音楽家ピアニスト瀬川玄「ひたすら音楽」

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8月7日(木)のつぶやき

2014年08月08日 | ◆一言◆

ベートーヴェンの楽曲中、拍に収まりきらないような連符があった場合は、メトロノーム・機械的に合うよう無理矢理に収める必要は無いと思われます。その証拠に、最後のソナタ《32番》には、そのような連符の箇所に作者により「memo allegro」という記載が発見されました


機械的な拍感には収まりきらないベートーヴェンの連符は「memo allegro(速さ少なめ)」と解釈するよう、ベートーヴェンは最後の《ピアノソナタ》にて、まるで教えてくれているかのよう!?に、思われました。ここだけが特別なのではなく、以前からそう、と!?


最後の楽譜に書いたから、これだけが特別!?と真に受けないようがよいと思われます。「meno allegro」という適切な言葉を、ついに思い付いた!?ということが、一人の人間の人生において、無かったとは言えないのでは!? 以前から思っていたけど、言葉は見付からなかったみたいな?


だからといって、拍感に収まりきらない連符を、どうでもよく弾いていいというわけでもなさそう・・・ ではどうするか!?というと、今の私は例えば三拍子であったら、そこで①②③と拍を数えるようにしています。伸びる拍があったら、①②~~③みたいに!これで拍感が無いとは言わせない!?


ベートーヴェンの音楽は、機械的に動き続けるメトロノームには合わないでしょう。ベートーヴェンはメトロノームを使いました!しかしそれは、曲の基本テンポを数値化するためであって、練習の際に機械に合わせて音楽を整えようとする使い方は・・・しなかったのでは!?と私は思っています


ベートーヴェンの音楽には、しっかりした!拍感が見事にあります。しかし、これは機械的に支配されるものではないと思います。多少の抑揚あるテンポのゆらぎは、音楽を自然に、より魅力的にする力を発揮するでしょう。だから「数える」、これに尽きる!?


「音楽は数える芸術」と、いつの日からか私は口にしています。


ベートーヴェンのしっかりとした拍感を維持するために、「ベートーヴェンがメトロノームを絶賛した」という事実が、機械的に支配された拍感をベートーヴェンが望んだ!?と誤解されてはいけないと思います。だってベートーヴェン!機械に支配されたいなぞと思う人間では到底ないでしょう(笑)


ちなみに、ベートーヴェンが「allegro」、ちゃんと訳すと「快い、快活」のような意味を持つ伊語が「速く」と音楽用語で使われるのには失望していたのだそうです。しかし最後のピアノソナタには「allegro」と使われています・・・もう常識に歯向かうことは諦めた!?かのようです


ちなみにベートーヴェン《ソナタ32番》の「meno allegro」はI楽章の52小節や118小節、126小節にあります。書いていないけど拍感に収まりきらない連符は、例えば思い付く限りでは、ソナタ2番、5番、悲愴、月光、16番、などに見受けられると思います。もちろん他にも!


だからといって、しつこいですが、どうでもよく弾いてよいことはないでしょう。「数える」ことは排除しない、さすれば、型がありつつも自由な音楽の境地がひらけましょうか!?


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