テレビ放送で偶然この名曲を聴く機会に恵まれました。
チャイコフスキーの交響曲第6番op.74 h-moll“悲愴”、
物心付いて初めて聴いたような気がしています。
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ここで「物心付いて」としましたのは、
自分の音楽家としての勉強を経ての「物心付いて」
という気持ちで書いたもので、この曲を
聴いたことが無いわけではありませんでした・・・しかし、
あまり意識して聴いたことがないという、いやはやお恥ずかしい
ことでもありますが・・・
しかし、
であるからこそ、今の自分の音楽の感受力を総動員しての
チャイコフスキーの「音楽」に耳を傾けることが
できたのかもしれません。
すごい曲でした。
h-mollロ短調という調性からして、
この曲の意味合いが窺えるような気が致しました。
h-mollといって真っ先に頭に浮かぶのは、やはり
J.S.バッハ《ロ短調ミサ》、そして
《平均律クラヴィーアI巻 24番h-moll》も
頭をかすめます。いずれにしても・・・悲痛・・・?
今の自分には、
そのような印象をもたらす「h-moll」という調性です。
チャイコフスキーの最後のシンフォニーとなりました
この《悲愴》は、h-mollなのですね・・・。
ところで、
チャイコフスキー自身は、この「悲愴」という標題が
付くことを好まなかったとも聞きます。それは、
音楽に宿された人間ドラマが「悲愴」というたった一言で
片付けられるには忍びないという心の現われと
受け取ることもできましょうか・・・しかし、
この名前はあまりに有名になりすぎのようですね・・・
I楽章、
調性感は基本的なソナタ形式にのっとっているようで分かり易く、
楽章の後半、再現部にて、第2テーマが
まるで死の暗闇の淵からH-Durロ長調で現れるのに
チャイコフスキーの死生観が垣間見られるような気がしてなりません。
ついでに、
この第2テーマ、音楽を聴きながら、
「これはドヴォルジャーク!?」と思えるような
東欧的旋律に聞こえるような気もしました。
チャイコフスキーのロシア音楽史における彼の偉大な働きは、
来る未来を(その当時にとっての未来)予感し、あるいは先駆け、
後世の作曲家達に大いなる影響を残すにいたったのか!?
なぞと考えることもできるのかもしれません。
まるで
ベートーヴェンが、
バッハが、
後世の作曲家達に巨大な遺産を残していったように、
チャイコフスキーもまた、大きなものを残していったのでしょうか。
(・・・とはいえちょこっと調べてみたところ、
ドヴォルジャークはチャイコフスキーと同時代人のようで・・・
「後世」という言葉を使うには当てはまらない?いやはや・・・)
II楽章は、踊り。舞曲でしょうね。しかし、
何拍子なのかが分からない・・・
5拍子?10拍子?
バレー音楽の大家であったチャイコフスキー、
晩年になって、変拍子をもってしての
より優雅な舞曲を作曲するに至ったのか!?と
驚かされました。
III楽章は、スケルツォでしょうか?
ベートーヴェンが交響曲にこの「スケルツォ楽章」を取り入れたのが
音楽史における画期的な開拓であったことが思い出されます。
(しかしベートーヴェンを先取って、彼の師ハイドンHaydnが
その《弦楽四重奏》にてすでに「スケルツォ楽章」を
取り入れていたのを目の当たりにしたときには
驚かされました・・・!!ベートーヴェンの前にハイドンありき。
→(これに関する以前の記事)
世代と結びついたクラシック音楽の発展の奇跡を、ここに
垣間見ることができるのかもしれません。)
明るいスケルツォ。
バレー音楽作曲家チャイコフスキーの音楽世界、
《白鳥の湖》《くるみ割り人形》と、
明るく踊り回る優雅な世界が思い出されるようです。
なぜ
この交響曲に「悲愴」という題名が付いているのか、
疑問に思われてきます。すると・・・
・・・・やはりこの交響曲は「悲愴」でした・・・
突如現れる悲劇の予感、それは
III楽章スケルツォが終わると同時に始まる(おそらくは楽譜に
「attacca」という指示が入っているのではないだろうか)
Adagioのゆっくりな終楽章。
交響曲において、終楽章が緩叙楽章となることは異例です。
ベートーヴェンですら、9つの交響曲全ては
覇気をもって音楽が閉じられるはずです。しかし
チャイコフスキーのこの彼にとっての最後の《交響曲6番》、
全4楽章から成るこの音楽は・・・
悲愴な死をもって終わりを迎えるであろうことが
予感される終楽章冒頭の弦楽器の悲鳴・・・
落胆して力落とす下降旋律・・・
旋律の随所に見られる、嘆きのアポジャトゥーラの連続・・・
嘆いて、ため息をついて・・・
曲は、静かに幕を閉じました・・・
チャイコフスキーは、死を望んではいなかったのでしょうか。
それとも来る死に対する絶望、悲愴感に苛まれていたのか・・・
この《交響曲第6番》初演の9日後
急死をしたというチャイコフスキー・・・
彼の死への想いが、この曲に宿っているのだとしたら
あまりに切ないです・・・
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追記;
私は、まだチャイコフスキーについて
あまりにも知らなさ過ぎます・・・これまでの文章の中で
間違いや誤解等ありましたらご容赦、訂正ください。
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チャイコフスキーの交響曲第6番op.74 h-moll“悲愴”、
物心付いて初めて聴いたような気がしています。
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ここで「物心付いて」としましたのは、
自分の音楽家としての勉強を経ての「物心付いて」
という気持ちで書いたもので、この曲を
聴いたことが無いわけではありませんでした・・・しかし、
あまり意識して聴いたことがないという、いやはやお恥ずかしい
ことでもありますが・・・
しかし、
であるからこそ、今の自分の音楽の感受力を総動員しての
チャイコフスキーの「音楽」に耳を傾けることが
できたのかもしれません。
すごい曲でした。
h-mollロ短調という調性からして、
この曲の意味合いが窺えるような気が致しました。
h-mollといって真っ先に頭に浮かぶのは、やはり
J.S.バッハ《ロ短調ミサ》、そして
《平均律クラヴィーアI巻 24番h-moll》も
頭をかすめます。いずれにしても・・・悲痛・・・?
