モーツァルトのフルート嫌いは、
クラシック音楽業界では有名な話です(いや正確には、フルート業界の内では?)
モーツァルトは、フルートのために
二つの《フルート協奏曲》を残していますが、
その内ひとつは、なんとどうやら「面倒くさいから」という理由で、
自身の《オーボエ協奏曲 ハ長調》を全音上げて
《フルート協奏曲 ニ長調》としたという逸話が残っているそうです。
それに怒った依頼者は、モーツァルトに謝礼を払わなかったとか・・・
(ま・・・当然でしょう)
(あるいはモーツァルトがその時フルート協奏曲を書くのが嫌だったのは
依頼者にも原因が・・・!?真偽のほどは定かではありませんが・・・)
さらには、当時の木菅フルートという楽器の音程が不安定で、
モーツァルトはそれが我慢ならなかったという話もあるのだそうですが・・・
では、モーツァルトはそこまでフルートが嫌いだったのでしょうか!?
ふと、そうではなかったのではなだろうか、と、
さらには、その真逆で、
本当はフルートという楽器をモーツァルトは深く愛していたのではないだろうか・・・
と、思いました。
《ピアノ協奏曲 イ長調 K.288》においてはフルートが入っており、
それはまさに「天使」のような役割を担っているかのようなのです!!
そこで、モーツァルト当時のフルートという楽器のことを考えますと、
その頃の横笛は、今日「フラウト・トラヴェルソ(Flauto Traverso)」と呼ばれる木製の楽器で、
なんとも素朴な音色で、(その魅力は多分にあるのですが!)
果たして「天使」を想像できるかどうか・・・というと・・・?
なんだか、
モーツァルトの内には、理想とする「天使の笛」というイデアが見えていて・聴こえていて、
当時の楽器が、それに応えるのに難しかったのでは・・・ということは
有り得るのかもしれない!?と思えたのです。
その点、
19世紀に入って、西洋音楽における楽器は大幅な改革が進み、
横笛=フルートは、K.ベームの手によって
今日一般的な「金菅」となったのです。
(フルートが「金菅」なのに「木菅楽器」の仲間に入るのは、
このような歴史的な成り立ちに基づきます)
金菅となった今日のフルートをモーツァルトが聴いたら、
ここに理想的な「天使の笛」を見出して喜んだのではないだろうか!?・・・なぞと
想像は膨らみます・・・
ちなみに、
モーツァルトがフルートという楽器を大事に思っていたであろう最大の証拠は残っていて、
それは、モーツァルト晩年の作オペラ《魔笛》の存在が、
その全てを物語っていると考えてもよいのではないでしょうか。
♪
追記:
21世紀の科学的な今日、
例えば「天使」や「ペガサス」といった架空の想像は
軽んじられてしまいがちかもしれません・・・
しかし、クラシック音楽をやるならば、いや、そうではなく
人間として健全に生きるひとつの術として、
人知を越えた「天使」や「神」という存在について思いを駆せることは
決して軽んじられることではないと信じたいものです。
クラシック音楽業界では有名な話です(いや正確には、フルート業界の内では?)
モーツァルトは、フルートのために
二つの《フルート協奏曲》を残していますが、
その内ひとつは、なんとどうやら「面倒くさいから」という理由で、
自身の《オーボエ協奏曲 ハ長調》を全音上げて
《フルート協奏曲 ニ長調》としたという逸話が残っているそうです。
それに怒った依頼者は、モーツァルトに謝礼を払わなかったとか・・・
(ま・・・当然でしょう)
(あるいはモーツァルトがその時フルート協奏曲を書くのが嫌だったのは
依頼者にも原因が・・・!?真偽のほどは定かではありませんが・・・)
さらには、当時の木菅フルートという楽器の音程が不安定で、
モーツァルトはそれが我慢ならなかったという話もあるのだそうですが・・・
では、モーツァルトはそこまでフルートが嫌いだったのでしょうか!?
ふと、そうではなかったのではなだろうか、と、
さらには、その真逆で、
本当はフルートという楽器をモーツァルトは深く愛していたのではないだろうか・・・
と、思いました。
《ピアノ協奏曲 イ長調 K.288》においてはフルートが入っており、
それはまさに「天使」のような役割を担っているかのようなのです!!
そこで、モーツァルト当時のフルートという楽器のことを考えますと、
その頃の横笛は、今日「フラウト・トラヴェルソ(Flauto Traverso)」と呼ばれる木製の楽器で、
なんとも素朴な音色で、(その魅力は多分にあるのですが!)
果たして「天使」を想像できるかどうか・・・というと・・・?
なんだか、
モーツァルトの内には、理想とする「天使の笛」というイデアが見えていて・聴こえていて、
当時の楽器が、それに応えるのに難しかったのでは・・・ということは
有り得るのかもしれない!?と思えたのです。
その点、
19世紀に入って、西洋音楽における楽器は大幅な改革が進み、
横笛=フルートは、K.ベームの手によって
今日一般的な「金菅」となったのです。
(フルートが「金菅」なのに「木菅楽器」の仲間に入るのは、
このような歴史的な成り立ちに基づきます)
金菅となった今日のフルートをモーツァルトが聴いたら、
ここに理想的な「天使の笛」を見出して喜んだのではないだろうか!?・・・なぞと
想像は膨らみます・・・
ちなみに、
モーツァルトがフルートという楽器を大事に思っていたであろう最大の証拠は残っていて、
それは、モーツァルト晩年の作オペラ《魔笛》の存在が、
その全てを物語っていると考えてもよいのではないでしょうか。
♪
追記:
21世紀の科学的な今日、
例えば「天使」や「ペガサス」といった架空の想像は
軽んじられてしまいがちかもしれません・・・
しかし、クラシック音楽をやるならば、いや、そうではなく
人間として健全に生きるひとつの術として、
人知を越えた「天使」や「神」という存在について思いを駆せることは
決して軽んじられることではないと信じたいものです。