(前置き)
もしも、Henle関係者の目に触れたら、
あまり良い印象ではない日記の題名となってしまいましたが、
しかし、
良心と誇りある、世界的クラシック音楽出版社であることを信じ、
使用者の声に真摯に耳を傾け、さらなる努力を払う懐の深さを
持ったHenleであることを信じ、ひとつずけずけと(!?) 書いて
みたいと思います。
(補足)自分の使っているHenle版《Beethoven Klavier Sonaten》は
序文に1976年の日付がついた、いわゆる「ベートーヴェン全集」と
呼ばれるものだと思います。21世紀になった現在、Henle社では、
新たなベートーヴェン・ピアノソナタの楽譜出版を勧めている最中
のはずですので、ここにおいて言及することは、その最新のHenleを
あてて書かれたものではありませんことを、付け加えさせてください。
◇◆◇◆
Henle版の指使いを見ながら、私の観察する限りでの
その大きな特徴を挙げてみますと、それは、
●黒鍵に1指を極力使わないよう避ける
という特徴があるように思われます。
すなわち、これはこの版の指使いを担当した
20世紀のドイツを代表するピアニストのひとりでもある
Conrad Hansen(コンラート・ハンゼン)氏の考えをひとえに反映している
ものと考えられます。
これは、
まことにピアノを弾く上での「基本中の基本」ですが、
しかし、
楽曲の部分部分において、この考えが邪魔をし、
ベートーヴェンや、ショパン、あるいはバッハなど、
ピアノや鍵盤楽器を達者に弾いた彼ら大作曲家の作品において、
上記の常識を超えて、
「1指を黒鍵に持ってくる」ことが、ひとつの旋律を弾く上で
より自然の形であったりすることが、少なくないように思えるのです。
一つ例に、
今日の先ほどの練習での収穫をご紹介してみますと、
ベートーヴェン《ソナタ26番op.81a“告別”》第2楽章にて、
右手一本で一筆書きのように奏されるカデンツァのような
パッセージが二回あるのですが(13・14小節、そして29,30小節、ともに
アウフタクトを含む)
これを
Henle版の指使いで弾いてみますと、
「3123 2132 1345 3212 1234 2132 4212 5312 5 3 2 1」
となるとはずなのですが、
これをひとつ、
私の考える自然と思われる指使いで表しますと、
「2345 4321 2345 4321 2345 4321 5432 5432 5 3 2 1」
となる予定なのですが・・・・
この奇妙なふたつの数列(運指番号)を見比べてみて分かることは、
上の数列においては、一見した上での規則性はありません。
このHenleの指使いは、おそらくは
「黒鍵に1指を持ってこない」という大前提の元に、
黒鍵1指を避けるよう、次々とポジションを変えながら
その時々の最も適した指使いを考慮したものであると考えられます。
下の数列においては、基本的に「1→2→3→4→5」あるいはその逆の、
規則正しい指の順次進行の形を留めているはずです。
もちろん、忘れてはならないのは
このパッセージは隣の鍵盤へと順に移動していくような音階とは違って、
白鍵と黒鍵が入り乱れ、3度、時に4度の跳躍などを伴い、これを
「23」と続く指で弾くのは、時に指に負担がかかるものですが、
自分にとっては、連なる指のまかせるままに「12345」と
順番に指を動かし、旋律を追ったほうが、音楽の旋律と指の動きとが
一体となり、より自然であるように思えるのです。
幸か不幸か!? 今日の練習において、このパッセージでは
こうした順番に連なる指使いがぴたり当てはまってしまいました。
想像を膨らませるならば、
作曲者ベートーヴェン自身、このような5本ある指をまんべんなく使い、
それの鍵盤の上を流れるがままを、楽譜に書き記していったのでは
ないだろうか、という推測が立たなくもありません。
指使いと音楽は、密接な結びつきをもって、
作曲家の生きていた時代から数世紀のときを超え、
現代を生きる我々に普遍的なピアノ音楽の鍵を示してくれている
のかもしません・・・・。
最後に、
Henle社の、過去の大作曲家達の真意に沿おうと努力を払い、
利用者に「原典」としての多大な信頼をもたらそうと努力を払う
その姿勢に敬意を表すと共に、作曲家の生の声を、時空を超えて
今現在の我々に伝えてくれるチャンスを与えてくれるこれらの楽譜を
提供していただけることに、感謝の念をささげます。
だからこそ、
まじめに考えた利用者の「文句」というのも、
意味あるものと信じています。
(上げては下げ)
