ブラームス《ドイツ・レクイエム》においては、
感動的な瞬間がたくさんあります。
それにしても、
最も感動的なのは、きっと、やはり、この第5楽章かもしれません。
これは、指揮者シュナイト先生もおっしゃられたことです。
この第5楽章の意味するところは、
・・・母(はは)・・・
です。
《ドイツ・レクイエム》が作曲された契機には、
ブラームス自身の母の死が、少なからず関連しています。
1865年2月2日に、ブラームスの母親は亡くなったそうです。
この作品(レクイエム)の構想は、長い年月をかけて
若きブラームス(32歳)の脳裏を巡っていたらしいのですが、
この母の死を境に、《ドイツ・レクイエム》はいよいよ
完成に向けて足をはやめたとのことです。
そして、
この第5楽章は、全7楽章あるこの作品のうちで、
一番最後に出来上がったものだそうです。
1868年5月、この楽章が完成し、ついに
この作品の全貌があらわになったということになります。
母の死から3年
ブラームスは、このことを自身の中に
3年の年月を経てしかと受け入れることができたのかもしれません、
そして、この楽章を仕上げることができた・・・?
そして、この音楽で現れる母は、
彼個人にとっての一人の母を超越した
普遍的な「母」のすがた
のように、今の私は思い・感じるのです。
素晴らしく・・・感動的な音楽は、
この《ドイツ・レクイエム》にてここが唯一の出番である
ソプラノ(女性高音域)のソロ(独唱)によって歌われます。
彼女は、母、そのもの、となるのです、この音楽において。
母は言います、
Ihr habt nun Traulichkeit,
aber ich will euch wieder sehen, und euer Herz soll sich freuen,
(あなた達は今悲しみの内にあるかもしれません、
しかし私はあなた達と再び会えましょう、
だからあなた達の心は喜ぶべきなのです)
母を失くした悲しみ、しかし、また会うことが出来る希望
母を失くしたブラームスの、彼自身の選んだテクストが
この音楽には使われているのです、
ブラームスは信じているのです、
再び母に会えることを、
亡き人に再びめぐり会えることを
母は続けていいます、
Sehet mich an:
Ich habe eine kleine Zeit muehe und Arbeit gehabt
und habe grossen Trost funden.
(私を見なさい、
私はほんの小さな時間を、労力と仕事に費やしました、
そして今、大きな慰みを見つけたのです)
・・・亡き母はあちらの世界から我々に教えてくれます、
この世に生きている間の苦労や仕事は、
ほんの小さな時間のことでしかなかったと、
そしてその後の世界で、大きな癒しを得るに至ったと
あちらの世界へ渡った母に、心配する必要はないよ、
こちらの世界にまだ生きる我々にとっての苦労も、
ほんの今のことでしかないのだから、心配しなくていいよ、
両方にとっての「grossen Trost大きな慰み」を
この音楽は保証してくれるかのようです。
癒されましょう、癒されてください、この素晴らしい音楽に・・・
コーラスはこの楽章では、
母の周囲を取り巻く天上の声のように響き渡ります
Ich will euch troesten,
wie einen seine Mutter troestet
(私が慰めてあげましょう、
母親が子を慰めてあげるように)
母と天は一体となって、
我々人類に救いの手を差し伸べてくれます
コーラスの声に混じって、母の声が最後に聴こえてきます、
wieder sehen, wieder sehen, wieder sehen!
また会いましょう、また会いましょう、また会いましょう!
つづく
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