以前から、この曲を弾きながら不思議に思っていた箇所があります。
それは、終楽章・展開部終わりに現れるベートーヴェン自身による
「Contra E」という不思議な表記(第223小節)。
(残念ながらこの表記についてのはっきりとした確証は未だ得られず、
ここから先書くことはノンフィクション!?ではあるのですが、自分の思いついたままを書くよう試みますので、そのつもりで読んでいただけると幸いです。
そして、この「Contra E」について、何か知ってらっしゃる方いらしたら、是非ともコメント下さい!)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この《op.101》終楽章、A-Dur(イ長調)の明るい響きにのって、
それはまるで「歓喜」を歌っているような、とてもポジティブな音楽!!!
なのですが・・・弾き手にとっては・・・展開部が曲者・・・
この展開部、「対位法」を駆使した「Fughetta(フゲッタ)」から成ります。
「対位法」は後期ベートーヴェンの音楽におけるひとつのキーワードと言えまして、中期を過ぎたベートーヴェンがこの対位法を、おそらくはバッハの音楽を再勉強することで、新たな境地に達したのがこの後期の作品群であると考えられます。
この対位法を駆使した様子を挙げてみますと、
●声部が入り乱れ、
●二声部が平行に動いたかと思えばいきなり反抗したり、
●弾き手はどの音をどちらの手でとろうか必死になって工夫し、
●メロディーがあっちやこっちに現れて把握するのが大変、
そんな大忙しの最中、
●「sempre p」で静かに弾かれることを望まれたかと思うと、
●そんな静かな場所からたった一小節の「cresc.」で「f」となったり
だぁ~~~~~!!!!と叫びたくなるようなムズカシさがあります。
そんな展開部の終盤、再現部の手前、
佳境ともいえる「ff」に到達したところに、この「Contra E」があります。これは、一番低い低音の「E1(ミ)」の音に沿って書かれているのですが、この音が「E」であるのは一目瞭然・・・なんでわざわざ書く必要があるのだろう・・・・と。
そこで思い出したのが、先日書きました《熱情ソナタ》の楽器の音域の話。《熱情》を書いた頃のベートーヴェンの所有していた楽器は、一番低い音は「F1」で、それを何度と無く叩きつける《熱情》最後が圧巻でした。
この《op.101》をベートーヴェンが作曲することになったきっかけに、ブロードウッドからの最新型ピアノが贈られたという事実があるのですが、その楽器がとうとう!!その低い「F1」を下回る音域に到達し、ピアノという楽器の音域における新たな境地に達したものだったのですが・・・・「Contra E」とは、あえてこの新しい音域「E1」を書き記したもの・・・!?
よく調べてみると、この《op.101》において、
この低い「E1」を使うことが出来るチャンスは、この場所以前にもあるといえばあります。例えば、
●2楽章終わってその後の
「Langsam und sehnsuchtvoll(遅く、そして思い焦がれて)」の部分。
「Sul una corda(弱音ペダル)」で楽器の響きを抑える、それでも左手のオクターブは重く深い音が欲しい場所で、しかしこの低い「ミ」の音に到達するときベートーヴェンはこの「E1」を使わず、そのオクターブ上の単音のみを書いています・・・「E1」使いたいのに・・・
(事実、以前の自分は使っていました。深い音が思うように出ず、オクターブ下の「E1」に頼ってしまったというわけです・・・)
●また、1楽章の展開部においても、低い「E1」がある楽器であるにも使われない部分があります。
そこで考えられることは、ベートーヴェンはこれらの場所で敢えて「E1」を使わなかったということ。
ベートーヴェンにとって、《熱情》でいやというほど使った最低音《F1》を下回るこの音は、とってもとっても特別なものだったと!!