もしも、Henle関係者の目に触れたら、
あまり良い印象ではない日記の題名となってしまいましたが、
しかし、
良心と誇りある、世界的クラシック音楽出版社であることを信じ、
使用者の声に真摯に耳を傾け、さらなる努力を払う懐の深さを
持ったHenleであることを信じ、ひとつずけずけと(!?) 書いて
みたいと思います。
(補足)自分の使っているHenle版《Beethoven Klavier Sonaten》は
序文に1976年の日付がついた、いわゆる「ベートーヴェン全集」と
呼ばれるものだと思います。21世紀になった現在、Henle社では、
新たなベートーヴェン・ピアノソナタの楽譜出版を勧めている最中
のはずですので、ここにおいて言及することは、その最新のHenleを
あてて書かれたものではありませんことを、付け加えさせてください。
◇◆◇◆
Henle版の指使いを見ながら、私の観察する限りでの
その大きな特徴を挙げてみますと、それは、
●黒鍵に1指を極力使わないよう避ける
という特徴があるように思われます。
すなわち、これはこの版の指使いを担当した
20世紀のドイツを代表するピアニストのひとりでもある
Conrad Hansen(コンラート・ハンゼン)氏の考えをひとえに反映している
ものと考えられます。
これは、
まことにピアノを弾く上での「基本中の基本」ですが、
しかし、
楽曲の部分部分において、この考えが邪魔をし、
ベートーヴェンや、ショパン、あるいはバッハなど、
ピアノや鍵盤楽器を達者に弾いた彼ら大作曲家の作品において、
上記の常識を超えて、
「1指を黒鍵に持ってくる」ことが、ひとつの旋律を弾く上で
より自然の形であったりすることが、少なくないように思えるのです。
一つ例に、
今日の先ほどの練習での収穫をご紹介してみますと、
ベートーヴェン《ソナタ26番op.81a“告別”》第2楽章にて、
右手一本で一筆書きのように奏されるカデンツァのような
パッセージが二回あるのですが(13・14小節、そして29,30小節、ともに
アウフタクトを含む)
これを
Henle版の指使いで弾いてみますと、
「3123 2132 1345 3212 1234 2132 4212 5312 5 3 2 1」
となるとはずなのですが、
これをひとつ、
私の考える自然と思われる指使いで表しますと、
「2345 4321 2345 4321 2345 4321 5432 5432 5 3 2 1」
となる予定なのですが・・・・
この奇妙なふたつの数列(運指番号)を見比べてみて分かることは、
上の数列においては、一見した上での規則性はありません。
このHenleの指使いは、おそらくは
「黒鍵に1指を持ってこない」という大前提の元に、
黒鍵1指を避けるよう、次々とポジションを変えながら
その時々の最も適した指使いを考慮したものであると考えられます。
下の数列においては、基本的に「1→2→3→4→5」あるいはその逆の、
規則正しい指の順次進行の形を留めているはずです。
もちろん、忘れてはならないのは
このパッセージは隣の鍵盤へと順に移動していくような音階とは違って、
白鍵と黒鍵が入り乱れ、3度、時に4度の跳躍などを伴い、これを
「23」と続く指で弾くのは、時に指に負担がかかるものですが、
自分にとっては、連なる指のまかせるままに「12345」と
順番に指を動かし、旋律を追ったほうが、音楽の旋律と指の動きとが
一体となり、より自然であるように思えるのです。
幸か不幸か!? 今日の練習において、このパッセージでは
こうした順番に連なる指使いがぴたり当てはまってしまいました。
想像を膨らませるならば、
作曲者ベートーヴェン自身、このような5本ある指をまんべんなく使い、
それの鍵盤の上を流れるがままを、楽譜に書き記していったのでは
ないだろうか、という推測が立たなくもありません。
指使いと音楽は、密接な結びつきをもって、
作曲家の生きていた時代から数世紀のときを超え、
現代を生きる我々に普遍的なピアノ音楽の鍵を示してくれている
のかもしません・・・・。
最後に、
Henle社の、過去の大作曲家達の真意に沿おうと努力を払い、
利用者に「原典」としての多大な信頼をもたらそうと努力を払う
その姿勢に敬意を表すと共に、作曲家の生の声を、時空を超えて
今現在の我々に伝えてくれるチャンスを与えてくれるこれらの楽譜を
提供していただけることに、感謝の念をささげます。
だからこそ、
まじめに考えた利用者の「文句」というのも、
意味あるものと信じています。
(上げては下げ)