今の自分には、
そのような印象をもたらす「h-moll」という調性です。
チャイコフスキーの最後のシンフォニーとなりました
この《悲愴》は、h-mollなのですね・・・。
ところで、
チャイコフスキー自身は、この「悲愴」という標題が
付くことを好まなかったとも聞きます。それは、
音楽に宿された人間ドラマが「悲愴」というたった一言で
片付けられるには忍びないという心の現われと
受け取ることもできましょうか・・・しかし、
この名前はあまりに有名になりすぎのようですね・・・
I楽章、
調性感は基本的なソナタ形式にのっとっているようで分かり易く、
楽章の後半、再現部にて、第2テーマが
まるで死の暗闇の淵からH-Durロ長調で現れるのに
チャイコフスキーの死生観が垣間見られるような気がしてなりません。
ついでに、
この第2テーマ、音楽を聴きながら、
「これはドヴォルジャーク!?」と思えるような
東欧的旋律に聞こえるような気もしました。
チャイコフスキーのロシア音楽史における彼の偉大な働きは、
来る未来を(その当時にとっての未来)予感し、あるいは先駆け、
後世の作曲家達に大いなる影響を残すにいたったのか!?
なぞと考えることもできるのかもしれません。
まるで
ベートーヴェンが、
バッハが、
後世の作曲家達に巨大な遺産を残していったように、
チャイコフスキーもまた、大きなものを残していったのでしょうか。
(・・・とはいえちょこっと調べてみたところ、
ドヴォルジャークはチャイコフスキーと同時代人のようで・・・
「後世」という言葉を使うには当てはまらない?いやはや・・・)
II楽章は、踊り。舞曲でしょうね。しかし、
何拍子なのかが分からない・・・
5拍子?10拍子?
バレー音楽の大家であったチャイコフスキー、
晩年になって、変拍子をもってしての
より優雅な舞曲を作曲するに至ったのか!?と
驚かされました。
III楽章は、スケルツォでしょうか?
ベートーヴェンが交響曲にこの「スケルツォ楽章」を取り入れたのが
音楽史における画期的な開拓であったことが思い出されます。
(しかしベートーヴェンを先取って、彼の師ハイドンHaydnが
その《弦楽四重奏》にてすでに「スケルツォ楽章」を
取り入れていたのを目の当たりにしたときには
驚かされました・・・!!ベートーヴェンの前にハイドンありき。
→(これに関する以前の記事)
世代と結びついたクラシック音楽の発展の奇跡を、ここに
垣間見ることができるのかもしれません。)
明るいスケルツォ。
バレー音楽作曲家チャイコフスキーの音楽世界、
《白鳥の湖》《くるみ割り人形》と、
明るく踊り回る優雅な世界が思い出されるようです。
なぜ
この交響曲に「悲愴」という題名が付いているのか、
疑問に思われてきます。すると・・・
・・・・やはりこの交響曲は「悲愴」でした・・・
突如現れる悲劇の予感、それは
III楽章スケルツォが終わると同時に始まる(おそらくは楽譜に
「attacca」という指示が入っているのではないだろうか)
Adagioのゆっくりな終楽章。
交響曲において、終楽章が緩叙楽章となることは異例です。
ベートーヴェンですら、9つの交響曲全ては
覇気をもって音楽が閉じられるはずです。しかし
チャイコフスキーのこの彼にとっての最後の《交響曲6番》、
全4楽章から成るこの音楽は・・・
悲愴な死をもって終わりを迎えるであろうことが
予感される終楽章冒頭の弦楽器の悲鳴・・・
落胆して力落とす下降旋律・・・
旋律の随所に見られる、嘆きのアポジャトゥーラの連続・・・
嘆いて、ため息をついて・・・
曲は、静かに幕を閉じました・・・
チャイコフスキーは、死を望んではいなかったのでしょうか。
それとも来る死に対する絶望、悲愴感に苛まれていたのか・・・
この《交響曲第6番》初演の9日後
急死をしたというチャイコフスキー・・・
彼の死への想いが、この曲に宿っているのだとしたら
あまりに切ないです・・・
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追記;
私は、まだチャイコフスキーについて
あまりにも知らなさ過ぎます・・・これまでの文章の中で
間違いや誤解等ありましたらご容赦、訂正ください。
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