もしかすると、ベートーヴェンは、美味しいものは後に残しておくタイプだったのかもしれませんね!?(笑)
この美味しい「E1」はとっておき、1楽章・2楽章では、まだ使うには早い!!もっと出し惜しみしないと!!って・・・
終楽章にいよいよ出てきた「Contra E」は、難しい展開部のフゲッタに悪戦苦闘した末の佳境である「ff」と供に出てきます。
ついに、ついにベートーヴェンが、この音「E1」をピアノという楽器で使うときがきました。待ち望んだその音を使える喜び!!この難しいフゲッタを弾ききって再現部へと戻る喜び!!色々な想いが交錯してついに「Contra E」が!!!
(あ、やっぱり、日記冒頭に書いた「歓喜」を歌っているというのは、間違っていなかったかもしれませんね!まさに「喜び」と「Contra E」は一緒になって・・・!!)
「カタルシス」
「エクスタシー」と言ってもいいかもしれない。
晴れ渡る青空!?大海原!?生きる喜び!?うれしくてうれしくて仕方が無い!?ついに大きな仕事を成し遂げた!?ダイスキなあの人からチョコをもらった!?
もう言葉では表せませんが、大きな「喜び」を音楽に感じることが出来るのが、音楽のすごさ、面白さだと思います。
そんな音楽を書いてくれたベートーヴェンに万歳!?
(おまけ)
ドイツの初春の気候は、ひどい変わりようです。晴れたり雨たり(変な日本語)、暖かかったり寒かったり、すっきりさわやか青空の向こうには暗雲が立ち込めているなど、今日も朝からそんな天気だったのですが、
この《op.101》終楽章を弾きながら、必死になって展開部のフゲッタと闘う、そして、待ちに待った「Contre E」と再現部!!!その時!!!
ぱぁ~~~~!!っと光が差したんです!!
うす曇だった外が一気に明るくなって!窓の向こうの建物達が光に照らされて白く輝いて!!
「あぁ~、きた~~~!!!」ってうれしくなって・・・で、
日記にこんなことまで書いてしまって・・・いや、こんなのはただの偶然なのですが・・・些細なことでつい喜んでしまいました。
それは、終楽章・展開部終わりに現れるベートーヴェン自身による
「Contra E」という不思議な表記(第223小節)。
(残念ながらこの表記についてのはっきりとした確証は未だ得られず、
ここから先書くことはノンフィクション!?ではあるのですが、自分の思いついたままを書くよう試みますので、そのつもりで読んでいただけると幸いです。
そして、この「Contra E」について、何か知ってらっしゃる方いらしたら、是非ともコメント下さい!)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この《op.101》終楽章、A-Dur(イ長調)の明るい響きにのって、
それはまるで「歓喜」を歌っているような、とてもポジティブな音楽!!!
なのですが・・・弾き手にとっては・・・展開部が曲者・・・
この展開部、「対位法」を駆使した「Fughetta(フゲッタ)」から成ります。
「対位法」は後期ベートーヴェンの音楽におけるひとつのキーワードと言えまして、中期を過ぎたベートーヴェンがこの対位法を、おそらくはバッハの音楽を再勉強することで、新たな境地に達したのがこの後期の作品群であると考えられます。
この対位法を駆使した様子を挙げてみますと、
●声部が入り乱れ、
●二声部が平行に動いたかと思えばいきなり反抗したり、
●弾き手はどの音をどちらの手でとろうか必死になって工夫し、
●メロディーがあっちやこっちに現れて把握するのが大変、
そんな大忙しの最中、
●「sempre p」で静かに弾かれることを望まれたかと思うと、
●そんな静かな場所からたった一小節の「cresc.」で「f」となったり
だぁ~~~~~!!!!と叫びたくなるようなムズカシさがあります。
そんな展開部の終盤、再現部の手前、
佳境ともいえる「ff」に到達したところに、この「Contra E」があります。これは、一番低い低音の「E1(ミ)」の音に沿って書かれているのですが、この音が「E」であるのは一目瞭然・・・なんでわざわざ書く必要があるのだろう・・・・と。
そこで思い出したのが、先日書きました《熱情ソナタ》の楽器の音域の話。《熱情》を書いた頃のベートーヴェンの所有していた楽器は、一番低い音は「F1」で、それを何度と無く叩きつける《熱情》最後が圧巻でした。
この《op.101》をベートーヴェンが作曲することになったきっかけに、ブロードウッドからの最新型ピアノが贈られたという事実があるのですが、その楽器がとうとう!!その低い「F1」を下回る音域に到達し、ピアノという楽器の音域における新たな境地に達したものだったのですが・・・・「Contra E」とは、あえてこの新しい音域「E1」を書き記したもの・・・!?
