昨日、鎌倉生涯学習センター ホールにて
リサイタルを行ってきました。
鎌倉という、歴史深く・文化の薫り高い地にて
演奏させていただきましたのは、日本人として、
なんとも感慨深いものを感じました。
ご来場の皆様には、
この場をお借りして御礼申し上げます。
ありがとうございました!!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
昨日のプログラムは、
数日後の2月23日(月)東京文化会館
におけるリサイタルと同じものです。
●前半をショパン
《ノクターン第7番 嬰ハ短調cis-moll op.27-1》
《ノクターン第8番 変ニ長調Des-Dur op.27-2》
《ピアノソナタ第2番 変ロ短調b-moll op.35“葬送”》
《スケルツォ第2番 変ロ短調b-moll op.31》
●後半はベートーヴェン
《ピアノソナタ第29番 変ロ長調B-Dur op.106“ハンマークラヴィア”》
アンコールも無しで、
7時開演のコンサートは、ぴったり9時に終わるという、
リサイタルの本プログラムとしては、長めのものとなっておりました・・・
いや、自分なりに予想はしていたのですが、
実際のコンサートとして舞台に上げてみて、実感として、なるほど、確かに
大きなプログラムだったな・・・と思うところは、正直あるのです・・・。
前半のショパンの曲たちは、
30歳前後の若き(!?)ショパンが肺結核を患い、
自分自身の「死」というものに関して、いよいよ意識し始めた時期に
書かれた作品なのではないか、と思われるものが並びます。
《“葬送ソナタ”》とも呼ばれる曲名からしても、それは
暗示されているようにも思われます・・・。
その第3楽章《葬送行進曲》と同時期に書かれた有名曲《スケルツォ第2番》
に垣間見れる「生」と「死」の闘いは、ショパンのライヴァルでもある
作曲家リストの《ダンテ『神曲』を読んで》のような内容!?とすら
今の私には思われてしまいます・・・
リサイタル全体として見回してみますと、
始まりは、ショパンの至極の名曲《ノクターンop.27》に幕を開け、
それを、
日本の伝統芸能「能」に伝わる「序破急」に当てはめるならば、
●《ノクターン》を「序」とし、
●《ソナタ》《スケルツォ》を「破」とし、
後半のベートーヴェン
●《ハンマークラヴィア・ソナタ》を「急」とする
順序となり、これはプログラムにも印刷される予定でおります。
「急」となる《ハンマークラヴィア・ソナタ》は、
こちらのブログの記事でもさんざん書いてきましたが、
とにかく、ベートーヴェンの全32曲ある《ピアノソナタ》の内、
最も長大にして、最も難しいといわれる作品です・・・
実際、昨日の鎌倉公演でも
舞台の上で、特に第4楽章《フーガ》においては、
何度も「うわ~~~!!」と叫びそうになるような
難しいパッセージがいくつもありました・・・
とにかく・・・いくら練習しても大変なのです・・・
そういう曲なのです、そういう音楽なのです、
とにかく、《ハンマークラヴィア》を弾くということが
ピアノ弾きにとっての「一大挑戦」であるということは、
昨日の本番を持ってしても、更なる確固たる意見となりました。
そんな大曲を、
日本帰国後、世界の文化の先端を担っていると言って過言ではない
東京という大都会におけるコンサートに、舞台に上げようと決めたのは
自分自身であり、今更後戻りをすることも出来ず、また、いたしません。
会場は、日本クラシック音楽業界にとって由緒ある
東京文化会館にて、演奏できる機会をいただきました。
やるしかない。
やる、のです。
ご来場の皆様には、
一人の人間が、燃焼する姿を、
見届けに来ていただく心づもりでいらしたら、
もしかしたら見ごたえがあるかもしれず、
それを面白いと思っていただけたら
嬉しく思います。
愛読書の『のだめカンタービレ』で、
主人公「のだめ」の初めてのリサイタルが
フランスの地方のお城で行われましたが、
その際、彼女は、
「楽しんで演奏しますので、がんばって聴いてください」
と言って、場内の笑いを取るという場面がありました。
今回の私のリサイタルに、ちょっとそれを拝借いたしますと、
「がんばって演奏しますので、がんばって聴いてください」
・・・聴きに来ていただいた皆様にむかって
「がんばって下さい」というのはなんともひどい話なのですが・・・
実際、そういうことになるような気がしています・・・
すみません・・・
そんな音楽会もあるのかもしれない、と
思っていただけたら光栄です。
P.S.
・・・とはいえ、もちろん
「ただ大変」なのではなく、音楽の中身を
もちろん追及している上での「大変」であります。
おそらくは、
「神」や「天」と、それに「悪魔」とも、そして
「人」と「人」として対話することになる・・・と言えましょうか。(・・・!?)
