音楽家ピアニスト瀬川玄「ひたすら音楽」

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◆解脱者ベートーヴェン!?(追記、B.自身の言葉)

2007年03月17日 | ベートーヴェン Beethoven
1822年ごろのベートーヴェンは、
《第九交響曲Neunte Symphonie》の大仕事に
取り掛かっているころだったそうです。

当時、ウィーンではロッシーニに代表される
イタリア・オペラの侵略に、ドイツ音楽が窮地に追い込まれ、
ベートーヴェン自身も、その追い討ちを喰らっていた・・・
という話をよく聞くものですが、それは実は、
あくまでも歴史の一面でしかないと言い切ることのできる
事実はたくさんあるとのことです。
ドイツ音楽とイタリア音楽が、一部の当時の音楽関係者の間に
抗争を繰り広げていたのは、これはこれで事実のよう、しかし、
ベートーヴェンという当時既に自他共に認められた大音楽家は、
その抗争からひとつ位相の高いところに居たという見方も
あるというのです。

たとえば、ベートーヴェン自身、
イタリア音楽の良さは良さで認めていたらしく、
演奏会にて、自身の曲が演奏されると同時に、
イタリア音楽のアリアが演奏されるのを許したということは、
ベートーヴェンが他の音楽の良さを見出すことのできる
解脱者的な許容量の広さを会得していた証拠と
なるのではないでしょうか。

同時に、
ドイツ音楽推進派からも、強烈な指示と援護を
ベートーヴェンは求められます。その熱烈な
嘆願は、ベートーヴェン自身の自尊心、
音楽家としての自身の歩んだ道が、彼の生きている最中にして
大勢の人々から認められたことを生きながら味わうことのできた
幸福な瞬間であったと、ロマン・ロランは言っています。

ベートーヴェン唯一の歌劇《フィデリオ》が、
ウィーンを初め、あのゼンパー・オーパーで有名なドレスデンにて
カール・マリア・フォン・ウェーバーCarl Maria von Weberの
手により演奏され、大成功を収めることができたのも、
ベートーヴェンにとってうれしくないわけはなかったのです。


そんな中、
ベートーヴェンが弟に当てた手紙に、
こんな言葉が書かれていたそうです。

「ああ!私はなんと不幸で幸福な人間であることよ!
Welch ungluecklicher gluecklicher Mensch bin ich!」


不幸でありながら、幸福である。

物質的には、生計が楽ではなかったその頃のベートーヴェンは、
簡単には「幸福である」と言うことはできなかったでしょう。
しかし、
音楽家としての存在価値を確かに認めることのできた喜びは、
「ハイリゲンシュタットの遺書」にて乗り越えることのできた
難聴の絶望を超えての音楽家として音楽に生きる覚悟が
間違ってはいなかったという手ごたえを得られた
大きな「幸福」であったことでしょう。


不幸でありながら、幸福である。


これは、
我々人間、皆に共通する真理なのでしょうか。

般若心経の「色即是空 空即是色」という言葉も、
この真理に沸き起こるものだとしたら、
ベートーヴェンという人間も、そこを見出した
ある種の解脱者であったということも
できるのかもしれませんね。


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