昨年、私はシュナイト・バッハ合唱団にて
ブラームス作曲《ドイツレクイエム》を勉強し、
オーケストラ・合唱団の皆様と共に舞台に上がり、
この音楽を歌いました。
これはとても有意義な体験として、
自分にとっての大きな財産となっていると
思い、感じております。
35歳の頃のブラームスが、
恩師であるR.シューマンを亡くし、そして
実の母を亡くし・・・その悲嘆にくれる中、
書き上げた大作が《ドイツレクイエム》。
全部で7つからなる楽章の、どれをとっても
感動を禁じえない、涙が目頭に浮かぶ音楽です。
この感動の「核」となるような言葉が
いくつもこの音楽にはあると思うのですが、
その中のひとつに、
「troesten(慰め)」
という言葉があります。
我々は皆、子供から大人となり、その人生の中においては、
終わりなきとも思える「仕事」の連続でもあるのかもしれません。
その「仕事」を、
ブラームスは第5楽章のソプラノの声に乗せて、
(このソプラノは、亡き「母」を現しているとしか思えません!)
(さらには、この楽章は、この《ドイツレクイエム》の7つある楽章の内で、
最後に書き上げられたものと伝わっており、
ブラームスはこれを書いて、筆をおき、この作品の完成としたのは、
なんとも感慨深いものがある気がしてしまいます・・・)
このように語らせています。
Sehet mich an:
Ich habe eine kleine Zeit muehe und Arbeit gehabt
und habe grossen Trost funden.
(私を見なさい、
私はほんの小さな時間を、労力と仕事に費やしました、
そして今、大きな慰みを見つけたのです)
http://blog.goo.ne.jp/pianist-gensegawa/e/e1ccd96589b429ebbac34d65bb0b4269
亡き母は、
「Trost慰み」を見付けたと言っているのです。
そして、
現世における人生の重荷は、過ぎ去ってみれば
ほんのわずかな時間と労力だった、ということらしいのです・・・
そして、この時35歳のブラームスは、
この先も生き続け、楽曲を書き続けました。
ベートーヴェン以来の《大交響曲》として
クラシック音楽の歴史に銘打たれる《交響曲1番》とて、
この《ドイツレクイエム》の作曲以降に出来たものです。
ブラームスは、働き続けました。
そして、次第に終わりへと歩みを続けるのです、
これは人間皆同じ、別に特別なことではありませんね・・・
そして、後期の作品群が
今日を生きる我々人類に残されています。
その内のひとつ、
《クラリネット・ソナタ 変ホ長調Es-Dur 作品120-2》
この曲を、5月8日のコンサートに向けて再び練習しているのですが、
この音楽のもたらす温かく・やさしく・深い情感を思うと、
ふと、
30代の頃のブラームスが予言した《ドイツレクイエム》での「慰め」が
いよいよ彼自身にとって、現実のものとなってきたのを
現しているのではないか、と思いがよぎるのです・・・
「Allegro amabile(快活に、甘美に)」
と冒頭に記されたこの上なく美しい第1楽章、
「Allegro appassionato(快活に、熱情的に)」
ロマン派音楽の至った情熱の極地とも言える
心揺さぶるメロディーと、神のごとく荘厳な中間部
そして最後の楽章、
「Andante con moto」の変奏曲は、
ベートーヴェン最後の《ピアノソナタ第32番 op.111》を思わせる
魂の昇華してゆく様を描いたかのような音楽だと
私は思い・感じております。
それは、
長い(短い?)人生の仕事にようやく開放された安らぎの境地、
この音楽に触れ合いながら、
深い「Trost慰み」が実感され、ピアノを弾きながらも、
感動を禁じえない、すごい・・・音楽なのです。
しかしそんな曲の最後を、
ブラームスは「湿っぽく」は終わらせないのです!!
(最後のピアノ独奏曲《op.119》は湿っぽく終わりますが・・・
これは《交響曲4番》の終わりとも似ているような気がします)
ウキウキとはやる心!?
