音楽家ピアニスト瀬川玄「ひたすら音楽」

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◆輪廻転生!?メタモルフォーゼの音楽!? ~ ブラームス《ソナタop.120-2》終楽章

2009年05月04日 | ブラームス Johannes Brahms
ブラームス最後の「ソナタ」
《クラリネットソナタ 変ホ長調 作品120-2》の終楽章は
変奏曲の形をとっていて、
これは音楽の形として、ベートーヴェン最後の「ソナタ」
《ピアノソナタ ハ短調 作品111》の終楽章ととても類似しており、
恐らくは、ブラームスがこの偉大な先達に習って創ったのではないか!?
と私は思っております。

 

「最後のソナタ」であるだけに、
両作品は、恐らくは、今の(数年前からずっと)私が思っているところでは、
恥ずかしげなく・おそれなく言わせていただきますと、
これはきっと、「人の死に逝く様」を描いた音楽であろうと
思わずにはいられない音楽です。

こう書いていて思い出すのは、このアイディアは
私の中から沸いただけのものでなく、
そのキッカケを与えてくださったのは、
師匠クラウス・シルデ先生から受けた
ベートーヴェン《ピアノソナタop.111》のレッスンの時・・・

外はもう暗い夜のドイツにて、
第3変奏の、まるでブギウギを思わせるリズムの歓び踊る様が一転、突如
静寂が支配する第4ヴァリエーション(変奏)に入ったところで、
先生がおっしゃった言葉、


「Genは、まだ人の死に目にはあったことがないかもしれないな・・・
これは、人が最後の息をしながら、お迎えが来る様を描いているんだ、
このように・・・」


と、
浅くなる呼吸に、楽章のテーマの旋律を歌おうとする
息も絶え絶えの様子を真似しながら、先生がそれを弾いてくれました・・・

今でも、その光景が脳裏を離れることがありません。

かくして、
私の中では、このベートーヴェン最後のソナタ
《ピアノソナタop.111》の2楽章は、
臨終の場面を描いた音楽であるという想像から
離れられることはなくなってしまったのです。


そして、恐らくは、
ブラームス《ソナタop.120-2》の最後も
これと同じアイディアから成る音楽であると思っているのです。


そして、今日の新たな発見はここからなのです。


このようなアイディアに立つのなら、臨終の様を描いているのは、
ベートーヴェン=ブラームス両者とも同じなのです。

しかし、
両作品には大きな違いがあり、
ベートーヴェンは、
静かな静寂の中に消え入るように音楽が幕を閉じるのに対し、
片やブラームスの方は、
なんと、
突如静寂を破り、音量を大にして、
鍵盤上を走り回るかのようにして、最後には音楽は
堂々の終わりを迎えるのです。


ずっと、この曲の終わり方に関しては、
「面白いな、お茶目なブラームスっぽいな、きっと
湿っぽく音楽を終わらせたくなかったのかな」
などと考えていたのですが、
どうも、事はそう単純なものでもなかったように今日は思えたのです。


ベートーヴェン《op.111》に似て、
ブラームスの方でも、第4変奏(←順番も同じ!!)において
静寂の支配する神秘の世界のような音楽となります。
続いて、突如のテンポの変化で、テーマは荒々しく奏でられ、
音楽は変奏曲であることを放棄して自由な即興のようになります
(↑これも《op.111》と同じ曲の構造)

そして、再びテンポが落ち着いて時には、
本当の最期が訪れる様を思い起こさせてくれます。

そして、
天から舞い降りるかのような感動的な二重奏による音階を経ると、
ピアノが不気味なespressivoで2回の<>(クレッシェンド&デクレッシェンド)をします。↓



まるで、昆虫がさなぎから抜け出ようとするかのような!?
するとこれは、
メタモルフォーゼ!?


そして駆け巡る減三和音のアルページオの洪水 ↓

(これも後期ベートーヴェンのお得意技、
最後のピアノ独奏用大曲《ディアヴェリ変奏曲》フーガは、
この減三和音のアルページオがかき鳴らされます) ↓


これらはもしかすると魔法の瞬間!?


魔法が解けたら、突如現れる明るく愉快で開放的な別世界!? ↓(クリックで拡大)

まるで
死を通り越して、
メタモルフォーゼを経て、
新たな生へと至ったかのよう!?

となると、
この音楽は、「輪廻転生」の様子を
描いた作品ということができるのでしょうか!?

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このアイディアは、単なる私の想像のみによるところでなく、
先の記事でも紹介いたしましたブラームス中期の大作
《ドイツレクイエムop.45》でも触れる内容でして、
レクイエムという音楽の特徴でもある「怒りの日」に相当するといわれる
第6曲では、このようなテクストが使われているのです。


  Denn es wird die Posaune schallen,
  und die Toten werden auferstehen unverweslich,
  und wir werden verwandelt werden.
  (ラッパの音が鳴り響き
   死者達はよみがえる、朽ち果てぬものとして、
   そして我々は変身(転生)させられるのだ)


よって、
このようなテクストをブラームス自身が使っているということは、
ブラームスに「verwandeln」変身する・生まれ変わる・すなわち、
「輪廻転生」という概念に似たものが
彼の脳裏に確かにあったものであることは、
ここに証明されると言って間違いではなさそうです。


ブラームスはこの《ドイツレクイエムop.45》から長い年月を経て、
《op.120》まで作品を書き、ついに
この「輪廻転生」を音楽作品化することに成功したのかもしれません。


そして、この曲の実際の演奏に際しては、
聴覚を通して「輪廻転生」の奇跡?真実?を目の当たりにできるとしたら、
この音楽《ソナタop.120-2》は、とんでもなく凄い音楽と
いえるのかもしれません。


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追伸:

5月8日のコンサートへ向け準備を進めながら、
このような内容の音楽に間近に触れていますと、
相方共々、
http://blog.goo.ne.jp/yori-fluteworld/e/dba6ebe82f640d5f57335aa94ae762f9
なんだか現実社会から離れてしまったかのような「非常識」なことを
公にしてしまっているのかもしれず、
ご迷惑おかけしたら申し訳なく思います・・・

とはいえ、
一期一会のコンサートへ向けて、
ある音楽を、その時の自分たちのできる最上のものにしようと
心がける過程は、当然の大切な作業であって、
そのような経過において、今回、
ブラームス《ソナタop.120-2》を取り上げるにあたって、
その準備段階の心の推移を、恥を忍んで、こうして文章として
残しておこうと思い、それはこのような形となりました。

当日はどのようなことになるのか・・・
「死生観」のようなテーマを取り上げる演奏会は、
自分がソロでベートーヴェン《op.110》や《op.111》を取り上げ、
そして去年ブラームス《ドイツレクイエム》を歌って以来のこと、
心が引き締まる思いがいたします。


とはいえ、
この日のプログラムは、楽しい音楽もいっぱいあります!!

若き日の意欲みなぎる御機嫌なベートーヴェンの《セレナードop.41》や
超絶技巧曲ベームの《グランド・ポロネーズ》など、
聴いていて爽快な音楽が前半を占める予定です。

そして、演奏会の最後は、
大都会東京の真ん中、市ヶ谷にて、
心の深いところへ導かれるような音楽に皆でのっていければ・・・
と願っております。

いやはや・・・どうなることやら。






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