吉田秀和著 『現代の演奏』新潮社より抜粋
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ルービンシュタインが、何番何曲のマズルカをひいたか、
もう完全に忘れてしまった。
だが、あの演奏はよかった。
ある曲は、すごく憂欝に、
ある曲はむら気で憂欝とはしゃいだ上機嫌とが直接隣りあわせに交代するし、
またある時は、小気味良い啖呵でもきかされる心地がする。
三拍子でありながら二拍子みたいな妙なリズムと、
強拍ごとに変る和声とが交錯したり、
抱きあったまま転びそうになる二人の人間みたいにビッコをひいたり、
そのおもしろさは、ほかで味わったことがないものだった。
私は、このあとも、何人かのピアニストでマズルカをきく機会があったが、
あの時のようなおもしろみは感じたことがない。
いやルービンシュタイン自身のひいたレコードでも、しっくりしない。
ここでは、よりきちんとしていて、よそよそしい。
より客観的、批判的になっていて、
あの時の実演のような、
悪くいえば、すっかりそこに溺れきった姿勢がない。
というより、もっと正しくはあすこには、
もっと積極的で創造的な演奏があった。
と、いまにして、私は、考える。
ルービンシュタインの演奏会全体の雰囲気には、
いかにも騒々しくて、マテリアリスティックなものがあった。
けれども、彼は、それをのり越えた瞬間も、
あの演奏会の中で、創ってもいた。
少なくとも私自身には、
ショパンの楽譜をみただけではとうてい読みとれないものを、
ルービンシュタインは、あすこからひきだしていた。
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