足取り軽く、柔和と静寂に包まれるこの音楽を
あっさりと!?終わりへと持っていってしまうのが、
お茶目なブラームスらしさを良く
表わしているように思えます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
今日の日本において、残念なこと・苦しいことですが、
自殺をする人々が後を絶たず増えていると報道されており、
胸が詰まる思いです・・・
人生、辛いことが少なからずあります。
私にもあります、私だって、
人と変わらぬ一人の人ですし・・・
SMAPの草剛くんだって、
あんなに健全で善い人に見えても、
時にとてつもなく辛いことはあるということを
我々は知ってしまいました・・・
そして、しかし、ブラームスは生きました、
生きて、晩年になって、このような音楽を書きました、
これは、疑いの余地なく、
我々の手元に残された音楽作品として
現存しているのです、この《ソナタop.120-2》は。
人間、死にたくなるくらいの辛いことがあるのかもしれません・・・
しかし、
いつかは、我々にはお迎えが来るのです、
それまで、耐え忍んで、(嬉しいことだって生きていればあるのです)
生きて、そして、その時が来ることを心に深く受け止める・・・
そんな思いを廻らさせてくれるのが、
この音楽だと思うのです。
これがなぜか「深い癒し」に結びつくようなのです。
5月8日ルーテル市ヶ谷ホール、
ゴールデンウィーク終盤の金曜日の夜、フルート共に
(今回のコンサートでは、原曲《クラリネットソナタ》を
フルートと共に演奏いたします、これだけすばらしい音楽、
原曲の楽器に限らず、他の楽器でも演奏し、これを愉しみたい!
という志があれば、きっと作曲者ブラームスにも
了解してもらえるのではないでしょうか・・・)、
心の癒し・慰め・心の充足をお届けできるよう、
最善を尽くして準備し、
大勢の皆様とこの時を分かち合えますよう願っております。
↑コンサート詳細は画像をクリックして下さい↑
ブラームス作曲《ドイツレクイエム》を勉強し、
オーケストラ・合唱団の皆様と共に舞台に上がり、
この音楽を歌いました。
これはとても有意義な体験として、
自分にとっての大きな財産となっていると
思い、感じております。
35歳の頃のブラームスが、
恩師であるR.シューマンを亡くし、そして
実の母を亡くし・・・その悲嘆にくれる中、
書き上げた大作が《ドイツレクイエム》。
全部で7つからなる楽章の、どれをとっても
感動を禁じえない、涙が目頭に浮かぶ音楽です。
この感動の「核」となるような言葉が
いくつもこの音楽にはあると思うのですが、
その中のひとつに、
「troesten(慰め)」
という言葉があります。
我々は皆、子供から大人となり、その人生の中においては、
終わりなきとも思える「仕事」の連続でもあるのかもしれません。
その「仕事」を、
ブラームスは第5楽章のソプラノの声に乗せて、
(このソプラノは、亡き「母」を現しているとしか思えません!)
(さらには、この楽章は、この《ドイツレクイエム》の7つある楽章の内で、
最後に書き上げられたものと伝わっており、
ブラームスはこれを書いて、筆をおき、この作品の完成としたのは、
なんとも感慨深いものがある気がしてしまいます・・・)
このように語らせています。
Sehet mich an:
Ich habe eine kleine Zeit muehe und Arbeit gehabt
und habe grossen Trost funden.
