「感性」について考えてみました。
感性というものがなんであるか、
生まれつきの天性のものなのか、
あるいは後天的な、人生を歩み続けた
色々な経験・体験から培われるものなのか、
あるいはその両者なのか、
一概に一言にまとめられそうにありません。
しかし、我々が携わる音楽の勉強というものは、
音楽が「芸術」という分野の一分野を成すことに疑いはなく、
その芸術において「感性」というテーマは
大きな部分を占めることも、
どうやら納得のいきそうなものです。
この「感性」をどうしたものか、という問題は、
我々音楽する人々・ピアノを弾く人々にとって
興味深いテーマとなってくるでしょう。
先天的に、音楽的な感覚が身に付いている神童のような人も
少なからずこの世には存在しますし、だからといって、
そうしたずば抜けた感性を持っていないようでも、
「感性を磨く」努力をすることは決して無意味ではなさそうです。
カメさんがウサギさんを追い越すことだって有り得るのですから(笑)
それはさておき、
どうしたら「感性」を磨くことができるのでしょうか。
よく言われるように「音楽家はただ音楽の勉強だけ
していたのではいけない、人生経験を積み、
恋愛・失恋をして、または読書などを進めることで
人間性を磨かねばならない」と勧められることがあり、
それはまさにその通りでしょう。
このような人生そのものを問うような規模の大きな問題も
大いに重要でありますが、実際に音楽と・楽器と向かい合う場
において出来ること・すべきことを考えてみるならば、
それは、様々な具体的な音楽の勉強、特に「読譜」を通して、
過去の大音楽家達の残した楽譜のなかから、
彼らの卓越した高い「感性」に触れ合えるよう努めること、
これがひとつの課題と言えるでしょうか。
そう考えてみますと、
「原典版」の楽譜が価値のあるということは
ここにも裏付けられるかもしれません、すなわち、
原典版という楽譜が「作曲者その人のオリジナル」のもののみを
集約し、それだけを出来る限り楽譜という形にして出版しようという
意識の元に世に送り出されているものであることを前提とすると、
我々この楽譜の使用者Userは、ここを通して、
数百年の時を越えて、彼ら大音楽家の生の音楽的感性の一端に
触れることができるのかもしれないのです。
彼ら、ビッグネームとも呼ばれる作曲家達は、時を越えて
今なお絶大な知名度を誇っていることが証明にもなるよう、
確かにずば抜けた高い境地の楽曲を作曲しているのだと信じられます。
今日なお、彼らの音楽が我々の心を揺さぶり続けるのですから・・・。
彼らの力を信じ、彼らの音楽と向き合って勉強を重ねることは、
彼らの高い音楽的感性に一歩でも近づける手段のひとつと信じて、
音楽の勉強を進めていきたいものです。
音楽blogランキングへ
感性というものがなんであるか、
生まれつきの天性のものなのか、
あるいは後天的な、人生を歩み続けた
色々な経験・体験から培われるものなのか、
あるいはその両者なのか、
一概に一言にまとめられそうにありません。
しかし、我々が携わる音楽の勉強というものは、
音楽が「芸術」という分野の一分野を成すことに疑いはなく、
その芸術において「感性」というテーマは
大きな部分を占めることも、
どうやら納得のいきそうなものです。
この「感性」をどうしたものか、という問題は、
我々音楽する人々・ピアノを弾く人々にとって
興味深いテーマとなってくるでしょう。
先天的に、音楽的な感覚が身に付いている神童のような人も
少なからずこの世には存在しますし、だからといって、
そうしたずば抜けた感性を持っていないようでも、
「感性を磨く」努力をすることは決して無意味ではなさそうです。
カメさんがウサギさんを追い越すことだって有り得るのですから(笑)
それはさておき、
どうしたら「感性」を磨くことができるのでしょうか。
よく言われるように「音楽家はただ音楽の勉強だけ
していたのではいけない、人生経験を積み、
恋愛・失恋をして、または読書などを進めることで
人間性を磨かねばならない」と勧められることがあり、
それはまさにその通りでしょう。
このような人生そのものを問うような規模の大きな問題も
大いに重要でありますが、実際に音楽と・楽器と向かい合う場
において出来ること・すべきことを考えてみるならば、
それは、様々な具体的な音楽の勉強、特に「読譜」を通して、
過去の大音楽家達の残した楽譜のなかから、
彼らの卓越した高い「感性」に触れ合えるよう努めること、
これがひとつの課題と言えるでしょうか。
そう考えてみますと、
「原典版」の楽譜が価値のあるということは
ここにも裏付けられるかもしれません、すなわち、
原典版という楽譜が「作曲者その人のオリジナル」のもののみを
集約し、それだけを出来る限り楽譜という形にして出版しようという
意識の元に世に送り出されているものであることを前提とすると、
我々この楽譜の使用者Userは、ここを通して、
数百年の時を越えて、彼ら大音楽家の生の音楽的感性の一端に
触れることができるのかもしれないのです。
彼ら、ビッグネームとも呼ばれる作曲家達は、時を越えて
今なお絶大な知名度を誇っていることが証明にもなるよう、
確かにずば抜けた高い境地の楽曲を作曲しているのだと信じられます。
今日なお、彼らの音楽が我々の心を揺さぶり続けるのですから・・・。
彼らの力を信じ、彼らの音楽と向き合って勉強を重ねることは、
彼らの高い音楽的感性に一歩でも近づける手段のひとつと信じて、
音楽の勉強を進めていきたいものです。
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