音楽家ピアニスト瀬川玄「ひたすら音楽」

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世阿弥『風姿花伝』から考える「緊張と体」

2006年06月07日 | 音楽(一般)
先日のコンサートの反省から、
舞台上での「緊張」について色々と書くことが多かったのですが、
ふと久しぶりに、日本古来から伝わる伝統文化「能」の大御所、
「世阿弥」の著した『風姿花伝(花伝書)』を紐解き、
ふと目に付いたところがありました。


――――――――――――――――

この文字にあたることを稽古し極めぬれば、
音曲・はたらき、一心になるべし。
所詮、音曲・はたらき一心と申すこと、
これまた、得たるところなり。
堪能と申さんも、これなるべし。
秘事なり。
音曲とはたらきとは、二つの心を、
一心になるほど達者に極めたらんは、
無上第一の上手なるべし。
これまことに強き能なるべし。

――――――――――――――――
世阿弥『風姿花伝』「第三 問答条々」「(七)文字にあたる風情とは
なにごとぞや」より抜粋。


カンタンに言ってみれば、
「音楽に合った体の動きが出来る人は、本当に上手な人」
だということを言っているのかな、と思うのですが・・・。

これは実に面白いです。

世阿弥のいう「音曲はたらき一心」を、一つの解釈において、
こうした舞台上での緊張の中で、理想的な体の使い方を実行できる者を
「無上第一の上手」と言っている・・・
とも考えることもできるでしょうか(これは、あくまでも「ひとつ」の
解釈に過ぎませんが・・・)

このような「上手」であれば、舞台上での緊張に襲われようと、
自分が舞台の上で何をすべきか把握し、それに準じて振舞うことができる、
そんな境地に達した人は、さぞかしレヴェルの高い芸術家といえるかもしれません・・・。




この『花伝書』からは、実に多くのことを学んでいます。
日本人として、600年以上も前の自分の祖先が、
ここまで高い芸術の境地を開き、それを文章に残してくれたことに
心の底からの喜びと感謝、そして誇りを感じます。
「日本人って、なかなかすごいかも・・・・
日本人に生まれてよかった~~」って・・・・!!




ところで、
上の原文にある「音曲はたらき一心」と「文字に当たる」という二文を
合わせて考えてみて、自分の携わっている西洋クラシック音楽に
当てはめてみると、なんだか面白いことが見えてくるような
気がするのです・・・・(ちなみに「音曲はたらき一心」は、現代語訳では
「謡いと所作の一致」とありました)


今の自分が考える限りで、
●作曲家の書いた楽譜・テクストの細かな部分それぞれを「文字」
●ひとつの楽曲作品としての「音曲」
●そして、それに見合った体の使い方を「はたらき(所作)」
としてみました。つづく


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