(私を見なさい、
私はほんの小さな時間を、労力と仕事に費やしました、
そして今、大きな慰みを見つけたのです)
http://blog.goo.ne.jp/pianist-gensegawa/e/e1ccd96589b429ebbac34d65bb0b4269
亡き母は、
「Trost慰み」を見付けたと言っているのです。
そして、
現世における人生の重荷は、過ぎ去ってみれば
ほんのわずかな時間と労力だった、ということらしいのです・・・
そして、この時35歳のブラームスは、
この先も生き続け、楽曲を書き続けました。
ベートーヴェン以来の《大交響曲》として
クラシック音楽の歴史に銘打たれる《交響曲1番》とて、
この《ドイツレクイエム》の作曲以降に出来たものです。
ブラームスは、働き続けました。
そして、次第に終わりへと歩みを続けるのです、
これは人間皆同じ、別に特別なことではありませんね・・・
そして、後期の作品群が
今日を生きる我々人類に残されています。
その内のひとつ、
《クラリネット・ソナタ 変ホ長調Es-Dur 作品120-2》
この曲を、5月8日のコンサートに向けて再び練習しているのですが、
この音楽のもたらす温かく・やさしく・深い情感を思うと、
ふと、
30代の頃のブラームスが予言した《ドイツレクイエム》での「慰め」が
いよいよ彼自身にとって、現実のものとなってきたのを
現しているのではないか、と思いがよぎるのです・・・
「Allegro amabile(快活に、甘美に)」
と冒頭に記されたこの上なく美しい第1楽章、
「Allegro appassionato(快活に、熱情的に)」
ロマン派音楽の至った情熱の極地とも言える
心揺さぶるメロディーと、神のごとく荘厳な中間部
そして最後の楽章、
「Andante con moto」の変奏曲は、
ベートーヴェン最後の《ピアノソナタ第32番 op.111》を思わせる
魂の昇華してゆく様を描いたかのような音楽だと
私は思い・感じております。
それは、
長い(短い?)人生の仕事にようやく開放された安らぎの境地、
この音楽に触れ合いながら、
深い「Trost慰み」が実感され、ピアノを弾きながらも、
感動を禁じえない、すごい・・・音楽なのです。
しかしそんな曲の最後を、
ブラームスは「湿っぽく」は終わらせないのです!!
(最後のピアノ独奏曲《op.119》は湿っぽく終わりますが・・・
これは《交響曲4番》の終わりとも似ているような気がします)
ウキウキとはやる心!?
足取り軽く、柔和と静寂に包まれるこの音楽を
あっさりと!?終わりへと持っていってしまうのが、
お茶目なブラームスらしさを良く
表わしているように思えます。
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今日の日本において、残念なこと・苦しいことですが、
自殺をする人々が後を絶たず増えていると報道されており、
胸が詰まる思いです・・・
人生、辛いことが少なからずあります。
私にもあります、私だって、
人と変わらぬ一人の人ですし・・・
SMAPの草剛くんだって、
あんなに健全で善い人に見えても、
時にとてつもなく辛いことはあるということを
我々は知ってしまいました・・・
そして、しかし、ブラームスは生きました、
生きて、晩年になって、このような音楽を書きました、
これは、疑いの余地なく、
我々の手元に残された音楽作品として
現存しているのです、この《ソナタop.120-2》は。
人間、死にたくなるくらいの辛いことがあるのかもしれません・・・
しかし、
いつかは、我々にはお迎えが来るのです、
それまで、耐え忍んで、(嬉しいことだって生きていればあるのです)
生きて、そして、その時が来ることを心に深く受け止める・・・
そんな思いを廻らさせてくれるのが、
この音楽だと思うのです。
これがなぜか「深い癒し」に結びつくようなのです。
5月8日ルーテル市ヶ谷ホール、
ゴールデンウィーク終盤の金曜日の夜、フルート共に
(今回のコンサートでは、原曲《クラリネットソナタ》を
フルートと共に演奏いたします、これだけすばらしい音楽、
原曲の楽器に限らず、他の楽器でも演奏し、これを愉しみたい!
という志があれば、きっと作曲者ブラームスにも
了解してもらえるのではないでしょうか・・・)、
心の癒し・慰め・心の充足をお届けできるよう、
最善を尽くして準備し、
大勢の皆様とこの時を分かち合えますよう願っております。
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