5月14日、横浜市港南区民文化センター「ひまわりの郷ホール」
http://www.himawari-sato.com/modules/extcal/event.php?event=232
そして、
5月23日、東京千駄ヶ谷「津田ホール」
http://www.nipponartists.jp/ticket/td20080523.html
におけるリサイタルが近づいて参りました。
リサイタルが近づくにつれて、今回のプログラムの
キーワード?合い言葉?鍵?が
見つかったような気がしました。
それは“会話Dialog”
今回のプログラム、前半のラヴェル
《プレリュード》《亡き王女のためのパヴァーヌ》
《マ・メール・ロワ》《高雅で感傷的なワルツ》
そして後半のムソルグスキー《展覧会の絵》
どれを取り上げても、「会話」というニュアンスが成り立つ
音楽たちです。
いや、もちろん、それを意識して始めからプログラムは
組んだのですが、いよいよホールのステージに乗る本番が
近づくにつれて、あらためて再認識するというのは
面白いものです。
“会話”
冒頭の《プレリュード》からして、きっと、
そうお聴きいただけることを願ってはいるのですが、
わずか2分に満たないこの小さな曲の中で、すでに、
中間部は、この世界を離れた、遠い遠い彼方から
音が聴こえてくるかのように、ラヴェルは作曲しています。
《亡き王女のためのパヴァーヌ》なぞ、
題名からして、一目瞭然でしょうか。
ラヴェル自身による中間部の指示「遥か彼方からTres lointain」は、
この曲を解釈する上での大きなヒントとなるでしょう。
《マ・メール・ロワ》は、お伽噺の音楽、
ファンタジーの世界を徘徊しながら、最後には
皆様ご自身の中にひそむ、かつて幼心にその世界にいた
あなた自身との会話が成立できますよう願って・・・
そして、我々は、今は大人となって
今日の日本という社会に生きている。
大人だからこそようやく分かる
「心の癒し」というものを、
音楽のファンタジーの力を借りて、
この《高雅で感傷的なワルツ》に
深く静かな癒しを見出したい・・・
そんなことを思っております。
そして、
名曲ムソルグスキー《展覧会の絵》においても、
自分にとっては数年ぶりにこの曲を再び取り上げるにあたって、
今回は特に「会話」という要素を重んじてみたいと
考え・感じています。
ムソルグスキーの友人ガルトマンが死んで、
彼の回顧展覧会を見ながら、膨大なインスピレーションが一気に湧き出し
わずか1週間あまりという短い時間で書かれたこの音楽には、
今・ここを生きる“わたし”と、亡き友とのやりとりが
曲中、所々に見出せると思うのです。
―――――――――――――――――――――――
コンサートという場は、たとえ同じプログラムであっても
「時」と「場所」と、そして「人」を違えた一期一会の瞬間であって、
準備してきた音楽といえども、いざ舞台の上に乗ったときには
常に新鮮なものです。
今回のリサイタルでも、果たして舞台の上ではどんなことになるのか、
あるいは、どんな新たなインスピレーションが浮かんでくるのか!?
・・・ちょっと恐いような、ちょっと楽しみなような、
本番前というのは、不思議な心境なものです。
↑一票、クリックお願いいたします↑
…………………………………………………………………
この記事に関するコメントやご連絡等ございましたら、
以下のアドレスまでメッセージをお送り下さい。
PianistSegawaGen@aol.com
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リサイタルが近づくにつれて、今回のプログラムの
キーワード?合い言葉?鍵?が
見つかったような気がしました。
それは“会話Dialog”
今回のプログラム、前半のラヴェル
《プレリュード》《亡き王女のためのパヴァーヌ》
《マ・メール・ロワ》《高雅で感傷的なワルツ》
そして後半のムソルグスキー《展覧会の絵》
どれを取り上げても、「会話」というニュアンスが成り立つ
音楽たちです。
いや、もちろん、それを意識して始めからプログラムは
組んだのですが、いよいよホールのステージに乗る本番が
近づくにつれて、あらためて再認識するというのは
面白いものです。
“会話”
冒頭の《プレリュード》からして、きっと、
そうお聴きいただけることを願ってはいるのですが、
わずか2分に満たないこの小さな曲の中で、すでに、
中間部は、この世界を離れた、遠い遠い彼方から
音が聴こえてくるかのように、ラヴェルは作曲しています。
《亡き王女のためのパヴァーヌ》なぞ、
題名からして、一目瞭然でしょうか。
ラヴェル自身による中間部の指示「遥か彼方からTres lointain」は、
この曲を解釈する上での大きなヒントとなるでしょう。
《マ・メール・ロワ》は、お伽噺の音楽、
ファンタジーの世界を徘徊しながら、最後には
皆様ご自身の中にひそむ、かつて幼心にその世界にいた
あなた自身との会話が成立できますよう願って・・・
そして、我々は、今は大人となって
今日の日本という社会に生きている。
大人だからこそようやく分かる
「心の癒し」というものを、
音楽のファンタジーの力を借りて、
この《高雅で感傷的なワルツ》に
深く静かな癒しを見出したい・・・
そんなことを思っております。
そして、
名曲ムソルグスキー《展覧会の絵》においても、
自分にとっては数年ぶりにこの曲を再び取り上げるにあたって、
今回は特に「会話」という要素を重んじてみたいと
考え・感じています。
ムソルグスキーの友人ガルトマンが死んで、
彼の回顧展覧会を見ながら、膨大なインスピレーションが一気に湧き出し
わずか1週間あまりという短い時間で書かれたこの音楽には、
今・ここを生きる“わたし”と、亡き友とのやりとりが
曲中、所々に見出せると思うのです。
―――――――――――――――――――――――
コンサートという場は、たとえ同じプログラムであっても
「時」と「場所」と、そして「人」を違えた一期一会の瞬間であって、
準備してきた音楽といえども、いざ舞台の上に乗ったときには
常に新鮮なものです。
今回のリサイタルでも、果たして舞台の上ではどんなことになるのか、
あるいは、どんな新たなインスピレーションが浮かんでくるのか!?
・・・ちょっと恐いような、ちょっと楽しみなような、
本番前というのは、不思議な心境なものです。
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