長らく地元ヴァイマールを離れて、blogから遠ざかっておりましたが、
こちらは、演奏会を兼ねてドイツ国内(ハンブルク)の小旅行をしておりました。
明日、
ついに今年始めから遂行されておりました
ベートーヴェン・ピアノソナタ全曲演奏会の
最終回を迎えることとなりました。
前回の演奏会を終え、今回のコンサートに向けて準備を進めながら、
これが最終回になるといった特別の実感は、正直なところ、
これといってありませんでした。
ところが
3日ほど前、ホールの受付嬢(ドイツのおばちゃん)から
「きっと、大勢の人が聴きに来るわよ」
との言葉をいただき、ふと体の底から震えるような、
この最後のコンサートへの実感が突如、沸き上がってきたのでした。
全9回に及ぶ連続演奏会が明日で幕を閉じる、
それは同時に、ベートーヴェンの32曲の全ピアノソナタを
公開の演奏会で全て演奏し終わることとなります。
プログラムは、初期・中期・後期それぞれの有名曲を
軒並み連ねたものとなります。
●ソナタ8番op.13“悲愴”
●ソナタ26番op.81a“告別”
●ソナタ32番op.111
ツィクルスの最後を飾るに相応しいプログラムにしようと、
この連続演奏会を計画する当初から、自ら考えたもののはず
だったのですが、明日の最後の日が迫るにつれ、
その実感がいよいよ強く、押し迫ってくる感があります。
こう書きながらも、胸の内がざわざわと騒ぎ始めるのを感じる・・・
こんな経験は、滅多にないことなのかもしれない、
一人の人間が、ある一つの仕事を成すとき、
その心境の氷山の一角を書き表してみるのは、
後で自ら読み返したときに少しは面白いのかなとも思い、
ひとつ言葉に残してみようかと思った次第です。
明日が貴重な経験となるであろうことを心して取り組み、
明日の演奏を終えたときに、一体どんな気持ちになるのか、
いや想像ができません。
ベートーヴェン最後のピアノソナタ《op.111》は
今の自分の解釈では、「最期の闘い」であるとも考えております。
そして終楽章は、この世ではないところへの旅立ち・・・
できることをやるのみ。行ってまいります。
こちらは、演奏会を兼ねてドイツ国内(ハンブルク)の小旅行をしておりました。
明日、
ついに今年始めから遂行されておりました
ベートーヴェン・ピアノソナタ全曲演奏会の
最終回を迎えることとなりました。
前回の演奏会を終え、今回のコンサートに向けて準備を進めながら、
これが最終回になるといった特別の実感は、正直なところ、
これといってありませんでした。
ところが
3日ほど前、ホールの受付嬢(ドイツのおばちゃん)から
「きっと、大勢の人が聴きに来るわよ」
との言葉をいただき、ふと体の底から震えるような、
この最後のコンサートへの実感が突如、沸き上がってきたのでした。
全9回に及ぶ連続演奏会が明日で幕を閉じる、
それは同時に、ベートーヴェンの32曲の全ピアノソナタを
公開の演奏会で全て演奏し終わることとなります。
プログラムは、初期・中期・後期それぞれの有名曲を
軒並み連ねたものとなります。
●ソナタ8番op.13“悲愴”
●ソナタ26番op.81a“告別”
●ソナタ32番op.111
ツィクルスの最後を飾るに相応しいプログラムにしようと、
この連続演奏会を計画する当初から、自ら考えたもののはず
だったのですが、明日の最後の日が迫るにつれ、
その実感がいよいよ強く、押し迫ってくる感があります。
こう書きながらも、胸の内がざわざわと騒ぎ始めるのを感じる・・・
こんな経験は、滅多にないことなのかもしれない、
一人の人間が、ある一つの仕事を成すとき、
その心境の氷山の一角を書き表してみるのは、
後で自ら読み返したときに少しは面白いのかなとも思い、
ひとつ言葉に残してみようかと思った次第です。
明日が貴重な経験となるであろうことを心して取り組み、
明日の演奏を終えたときに、一体どんな気持ちになるのか、
いや想像ができません。
ベートーヴェン最後のピアノソナタ《op.111》は
今の自分の解釈では、「最期の闘い」であるとも考えております。
そして終楽章は、この世ではないところへの旅立ち・・・
できることをやるのみ。行ってまいります。