音楽家ピアニスト瀬川玄「ひたすら音楽」

♪クラシック音楽の伝統を受け継ぐ真の音楽芸術家を目指して活動しています♪ 「YouTubeクラシック音楽道場」も更新中♪

◆ショパン《スケルツォ第2番 op.31》における中間部のテンポの問題

2009年02月17日 | ベートーヴェン Beethoven
ピアノの詩人F.ショパン作曲

《スケルツォ第2番 変ロ短調 op.31》は、
数ある彼の手による名曲の中でも、
一二の位置をしめるであろう有名曲にして、
ピアノを弾く多くの人々にとっての憧れの曲でもあります。



古今東西の実に多くのピアニスト達がこれを弾き
多くの録音も残され、また今日においても、
多くのステージ上で演奏されていることでしょう。


ゆえに、
名曲というものは、
実に聴く人々(それは演奏者その人も含めて)の耳に
すっかり馴染んでいるものでもあり、
それゆえに、
これほどの有名曲をステージの上に乗せるということは
弾き手にとっての多大なプレッシャーとなるともいえるようです・・・


しかし、
今日21世紀、よくよく研究の進んだ原典の楽譜が
手軽に手に入るようになり、ゆえに、
ショパンその人の手による音楽の流れを
我々が、我々自身の目と手により
体現できる可能性を得る今日においては、
この、
あまりに耳に慣れ親しんだ「有名曲」であるがゆえの
大きな落とし穴が現れてくるものなのかもしれません・・・
(あるいはそれは、原典の楽譜の有無に限らず、
今日において忘れ去られてしまった貴重で有用な
伝統の一部であったのかもしれませんが・・・)


そんな多くの人々の耳に知れ渡った超有名曲のひとつ、
《スケルツォ第2番 op.31》における大きな問題点は、


「中間部のテンポ」


楽譜を見てみますと、
この中間部において譜面上には、



と、
このように「sostenuto」としか書いてありません。


ショパンが「sostenuto」と書くときは、
「実に美しく(ショパンらしく!?)朗々と歌われる」
ような表情を、この言葉が表していると解釈することが
できるようです。(これはショパンの《エチュードop.10&op.25》の
ウィーン原典版を校訂したP.バドゥラ・スコダ氏が言っていました)


「sostenuto」という楽語そのものの意味も、
表情としては「高い品格」「気高さ」「尊厳」といった
イメージであるとのことです。そしてその中には、
「速さ」「遅さ」に関する意味合いはありません・・・


しかし、問題は、
世間一般的に、この部分《スケルツォ第2番》の中間部が
どのようなテンポで演奏されることが多いかといいますと・・・
おそらくは、
冒頭のテンポから大幅にはずれた、
「Largo」もしくは「Lento」や「Adagio」のように
演奏されていることが多いのではないでしょうか?


試しに、
ショパンの全4曲ある《スケルツォ》の中間部に記された
言葉を調べて並べてみますと、以下のようになります。

《スケルツォ第1番 op.20》~「Molto piu lento」
《スケルツォ第2番 op.31》~「sostenuto」
《スケルツォ第3番 op.39》~「meno mosso」
《スケルツォ第4番 op.54》~「Piu lento」

このように、《第2番》を除き他の3曲には、
「lento」であったり「meno mosso」という
明らかにテンポが遅くなることを意味する言葉が
使われています。

それに対し、《第2番》においては
「sostenuto」とだけしかありません・・・


なるほど、
ショパン特有の「sostenuto」として、
ゆったりと、朗々と歌われるために
多少テンポが遅めになるということはありえましょう。
いや、そうでないと「sostenuto」という表情は
出てこないともいえましょう。
さらに付け足せば、
中間部(「Trio」と言われることもある)において
テンポが冒頭のそれよりも若干遅くなるというのは、
とても“クラシック(古典的)”で、
間違いとはいえない解釈のひとつとも言えます。


しかし、問題はその加減・・・


これが「遅すぎ」てしまっては、
全く別の音楽になってしまいます。

ましてや、まるで
「lento」とか「meno mosso」といったような「テンポを遅くする」という指示が
書いてあるかのように演奏されてしまうとすれば、
これは天才ショパンの思い描いた精密な芸術音楽とは
かけ離れたものとなってしまうのではないでしょうか!?


こうした問題提起を通して、
過去の名演や、人それぞれの解釈を
否定しようというわけではありません。


あるひとつの解釈として、
天才ショパンの音楽の高みを垣間見んと
試行錯誤する上で、この「sostenuto」という言葉に
どのような音楽的効果・意味合いが込められているのかを
研究してみようという態度で、この問題について考え、
これをまとめて書いてみようという、
これはひとつの試みなのです。



しかしさらに一言付け加えなければならないのは、
この問題は、私個人の意見ではなく、
師匠クラウス・シルデ先生を始め、
マスタークラスでお世話になったパウル・バドゥラ・スコダ氏など、
クラシック音楽の世界を担う伝統と功績ある人々が
口を揃えて忠告していることでもあるのです。

これらの忠告を自分が直接耳にし、
この場をお借りして、少しでも多くの方々に、
このような意見・音楽の読み方・音楽との付き合い方・音楽の深め方が
あるということを目に留めていただけるならば、
きっと前述の先生方にも満足していただけるのではと願いつつ、
ここに、この《スケルツォ第2番》における「中間部 sostenuto」という
テンポの問題を書きあげたいと思います。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ◆ショパン《ソナタ第2番op.35... | トップ | ◆ドイツ人にとって音楽するこ... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。