「正しさの追求」について色々と考えた日となりましたが、色々と発言しながら、不安が拭いきれない気もしているのです・・・「正しさの追求」=「不正の追放」、心掛けとしてはそうなのですが!しかし現実は「中道」らしく、善悪は両方存在している・・・(偽善者になりたくない!?)
現実は中道であることが真実なら、正しさを追求しようとして不正を追放しようとしては、これ正しくなくなってしまう!?真実の正しさから離れてしまう!? 不正は追放するのではなく、修正するのが良いやり方!?
世の中には善悪(正・不正)が共存している。しかし黄金比に見られる「正しく生長しようとする心」は、確かに存在している!宇宙の・大自然の心の奥義!? これに倣おうとするのは、自由。更に言うなら、これに倣おうとすることこそ自由!?
日本語の「自由」という言葉に「本性に則って」という意味合いが付されたならば、宇宙・大自然の生長する心の大元に「正しさ」があるならば、我々人間は宇宙・自然の一部、ゆえに本性に従って「正しく」しようとすることは「本当の自由」と言えるのではないでしょうか?
いやはや・・・沢山つぶやきました・・・中には「正しくない」日本語・言葉の使い方や変換ミスなどあったかもしれませんが、ブログにて、修正できたらしたく思います。そう!不正があるなら修正したく思います!(笑)
不正・ミス・間違いは、修正されるべきものであって、追放・糾弾されるべきではない!? それらは修正されるべき!? 追放・糾弾すべきは、意図して不正するようなこと!?意図してそれを野放しにすること!?
クラシック音楽界における「ミスの糾弾」は、この業界の生長を妨げ、衰退させる心なのでは・・・!?と思い始めました。他業界も同様!? 批判・糾弾するのではなく、修正しようとする心、「ミスしないように」ではなく「正しくするよう」心掛けることが、健全な生長につながると思われます
正しく音楽が演奏できるよう、努めて参りたく存じます。意図せずして正しさが実現できないことが多々あるかもしれない・・・そこはどうか、ご容赦いただけないでしょうか・・・?出来る限りの努力はしたく思っていますから!
理想的な完全な形の松毬は、ほとんど存在しないでしょう。もしもそんな松毬があったら!先着3名様まで、1万円をお支払してもいい!?と思いました(大笑)(破産しないで済む金額に自己防衛)半分冗談半分本気、そんな松毬があったら、見てみたいです。手に入れたいです。
演奏するなら、出来る限り「完全」を目指したい!と思います。しかし、現実にこれを成功させるのは・・・不可能に近い!? もしも完全な形の松毬があったなら、現実に完全が出来る手本として、身近に置いておきたくなってきたのです。非の打ち所の無い完全な松毬!あるのかしら?
完全に正しく演奏することは、おそらく現実には不可能・・・しかし、やらねばならないなら、せめて「正しさ」を追求する心掛け諦めずに持ち続け、その片鱗でも成功できるよう努めるしか、現実を生きる我々にはできないのではないでしょうか?その行いが尊いものであることも願いつつ!
・・・今日はすっかり哲学しました・・・素人哲学、ご笑納くださいませ
自分のピアノ演奏上における長所は(←自分で言う!?自爆、しかし大事な考察なので続けてみます)、上半身を色々と使って弾くこと。しかしその際に、意図せず好ましくないテンポの揺れが生じる危険があることも、確認されました・・・長所でありながら、短所でもある!?さて、修正せねば
ピアノ演奏において、上半身を上手に使うこと、これは師匠K.シルデ先生から習ったものです。ドイツ人の先生が「ジョーハーンシーン!」と日本語で言われる、そのお声が思い出されます(笑)
・・・そういえば、先生からは「イソガナイデ!(nicht eilen)(don't hurry)」と、日本語で注意を受けたことも少なからずあったよう、思い出されました・・・ 弱点は昔からあるのです。私だけでなく、皆さまにも!です(笑) 皆でより良くなってゆければと願います
楽曲の演奏において「難しい箇所」「盛り上がる箇所」「上行音型」などにおいて、奏者が意図せずして不要にテンポが速くなってしまうことが、多くの人に共通して、少なからずあるようです・・・私一人の問題ではない、でもこれは良いことではないのです!修正せねば、です。
ベートーヴェンの音楽など特に!音価には充分な注意を払うべきです。音符の後が休符なら、丁度そうなるよう音の長さを狙います。しかし休符とはいえ、ハーモニーが同じで残響が欲しい場合もある・・・その際は、手は正しく、おまけの残響はペダルで少々、許されましょうか、これがジンテーゼ!?
いやしかし・・・これは悩ましい問題・・・休符の間、他の声部が流れていてハーモニーが同じであっても、場合によっては、やはり休符は休符として無音の状態をつくる方が好ましいこともあるでしょう・・・ケース・バイ・ケース!?その時に最善と思われるものを選択してゆくしかないでしょうか
人生は選択の連続!? 音楽の勉強、演奏の最中においても、同じことが言えるようです。すなわち、音楽とは・演奏とは、人生の縮図のようなもの!?(笑)
弱点克服のために、大嫌いな!(大自爆)メトロノームに合わせて弾く練習に挑んでいます。メトロノームに教えられること多々、感謝!とともに、機械に音楽の全てを征服されては、やはりいけない、とも実感しました。ルバート、すべきところは、する。機械に征服されずに!
大嫌いなメトロノーム!・・・と言ってしまった、その心は、音楽の持つ自然な抑揚は、一律な機械的なものではないということを、人として、生命として!?実感しているからでしょうか。 ターミネーターに支配されたくはありません!(笑)
機械に支配されたくないからといって、これを避けて弱点となっているのなら・・・これは良くない、弱点は克服、修正したいと、今強く思っています。機械に使われるのではなく、機械は有効に使えばいい、のですね。メトロノーム、嫌いなんて言ってゴメンね(笑)