良いクラシック音楽演奏家として「正しく」音楽したい。それは、ミスタッチなく弾くというつまらない意味ではなく、楽譜に書き込まれた音楽の天才達によって設計された素晴らしい音楽を、出来る限り「正しく」やろうとする心掛け、これを大事に思い始めています
ミス無く完璧に弾けているような演奏でも面白さに欠けることがあるなら、それは真の意味で「正しい楽曲の演奏」に至っていないということではないだろうか。音符を間違いなく弾くのではなく、楽譜に書かれたあらゆる指示を汲み取り、また一見書かれていない和声を読み解く、すると!?
「これが正しい演奏である」と、凝り固まってしまうのも可笑しいでしょう。もちろん、究極的な「これが正しい演奏」を目指したいのはやまやまですが!現実社会において、完璧は至難でしょう・・・しかし諦めてはおしまい、出来る限りを目指す心掛けは失うべきではありません!
一流でがんばっている人の素直な言葉に触れ、感動・・・ 「好き」ないし反対の「嫌い」という言葉、「好き・嫌い」という判断基準はあまりレヴェルの高いものではない!?なぞと、実は敬遠してきたのですが・・・しかし素直で実直な「好き」の素敵さ・大事さに、ちょっと気付けたかも?