「指使い」は、
ピアノを弾く者にとって技術的・音楽的の両面において
大きく関わる非常に重要な問題であることに、異論はないと思います。
次回9月のコンサートに向けて、
ベートーヴェン《ピアノソナタ26番op.81a“告別”》の準備に入ったのですが、
この曲は、
以前、現在のドイツ留学の門出となる、数年前の日本での
最後のリサイタルで弾いた曲でもあり、まぁ、
いってみれば自分にとっては「お古」の曲なのですが・・・
この「お古」であることには長所と短所があるようで、
頭と体が自然と音楽を覚えていて、すいすいと弾ける部分もあれば、
当時の悪い癖がそのまま体に染み付いており、今現在の理想とする
音楽をしようとする際に、そうした「昔のクセ」が障害となって
しまうことが無くもありません。
「指使い」も、その典型のひとつ言えるでしょう。
久々に広げてみた楽譜を見ながら音楽を追い、当時の自分の書き込み等に
時には納得したり、時には訂正したりと、作業をしていたのですが、
以前の自分にとって「なんて弾きにくいのだろう、もっと練習が必要だ」
と思っていた多くの箇所を、
数年のブランクを経て(!?)得ることの出来た経験と勉強によって、
面白いほど弾き易くなったりもするのでした。
当時の自分はどちらかというと、その楽譜に印刷されている指使いを
そのまま守る傾向にあったようです。それは、自分の体が
恐ろしいほどに覚えてしまっている無意識に動く指使いが物語って
いました。
しかし、
今考え、鍵盤に向かってこの同じ楽曲をさらってみて、
そうした当時の指使いが、音楽の自然な流れを損ねている、
それゆえに弾き難かったのではないか、と思わせることが
多々あったのでした。
つづく
ピアノを弾く者にとって技術的・音楽的の両面において
大きく関わる非常に重要な問題であることに、異論はないと思います。
次回9月のコンサートに向けて、
ベートーヴェン《ピアノソナタ26番op.81a“告別”》の準備に入ったのですが、
この曲は、
以前、現在のドイツ留学の門出となる、数年前の日本での
最後のリサイタルで弾いた曲でもあり、まぁ、
いってみれば自分にとっては「お古」の曲なのですが・・・
この「お古」であることには長所と短所があるようで、
頭と体が自然と音楽を覚えていて、すいすいと弾ける部分もあれば、
当時の悪い癖がそのまま体に染み付いており、今現在の理想とする
音楽をしようとする際に、そうした「昔のクセ」が障害となって
しまうことが無くもありません。
「指使い」も、その典型のひとつ言えるでしょう。
久々に広げてみた楽譜を見ながら音楽を追い、当時の自分の書き込み等に
時には納得したり、時には訂正したりと、作業をしていたのですが、
以前の自分にとって「なんて弾きにくいのだろう、もっと練習が必要だ」
と思っていた多くの箇所を、
数年のブランクを経て(!?)得ることの出来た経験と勉強によって、
面白いほど弾き易くなったりもするのでした。
当時の自分はどちらかというと、その楽譜に印刷されている指使いを
そのまま守る傾向にあったようです。それは、自分の体が
恐ろしいほどに覚えてしまっている無意識に動く指使いが物語って
いました。
しかし、
今考え、鍵盤に向かってこの同じ楽曲をさらってみて、
そうした当時の指使いが、音楽の自然な流れを損ねている、
それゆえに弾き難かったのではないか、と思わせることが
多々あったのでした。
つづく