まぁ、いずれにしても「大変」な内容であることには
変わりありませんが・・・
リサイタルを行ってきました。
鎌倉という、歴史深く・文化の薫り高い地にて
演奏させていただきましたのは、日本人として、
なんとも感慨深いものを感じました。
ご来場の皆様には、
この場をお借りして御礼申し上げます。
ありがとうございました!!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
昨日のプログラムは、
数日後の2月23日(月)東京文化会館
におけるリサイタルと同じものです。
●前半をショパン
《ノクターン第7番 嬰ハ短調cis-moll op.27-1》
《ノクターン第8番 変ニ長調Des-Dur op.27-2》
《ピアノソナタ第2番 変ロ短調b-moll op.35“葬送”》
《スケルツォ第2番 変ロ短調b-moll op.31》
●後半はベートーヴェン
《ピアノソナタ第29番 変ロ長調B-Dur op.106“ハンマークラヴィア”》
アンコールも無しで、
7時開演のコンサートは、ぴったり9時に終わるという、
リサイタルの本プログラムとしては、長めのものとなっておりました・・・
いや、自分なりに予想はしていたのですが、
実際のコンサートとして舞台に上げてみて、実感として、なるほど、確かに
大きなプログラムだったな・・・と思うところは、正直あるのです・・・。
前半のショパンの曲たちは、
30歳前後の若き(!?)ショパンが肺結核を患い、
自分自身の「死」というものに関して、いよいよ意識し始めた時期に
書かれた作品なのではないか、と思われるものが並びます。
《“葬送ソナタ”》とも呼ばれる曲名からしても、それは
暗示されているようにも思われます・・・。
その第3楽章《葬送行進曲》と同時期に書かれた有名曲《スケルツォ第2番》
に垣間見れる「生」と「死」の闘いは、ショパンのライヴァルでもある
作曲家リストの《ダンテ『神曲』を読んで》のような内容!?とすら
今の私には思われてしまいます・・・
リサイタル全体として見回してみますと、
始まりは、ショパンの至極の名曲《ノクターンop.27》に幕を開け、
それを、
日本の伝統芸能「能」に伝わる「序破急」に当てはめるならば、
●《ノクターン》を「序」とし、
●《ソナタ》《スケルツォ》を「破」とし、
後半のベートーヴェン
●《ハンマークラヴィア・ソナタ》を「急」とする
順序となり、これはプログラムにも印刷される予定でおります。
「急」となる《ハンマークラヴィア・ソナタ》は、
こちらのブログの記事でもさんざん書いてきましたが、
とにかく、ベートーヴェンの全32曲ある《ピアノソナタ》の内、
最も長大にして、最も難しいといわれる作品です・・・
実際、昨日の鎌倉公演でも
舞台の上で、特に第4楽章《フーガ》においては、
何度も「うわ~~~!!」と叫びそうになるような
難しいパッセージがいくつもありました・・・
とにかく・・・いくら練習しても大変なのです・・・
そういう曲なのです、そういう音楽なのです、
とにかく、《ハンマークラヴィア》を弾くということが
ピアノ弾きにとっての「一大挑戦」であるということは、
昨日の本番を持ってしても、更なる確固たる意見となりました。
そんな大曲を、
日本帰国後、世界の文化の先端を担っていると言って過言ではない
東京という大都会におけるコンサートに、舞台に上げようと決めたのは
自分自身であり、今更後戻りをすることも出来ず、また、いたしません。
会場は、日本クラシック音楽業界にとって由緒ある
東京文化会館にて、演奏できる機会をいただきました。
やるしかない。
やる、のです。
ご来場の皆様には、
一人の人間が、燃焼する姿を、
見届けに来ていただく心づもりでいらしたら、
もしかしたら見ごたえがあるかもしれず、
それを面白いと思っていただけたら
嬉しく思います。
愛読書の『のだめカンタービレ』で、
主人公「のだめ」の初めてのリサイタルが
フランスの地方のお城で行われましたが、
その際、彼女は、
「楽しんで演奏しますので、がんばって聴いてください」
と言って、場内の笑いを取るという場面がありました。
今回の私のリサイタルに、ちょっとそれを拝借いたしますと、
「がんばって演奏しますので、がんばって聴いてください」
・・・聴きに来ていただいた皆様にむかって
「がんばって下さい」というのはなんともひどい話なのですが・・・
実際、そういうことになるような気がしています・・・
すみません・・・
そんな音楽会もあるのかもしれない、と
思っていただけたら光栄です。
P.S.
・・・とはいえ、もちろん
「ただ大変」なのではなく、音楽の中身を
もちろん追及している上での「大変」であります。
おそらくは、
「神」や「天」と、それに「悪魔」とも、そして
「人」と「人」として対話することになる・・・と言えましょうか。(・・・!?)
まぁ、いずれにしても「大変」な内容であることには
変わりありませんが・・・