ピアノのソロの演奏を聴いてきました。
19世紀のピアノ演奏超絶技巧の権化、そして
大いなる音楽家・作曲家であったフランツ・リストの
《ソナタh-moll(ロ短調)》
単一楽章のソナタでありながら、
演奏時間は40分を超える長大なもの、ピアノ・ソロの楽曲として、
非常に大きな部類に入ると言えるでしょう。そして
絶対音楽・器楽曲としてのリストの力作と考えることもできそうです。
それにしても、今日はこの曲を聴きながら
色々なことを考え・感じました。
ひとつ、ここに書いてみようかと思ったことは、
この《ソナタ》を聞きながら、
リストという一人の作曲家の作品でありながら
実に多くの音楽家・作曲家の片鱗が見えるものだなと、
40分の時間を飽きることなく、堪能して聴くことができました。
もちろん、
走り回る華麗なパッセージや、オクターブの連打、
分厚い和音によるピアノという楽器の最大限鳴り響くさまは
大ピアニスト・フランツ・リストその人でこその音楽ではあるのですが、
例えば、
●再現部と思われる部分のテーマの対位法的な処理は
J.S.バッハを思わせるようでもあり、
●テーマ・モチーフをふんだんに使った展開部は
ベートーヴェンの展開部での力の入れようをふと想起するにいたり、
●そんな展開部の終盤に現れる「コラール」からは、
ライヴァルでもあったピアノの詩人ショパンの
最晩年の大作《幻想ポロネーズ》を思い出したりもしました。
さらには、後世へとつながっていくのですが、
●この「コラール」が最高潮を極めようとするところなぞは、
マーラー的な、後期ロマン派の大いなるカタルシスを感じました。
(ここに、器楽曲・絶対音楽であるソナタでありながら、
音楽的内容は実にロマンティック、あるいは表題音楽の持つ
物語性を大いに有しているのかもしれない!?なぞと
考えを巡らしたりもしていました)
カタルシス・・・と書いてみて、
そういえばベートーヴェンの後期ソナタに、
これと同類と思われるようなものを感じるな・・・・と。
「ベートーヴェンはロマン派の草分け」
という見解があるようですが、
このように考えてみると、あながちウソでもなさそうに思えてきます。
ショパンの後期作品に、後期ロマン派への足がけを見ることもでき、
リストの後期の無調作品は、20世紀の音楽への橋渡し役をするようにも
考えることができそうな気がするのです。
話があっちこっちして、
なんだかごちゃごちゃとして内容になってしまったかもしれませんが、
ようは、
それぞれの作曲家は、それぞれの個性を存分に有しながらも、
相互影響と相乗効果あって、あるいは時代と国境を越えて、
音楽の発展経緯として、たった一人の人間によって成されたのではない
ある大きな流れというものがあるのかもしれない、
「***は一日にして成らず」
あるいは
このような芸術観に「伝統」という言葉が沿うのかもしれないな、
などなど感じたことを、書いてみたかったのでした。
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大いなる音楽家・作曲家であったフランツ・リストの
《ソナタh-moll(ロ短調)》
単一楽章のソナタでありながら、
演奏時間は40分を超える長大なもの、ピアノ・ソロの楽曲として、
非常に大きな部類に入ると言えるでしょう。そして
絶対音楽・器楽曲としてのリストの力作と考えることもできそうです。
それにしても、今日はこの曲を聴きながら
色々なことを考え・感じました。
ひとつ、ここに書いてみようかと思ったことは、
この《ソナタ》を聞きながら、
リストという一人の作曲家の作品でありながら
実に多くの音楽家・作曲家の片鱗が見えるものだなと、
40分の時間を飽きることなく、堪能して聴くことができました。
もちろん、
走り回る華麗なパッセージや、オクターブの連打、
分厚い和音によるピアノという楽器の最大限鳴り響くさまは
大ピアニスト・フランツ・リストその人でこその音楽ではあるのですが、
例えば、
●再現部と思われる部分のテーマの対位法的な処理は
J.S.バッハを思わせるようでもあり、
●テーマ・モチーフをふんだんに使った展開部は
ベートーヴェンの展開部での力の入れようをふと想起するにいたり、
●そんな展開部の終盤に現れる「コラール」からは、
ライヴァルでもあったピアノの詩人ショパンの
最晩年の大作《幻想ポロネーズ》を思い出したりもしました。
さらには、後世へとつながっていくのですが、
●この「コラール」が最高潮を極めようとするところなぞは、
マーラー的な、後期ロマン派の大いなるカタルシスを感じました。
(ここに、器楽曲・絶対音楽であるソナタでありながら、
音楽的内容は実にロマンティック、あるいは表題音楽の持つ
物語性を大いに有しているのかもしれない!?なぞと
考えを巡らしたりもしていました)
カタルシス・・・と書いてみて、
そういえばベートーヴェンの後期ソナタに、
これと同類と思われるようなものを感じるな・・・・と。
「ベートーヴェンはロマン派の草分け」
という見解があるようですが、
このように考えてみると、あながちウソでもなさそうに思えてきます。
ショパンの後期作品に、後期ロマン派への足がけを見ることもでき、
リストの後期の無調作品は、20世紀の音楽への橋渡し役をするようにも
考えることができそうな気がするのです。
話があっちこっちして、
なんだかごちゃごちゃとして内容になってしまったかもしれませんが、
ようは、
それぞれの作曲家は、それぞれの個性を存分に有しながらも、
相互影響と相乗効果あって、あるいは時代と国境を越えて、
音楽の発展経緯として、たった一人の人間によって成されたのではない
ある大きな流れというものがあるのかもしれない、
「***は一日にして成らず」
あるいは
このような芸術観に「伝統」という言葉が沿うのかもしれないな、
などなど感じたことを、書いてみたかったのでした。
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