引き継ぐ、
ユーモア溢れる、チャーミングで、時に下品な!?、
風貌もいかにも「ドイツ人」なハゲで太っちょなオヤジさん、
そして限りなく音楽を愛している素晴らしい先生です。
この先生がある時、マーラーのことをおっしゃいました。
「Mahler!?Oh, ein Schwein!!」
マーラー!?おぉ、あの豚野郎め!!
上にも書きましたように、この人は「下品」なのです。
しかしその反面には、音楽に対する深い愛情が垣間見られることを
付け加えることを忘れてはなりません・・・
マーラーに対する、一体どのような感情が、
このような言葉をこの人に吐かせたのでしょうか?
そして今回、
サイトウキネンのマーラー《交響曲第1番》の最終楽章、
IV楽章を聞きながら、
ついに、「あ!!ちくちょ~~~~!!!」
と叫びたくなるような瞬間にめぐり合ったのでした。
これは、あくまでもポジティブなものであることを
どうか誤解しないで下さい。
それは、
予想を反した、常軌を逸した「転調」にあります。
《交響曲 第1番 ニ長調D-Dur》と記される通り、
この曲の基調は「ニ長調D-Dur」なのですが、
問題のIV楽章は、荒れ狂う怒涛のような音楽に始まります。
しかし、しばらくすると、
静かに、遠くのほうから?希望に満ちた音が聞こえてきます。
それはハ長調C-Durの澄んだ響き。
「ハ長調」というと、
ベートーヴェン最後のピアノソナタ《op.111》を思い出します。
「天国的な響き」ともいえましょうか。
そして、
このC-Durの響きが増し、
全オーケストラが高々と奏でる緊張感ある「ドミナント」の響きから
いよいよ基調C-Durに解決するか!!!!
と思いきや、
いきなり「ニ長調D-Dur」へとクライマックスが現れたのです。
聴く側は、くるぞ、くるぞ、くるぞ~~~!!!!
とC-Durを期待しているものが、なんと、
全音高くなったD-Durとなって目の前に現れる異変・・・
「あ!?ちくしょ~~~~!!!なんだそれは~~~!?」
と内心さけびながら、同時に
心の底から自分はおおよろこびしているのです・・・
「Mahler!?Oh, ein Schwein!!」
マーラー!?おぉ、あの豚野郎め!!
こう言い放ったライデル先生の気持ちは、
もしかすると、このような感覚のものだったのかもしれません。
《交響曲 第1番》を書いたマーラーはまだまだ若年、
この若き天才は、
伝統的な和声の法則にとらわれず、
とんでもないことをしでかした、ということになるのでしょうか。
「禁断の偉業をなしたマーラー」と、この記事を題しましたが、
20世紀初頭において、有機的な伝統を凌駕し、
新たな試みが一人の作曲家によって
力強く・荒々しく・思い切り良く・
成されたのかもしれません。
↑ランキングにご協力↑クリックよろしくお願いします
…………………………………………………………………
この記事に関するコメントやご連絡等ございましたら、
以下のアドレスまでメッセージをお送り下さい。
PianistSegawaGen@aol.com
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サイトウキネン・オーケストラを聴きに行ってきました。
このオーケストラ=フェスティバルの魅力はやはり素晴らしいもの、
小澤征爾さん率いるメンバーの団結力は、
他ではなかなか見ることのできない
一種独特の巨大な魅力を放っているのだと思います。
今年のサイトウキネン・オーケストラでは
シンフォニー・コンサートの最後に
グスタフ・マーラー作《交響曲 第1番 “巨人”》が演奏されました。
そして演奏を聴きながら、特に最後の「4楽章」に、
強く引き込まれていったのでした。
残念ながら、
我々ピアノ弾きにとっては、
グスタフ・マーラーという作曲家の作品に接する機会は
決して多くは無いといえましょう・・・
歌曲の伴奏が少々、ソロの曲もあるそうですが、
メジャーなものとは決して言えません。
よって、
そんなピアノ弾きにとって遠い存在のマーラーのことを
書くなぞということは、少々おこがましい気もするのですが、
ひとつ、このコンサートを通じて「面白い!!」と
思ったままのことを書いてみたいと思います。
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私のドイツ留学時、
特にお世話になった先生方のひとりが、
和声学のW.G.ライデル先生という方だったのですが、
ドイツ流和声の伝統を引き継ぐ、
ユーモア溢れる、チャーミングで、時に下品な!?、
風貌もいかにも「ドイツ人」なハゲで太っちょなオヤジさん、
そして限りなく音楽を愛している素晴らしい先生です。
この先生がある時、マーラーのことをおっしゃいました。
「Mahler!?Oh, ein Schwein!!」
マーラー!?おぉ、あの豚野郎め!!
上にも書きましたように、この人は「下品」なのです。
しかしその反面には、音楽に対する深い愛情が垣間見られることを
付け加えることを忘れてはなりません・・・
マーラーに対する、一体どのような感情が、
このような言葉をこの人に吐かせたのでしょうか?
そして今回、
サイトウキネンのマーラー《交響曲第1番》の最終楽章、
IV楽章を聞きながら、
ついに、「あ!!ちくちょ~~~~!!!」
と叫びたくなるような瞬間にめぐり合ったのでした。
これは、あくまでもポジティブなものであることを
どうか誤解しないで下さい。
それは、
予想を反した、常軌を逸した「転調」にあります。
《交響曲 第1番 ニ長調D-Dur》と記される通り、
この曲の基調は「ニ長調D-Dur」なのですが、
問題のIV楽章は、荒れ狂う怒涛のような音楽に始まります。
しかし、しばらくすると、
静かに、遠くのほうから?希望に満ちた音が聞こえてきます。
それはハ長調C-Durの澄んだ響き。
「ハ長調」というと、
ベートーヴェン最後のピアノソナタ《op.111》を思い出します。
「天国的な響き」ともいえましょうか。
そして、
このC-Durの響きが増し、
全オーケストラが高々と奏でる緊張感ある「ドミナント」の響きから
いよいよ基調C-Durに解決するか!!!!
と思いきや、
いきなり「ニ長調D-Dur」へとクライマックスが現れたのです。
聴く側は、くるぞ、くるぞ、くるぞ~~~!!!!
とC-Durを期待しているものが、なんと、
全音高くなったD-Durとなって目の前に現れる異変・・・
「あ!?ちくしょ~~~~!!!なんだそれは~~~!?」
と内心さけびながら、同時に
心の底から自分はおおよろこびしているのです・・・
「Mahler!?Oh, ein Schwein!!」
マーラー!?おぉ、あの豚野郎め!!
こう言い放ったライデル先生の気持ちは、
もしかすると、このような感覚のものだったのかもしれません。
《交響曲 第1番》を書いたマーラーはまだまだ若年、
この若き天才は、
伝統的な和声の法則にとらわれず、
とんでもないことをしでかした、ということになるのでしょうか。
「禁断の偉業をなしたマーラー」と、この記事を題しましたが、
20世紀初頭において、有機的な伝統を凌駕し、
新たな試みが一人の作曲家によって
力強く・荒々しく・思い切り良く・
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