「旅に病んで 夢は枯野をかけ廻る」
日本における代表的な文芸のひとつである俳句の巨匠、
松尾芭蕉が最後に詠んだ句・・・
久しぶりにこの言葉を耳にし、
思わず、ここ数年かけて取り組んできた
クラシック音楽のレパートリーのいくつかが、
まるで呼応したかのように、聴こえてきました。
たとえば、ベートーヴェン最後のピアノソナタ群は、
この「句」を「音楽」として耳にすることができるのではないでしょうか。
《ピアノソナタ第30番 E-Durホ長調 op.109》の終楽章、
変奏曲形式のこの音楽の最後の変奏、
ゆっくりと徐々にスピードを速めてゆくトリルに導かれ、
ピアノという楽器を、幅広く上下に動き回るアルページオは、
まさに「夢は枯野をかけ廻る」感じではないでしょうか・・・
そして、
《ピアノソナタ第31番 As-Dur変イ長調 op.110》の最後にしても。
最後のピアノソナタ《第32番 c-mollハ短調 op.111》においては、
前作《op.109》や《op.110》のような激しさではないけれど、
左手の浮遊感ある伴奏形に支えられながら、
右手が冒頭のメロディーを歌い、昇華してゆきます・・・
ショパンにしてもそう、
独奏曲としての最後の大曲
《幻想ポロネーズ As-Dur変イ長調 op.61》の最後は、
激しい左手のオクターブ連打に導かれ、
音楽は高みへと導かれてゆく
「夢は枯野をかけ廻る」
こんなダラダラと書き連ねる自分のブログが恥ずかしいほど、
こんな短い言葉なのに、多くを語っている・・・
俳句って、芭蕉って、
すごい・・・ですね。
今度、これらの音楽をコンサートで弾く際には
この句を一言、プログラムに載せたら・・・?などとつい、
思いが巡りました。
17世紀の日本を生きた俳句の巨匠・松尾芭蕉、
18~19世紀のドイツを生きた
西洋クラシック音楽の巨匠ベートーヴェンと、
19世紀を生きたポーランド人のピアノの詩人ショパン
時代と国境を越えて共通する
「夢は枯野をかけ廻」った人達だったのかなと、
思うのでした。
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PianistSegawaGen@aol.com
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日本における代表的な文芸のひとつである俳句の巨匠、
松尾芭蕉が最後に詠んだ句・・・
久しぶりにこの言葉を耳にし、
思わず、ここ数年かけて取り組んできた
クラシック音楽のレパートリーのいくつかが、
まるで呼応したかのように、聴こえてきました。
たとえば、ベートーヴェン最後のピアノソナタ群は、
この「句」を「音楽」として耳にすることができるのではないでしょうか。
《ピアノソナタ第30番 E-Durホ長調 op.109》の終楽章、
変奏曲形式のこの音楽の最後の変奏、
ゆっくりと徐々にスピードを速めてゆくトリルに導かれ、
ピアノという楽器を、幅広く上下に動き回るアルページオは、
まさに「夢は枯野をかけ廻る」感じではないでしょうか・・・
そして、
《ピアノソナタ第31番 As-Dur変イ長調 op.110》の最後にしても。
最後のピアノソナタ《第32番 c-mollハ短調 op.111》においては、
前作《op.109》や《op.110》のような激しさではないけれど、
左手の浮遊感ある伴奏形に支えられながら、
右手が冒頭のメロディーを歌い、昇華してゆきます・・・
ショパンにしてもそう、
独奏曲としての最後の大曲
《幻想ポロネーズ As-Dur変イ長調 op.61》の最後は、
激しい左手のオクターブ連打に導かれ、
音楽は高みへと導かれてゆく
「夢は枯野をかけ廻る」
こんなダラダラと書き連ねる自分のブログが恥ずかしいほど、
こんな短い言葉なのに、多くを語っている・・・
俳句って、芭蕉って、
すごい・・・ですね。
今度、これらの音楽をコンサートで弾く際には
この句を一言、プログラムに載せたら・・・?などとつい、
思いが巡りました。
17世紀の日本を生きた俳句の巨匠・松尾芭蕉、
18~19世紀のドイツを生きた
西洋クラシック音楽の巨匠ベートーヴェンと、
19世紀を生きたポーランド人のピアノの詩人ショパン
時代と国境を越えて共通する
「夢は枯野をかけ廻」った人達だったのかなと、
思うのでした。
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