ブラームス《ドイツ・レクイエム》第6楽章
この大曲《ドイツ・レクイエム》の
「クライマックス」がここにあるといってよいでしょう。
すなわち、
ここまでの楽章で色々な角度で接してきた「死」というものに対する
ひとつの完全な抵抗を試みるのがこの6楽章であり、ここには
死を乗り越える具体的な事例が、音楽となって姿を現すのです。
Denn wir haben hie keine bleibende Statt,
sondern die zukuenftige suchen wir.
(この世に我々の留まる場所はない、そうではなく
未来におけるところを我々は探しているのだ)
コーラスが「喜怒哀楽の感情」を超えて
我々の現世での境遇を物語ります。
前の楽章での「母との別れ」に涙せざるを得ないほどの感動的な状況の後に
楽曲が引き続き演奏されるためにも、
この不気味な「無感情」に近い音楽性は
我々が感傷に没することを防いでくます。
感情のバランスをも見事に取り扱うブラームスの心意気が
ここではありがたい限りです。
バリトンのソロが我々に指針を示します。
Siehe, ich sage euch ein Geheimnis:
(見なさい、あなたがたにある秘密を教えてあげよう)
・・・どんな秘密を教えてくれるというのでしょうか?
Wir werden nicht alle entschlafen,
(我々は皆眠りに堕ちるではない)
wir werden aber alle verwandelt werden:
(我々は皆そうではなく変身させられるのだ)
なんと・・・ブラームスは「輪廻転生」を掲げます
und dasselbige ploetzlich, in einem Augenblick,
(そして突如として、ほんの一瞬の間に)
zu der Zeit der letzten Posaune.
(最後の審判のラッパの音とともに)
この「ラッパPosaune」の合図とともに、
音楽は急転直下、疾風怒涛、まるで巨大な音楽の渦巻きが
全世界を呑み込まんがのごとく猛り狂います
Denn es wird die Posaune schallen,
und die Toten werden auferstehen unverweslich,
und wir werden verwandelt werden.
(ラッパの音が鳴り響き
死者達はよみがえる、朽ち果てぬものとして、
そして我々は変身(転生)させられるのだ)
なんということでしょう・・・!!
最後の審判のラッパの音と共に死者はよみがえる・・・
とんでもないことが起こっているのです
バリトンのソロがその次に起こることを告げます
Dann wird erfuellet werden
das Wort, geschrieben steht:
(そしてことは成熟する、
聖書の言葉にあるように)
コーラスが続いて勝鬨(かちどき)をあげます
Der Tod ist verschlungen in den Sieg.
(死は勝利の中に呑み込まれた)
この音楽の巨大な渦巻きが飲み込もうとしている相手は
我々の究極的な敵でもある「死」なのです、
「死」は呑み込まれたのです!
永遠の輪廻転生の真理の元に!!
Tod, wo ist dein Stachel?
Hoelle, wo ist dein Sieg?
(死よ、おまえの棘はどこにある?
地獄よ、お前の勝利はどこにある?)
「死」はもはや恐れるに足るものではなくなったのです、
「死」は淘汰されてしまったのです、
本来「死」こそが「淘汰」であるはずのものが、
その「死」が「輪廻転生の理」の元に淘汰されてしまった、
「死よ、おまえの棘はどこにある?(おまえの棘なぞ痛くない!!)」
「地獄よ、お前の勝利はどこにある?(おまえに勝利は無い!!)」
ブラームスはしかし決して
「勝った!」とは言いませんでした、
我々皆にとっての未知なる「死」というものに対して
決定的な決断を下すことは出来ないのです、だからこそ含蓄がある、
声を大にして我々は「死」にむかって叫ぶことが出来るのです、
「貴様の勝利はどこだ!!」
ところで以前、
ギリシア哲学プラトンの著作『パイドン』において
数学的ともいえる言葉の検証の末、
死が完全に克服されることが証明されるのを見たことがあります。
もしかするとこのブラームス《ドイツ・レクイエム》は
クラシック音楽のジャンルにおける『パイドン』と
言うことができるのかもしれません。
つづく
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