音楽家ピアニスト瀬川玄「ひたすら音楽」

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◆信じること・力強い魂の躍動 ~ブラームス《ドイツ・レクイエム》第3楽章:後半フーガ 解説

2008年04月03日 | ブラームス《ドイツ・レクイエム》

ブラームス《ドイツ・レクイエム》第3楽章 後半


冒頭の絶望的な「無」を嘆く世界のすえ、
暗がりの中からぼんやりと次の言葉が浮かび上がります


  Ich hoffe aud dich
  (私はあなたを信じます)


「信仰」ということでしょうか、
これをしかし私は、単にキリスト教的な神への信仰
のみに限定されたものとは思いたくありません、
事実、この音楽を作曲したブラームス自身、
教会へ通う、ということはあまりなく、
敬虔なキリスト教徒とはいえない人であったようです。
しかし、
そんな彼でも「神」に対する思いがある、
あるいは、人並み以上に(人並みであれば充分とも思いますが)
「神」の存在を心に感じていたのではないか、と強く思われるのです。

だって、こんな素晴らしい音楽をかけてしまうのは、
たった一人の個人の力を超越している証拠ではないでしょうか、
もちろん、個人とて無限の内にあるひとつ、
「個」であり「普遍」でもある人間の力、これは、きっと
誰もが有するものなのだと私は思いたいです。
いや、きっと、そうだと思う。


そして、
「信じる」という言葉に、
人は、きっと、大いなる力を感じるはずです、
いや、
感じてください!!ブラームスの音楽を通して。



  Der Gerechten Seelen sind in Gottes Hand,
  und keine Qual ruehret sie an.
  (正しいものの魂達は神の御手にある、
   そしてどんな責苦も彼らに届くことはない)



ブラームスは、この高らかにコーラスによって歌われる
3楽章後半部分のフーガに、
大いなる足かせを自らはめている、とも言われます。
ブラームス自身の言葉によると、「悪評だった保続音を長靴を
はいて歩き廻ってさがし求めました」とのことです(笑)
これは何のことかといいますと、
フーガが始まってずっと、
低音部に鳴り響き続ける「D(レ)」の音のことです。
このような技法を「Orgelpunktオルゲルプンクト」ともいいます。
緊張感に満ちた、音楽の技法のひとつです。
一体これが何小節続くのやら、何分続くのやら・・・
この低音・オルゲルプンクトの上を変幻自在に動き回る
オーケストラとコーラスの旋律に耳を澄ますことで、
きっと精神の高揚を心に感じることができるでしょう、
まさに《ドイツ・レクイエム》前半のクライマックスが
ここにあります。



◆ところで、
今回の4月5日のオペラシティーでの公演において、
この第3楽章の終わりは、
指揮者シュナイト先生の優れた音楽性の
見所のひとつと私は思っています。


高らかに歌い上げられた音楽の最後は、
「神の世界」をも思わせる「二全音符」で終わります。
(ピアノばっかり弾いている自分にとっては非常に珍しいもの)

そして、
シュナイト先生は、この力満ち溢れる和音を、なんと、
最後に



ふわっ



と柔らかさをもって、丸く収めてしまうのです。
これは、非常に高い音楽的感性のなせる業、と思えるのです。
つづく天国的な第4楽章のことを考えてか、
この《ドイツ・レクイエム》はここで終わるわけではない
ことを暗示しているのか、様々な理由を述べることができましょう、
非常にたくさんの意味を秘めた、この素晴らしい指揮の瞬間に、
シュナイト氏の指揮者としての・音楽家としての大きさを
目の当たりにできる、素晴らしいチャンスのひとつが、
この第3楽章の終わりにもあると思っています。


音楽は、まだまだ続きます。より大きな・深い・静かな感動を求めて・・・



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