よく調べてみると、この《op.101》において、
この低い「E1」を使うことが出来るチャンスは、この場所以前にもあるといえばあります。例えば、
●2楽章終わってその後の
「Langsam und sehnsuchtvoll(遅く、そして思い焦がれて)」の部分。
「Sul una corda(弱音ペダル)」で楽器の響きを抑える、それでも左手のオクターブは重く深い音が欲しい場所で、しかしこの低い「ミ」の音に到達するときベートーヴェンはこの「E1」を使わず、そのオクターブ上の単音のみを書いています・・・「E1」使いたいのに・・・
(事実、以前の自分は使っていました。深い音が思うように出ず、オクターブ下の「E1」に頼ってしまったというわけです・・・)
●また、1楽章の展開部においても、低い「E1」がある楽器であるにも使われない部分があります。
そこで考えられることは、ベートーヴェンはこれらの場所で敢えて「E1」を使わなかったということ。
ベートーヴェンにとって、《熱情》でいやというほど使った最低音《F1》を下回るこの音は、とってもとっても特別なものだったと!!
もしかすると、ベートーヴェンは、美味しいものは後に残しておくタイプだったのかもしれませんね!?(笑)
この美味しい「E1」はとっておき、1楽章・2楽章では、まだ使うには早い!!もっと出し惜しみしないと!!って・・・
終楽章にいよいよ出てきた「Contra E」は、難しい展開部のフゲッタに悪戦苦闘した末の佳境である「ff」と供に出てきます。
ついに、ついにベートーヴェンが、この音「E1」をピアノという楽器で使うときがきました。待ち望んだその音を使える喜び!!この難しいフゲッタを弾ききって再現部へと戻る喜び!!色々な想いが交錯してついに「Contra E」が!!!
(あ、やっぱり、日記冒頭に書いた「歓喜」を歌っているというのは、間違っていなかったかもしれませんね!まさに「喜び」と「Contra E」は一緒になって・・・!!)
「カタルシス」
「エクスタシー」と言ってもいいかもしれない。
晴れ渡る青空!?大海原!?生きる喜び!?うれしくてうれしくて仕方が無い!?ついに大きな仕事を成し遂げた!?ダイスキなあの人からチョコをもらった!?
もう言葉では表せませんが、大きな「喜び」を音楽に感じることが出来るのが、音楽のすごさ、面白さだと思います。
そんな音楽を書いてくれたベートーヴェンに万歳!?
(おまけ)
ドイツの初春の気候は、ひどい変わりようです。晴れたり雨たり(変な日本語)、暖かかったり寒かったり、すっきりさわやか青空の向こうには暗雲が立ち込めているなど、今日も朝からそんな天気だったのですが、
この《op.101》終楽章を弾きながら、必死になって展開部のフゲッタと闘う、そして、待ちに待った「Contre E」と再現部!!!その時!!!
ぱぁ~~~~!!っと光が差したんです!!
うす曇だった外が一気に明るくなって!窓の向こうの建物達が光に照らされて白く輝いて!!
「あぁ~、きた~~~!!!」ってうれしくなって・・・で、
日記にこんなことまで書いてしまって・・・いや、こんなのはただの偶然なのですが・・・些細なことでつい喜んでしまいました。