久々のソロリサイタルがせまって参りました。
3月3日(月)、
横浜市青葉区のフィリアホールにて、
ピアノソロ・リサイタルをすることとなります。
実は、このリサイタルのプログラムは、昨年の夏、
東京の津田ホール、そして港南区民文化センターひまわりの郷で
演奏したものと同じなのですが、これは同じプログラムで
手を抜こうなぞとしているのでは決してありません(敢えて書くと
逆に言い訳がましく聞こえてしまいますが(自爆))。
「リサイタル」というものを
「ひとつの作品」として捉えるとき、
今回取り揃えましたベートーヴェンとショパンの作品達が、
世紀と国境を越えて今日の日本という地に生きる我々の
心を打ち震わせてくれるような人間ドラマとして
一晩のコンサートが人々にとって、あるいは社会にとって
有意義なものとなれればという思いあって、
今回、青葉区の方々とのご縁とご協力をいただく機会に恵まれ、
リサイタル開催の運びへとつながっていったものです。
プログラムは、
ベートーヴェンとショパンのピアノ曲。
前半では、
◆ベートーヴェンの《悲愴ソナタ》をはじめ、
◆ショパンの《エチュード“革命”》や《バラード第1番》など、
彼らの若かりし(ベートーヴェン、ショパン共に二十代)頃の
苦悩と絶望がダイレクトに力強く「楽曲」という形となった
クラシック音楽のレパートリーでも名曲として
聞きなじみのある曲が揃っています。
これらの名曲に潜む彼ら作曲家の苦境は、
彼ら個人の体験した苦悩を超えて、我々が人間として生きる以上、
多かれ少なかれ体験する苦しみ・そして歓びであって、
彼らの書き残してくれた作品は、
この普遍的な人間としての自然な心のあり方に呼応する
すさまじい威力を持った音楽として形を成しました・・・すごい曲、
そしてそんな曲を書いた作曲家のすごさが感じられます。
そして、
彼らはその苦境をどのようにして乗り越えてゆくのか・・・
音楽を通じて、我々の想像は絶えません。
後半では、ベートーヴェン・ショパン共に
後期・晩年の頃の作品が揃います。
◆ベートーヴェン《ピアノソナタ 第31番 変イ長調 op.110》
◆ショパン《幻想ポロネーズ 変イ長調 op.61》
人生の紆余曲折を経てたどり着いた彼ら大作曲家の後期の作品は、
魂の平安を求めて、ついには現世の苦悩を逸脱し、
新たな世界へと昇華してゆくかのような
神秘的なまでの力を有する音楽のようです。
それは、ベートーヴェンの不滅の恋人への想いであったり、
晩年のショパンにおけるジョルジュ・サンドとの関係などの
個人的な境遇を越えて、我々皆に相通ずるところがあり、
そう思ってこれらの音楽に接するとき、これは
他人事ではない、我々一人一人の人生に照らし合わされる
芸術の瞬間と成りうるのではないだろうか、
そんなことを考えながら、演奏家として・音楽家として、
今の自分にできる全力をもってこのソロリサイタルに
挑んでゆきたいと思っております。
我々の周辺にはテレビ・ラジオ・CDさらにはインターネットなど
機械を通した録音された音楽が溢れかえっている今日の現状において、
その場・その時限り(一期一会?)のコンサートという
生演奏の音楽が響き渡る時空間は、このような世の中だからこそ、
余計に意味の深いものになってくるのではないかとも思われます。
フィリアホール近くにお住まいの方々を始め、
大勢の方々のご来場を、心より願っております!!
…………………………………………………………………
この記事に関するコメントやご連絡等ございましたら、
以下のアドレスまでメッセージをお送り下さい。
PianistSegawaGen@aol.com
…………………………………………………………………
3月3日(月)、
横浜市青葉区のフィリアホールにて、
ピアノソロ・リサイタルをすることとなります。
実は、このリサイタルのプログラムは、昨年の夏、
東京の津田ホール、そして港南区民文化センターひまわりの郷で
演奏したものと同じなのですが、これは同じプログラムで
手を抜こうなぞとしているのでは決してありません(敢えて書くと
逆に言い訳がましく聞こえてしまいますが(自爆))。
「リサイタル」というものを
「ひとつの作品」として捉えるとき、
今回取り揃えましたベートーヴェンとショパンの作品達が、
世紀と国境を越えて今日の日本という地に生きる我々の
心を打ち震わせてくれるような人間ドラマとして
一晩のコンサートが人々にとって、あるいは社会にとって
有意義なものとなれればという思いあって、
今回、青葉区の方々とのご縁とご協力をいただく機会に恵まれ、
リサイタル開催の運びへとつながっていったものです。
プログラムは、
ベートーヴェンとショパンのピアノ曲。
前半では、
◆ベートーヴェンの《悲愴ソナタ》をはじめ、
◆ショパンの《エチュード“革命”》や《バラード第1番》など、
彼らの若かりし(ベートーヴェン、ショパン共に二十代)頃の
苦悩と絶望がダイレクトに力強く「楽曲」という形となった
クラシック音楽のレパートリーでも名曲として
聞きなじみのある曲が揃っています。
これらの名曲に潜む彼ら作曲家の苦境は、
彼ら個人の体験した苦悩を超えて、我々が人間として生きる以上、
多かれ少なかれ体験する苦しみ・そして歓びであって、
彼らの書き残してくれた作品は、
この普遍的な人間としての自然な心のあり方に呼応する
すさまじい威力を持った音楽として形を成しました・・・すごい曲、
そしてそんな曲を書いた作曲家のすごさが感じられます。
そして、
彼らはその苦境をどのようにして乗り越えてゆくのか・・・
音楽を通じて、我々の想像は絶えません。
後半では、ベートーヴェン・ショパン共に
後期・晩年の頃の作品が揃います。
◆ベートーヴェン《ピアノソナタ 第31番 変イ長調 op.110》
◆ショパン《幻想ポロネーズ 変イ長調 op.61》
人生の紆余曲折を経てたどり着いた彼ら大作曲家の後期の作品は、
魂の平安を求めて、ついには現世の苦悩を逸脱し、
新たな世界へと昇華してゆくかのような
神秘的なまでの力を有する音楽のようです。
それは、ベートーヴェンの不滅の恋人への想いであったり、
晩年のショパンにおけるジョルジュ・サンドとの関係などの
個人的な境遇を越えて、我々皆に相通ずるところがあり、
そう思ってこれらの音楽に接するとき、これは
他人事ではない、我々一人一人の人生に照らし合わされる
芸術の瞬間と成りうるのではないだろうか、
そんなことを考えながら、演奏家として・音楽家として、
今の自分にできる全力をもってこのソロリサイタルに
挑んでゆきたいと思っております。
我々の周辺にはテレビ・ラジオ・CDさらにはインターネットなど
機械を通した録音された音楽が溢れかえっている今日の現状において、
その場・その時限り(一期一会?)のコンサートという
生演奏の音楽が響き渡る時空間は、このような世の中だからこそ、
余計に意味の深いものになってくるのではないかとも思われます。
フィリアホール近くにお住まいの方々を始め、
大勢の方々のご来場を、心より願っております!!
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PianistSegawaGen@aol.com
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