音楽家ピアニスト瀬川玄「ひたすら音楽」

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◆ドビュッシー作曲の「サロメ」!? ~ 《前奏曲集 第1巻》より《Voiles》

2012年08月09日 | ドビュッシー Claude Debussy
今年2012年は、ドビュッシー生誕150年ということで、
そのピアノ曲を全てまとめて勉強しているところです。

昨日の東京・表参道におけるクラシック音楽道場では、
ドビュッシー中期の作品《前奏曲集 第1巻》全12曲を
発表いたしました。(大勢のご来場者様に、感謝いたします!ありがとうございました!)

今年の2月から毎月、
おおよそドビュッシーの作曲した順に初期の作品から追ってゆき、
昨日8月の回でとりあげました《前奏曲集1》では、よく言われるように、
ドビュッシーの作曲がついに円熟期に達した感が
やはり!あったように、思われました。

それまでのドビュッシーの培ってきた
音楽家・作曲家として、そして人間性・人生観などが
全12曲のいたるところにちりばめられているよう。

そこに、「印象派」であることを
作曲者自身が拒絶していたという事実に照らし合わせることで、
《前奏曲集 第1巻》のある一曲に関して、
今まで思っていたのと、全く違う曲の解釈が成り立つ!?かもれないことを、
ひとつ、ここにまとめてみたいとチャレンジしてみます。

ある妖艶な踊り子の姿が浮かび上がることを願って!?


・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ドビュッシー作曲《前奏曲集 第1巻》の2曲目、
フランス語の原題で《Voiles》という曲名がついていますが、
これは一般的に日本語では《帆》と訳されています。

「印象派の作曲家ドビュッシー」という常識からすれば、
海・港に浮かんだ船の情景描写を思い描くことは
容易いことと思われます。

しかし、
この曲を勉強し、調べてゆきますと、
《Voiles》とは、単に「帆」とは言えないことが分かってきました。

日本におけるドビュッシー研究の第一人者と思われる
平島正郎先生の書かれたドビュッシー楽曲解説によると、


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
作曲家が曲尾にそえたことば・・・・・・Voilesは、
名詞の性をしめす冠詞がないので、
帆(女性名詞)ともヴェール(男性名詞)ともとれる。
ロバート・シュミッツ(R.Schmitz: The Piano Works of
Claude Debussy, 1950)によれば、
作曲者自身が両様の注釈をあたえていた。
「ペダルに錨(いかり)でつながれた帆船」。
「うごめく女体をつつむ神秘のヴェール、その後ろから流し目が欲望をあおる」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(参考文献:『作曲家別 名曲解説 ライブラリー10 ドビュッシー』)

・・・とのこと・・・

気になるのは最後の一文でしょうか、
ドビュッシー自身が、そう言っていたというから、
興味は一層大きくなります。


《ヴェール》
女性が羽織る薄手の布


さらに考察を進めてまいりますと、
ドビュッシー自身が「印象派」であることを拒絶していたとのこと、
では、いったい
ドビュッシーとは「何派」?、あるいは
「どんな趣味、どんな感性」であったのかを探ってゆきますと、
彼は絵画や文学者の集うサロンやカフェ(バー!?)に出入りし、
「象徴派」と呼ばれる詩人・芸術家と多く交友を持ち、
さらには当時のフランスで流行していたと言われる
世紀末的・頽廃的・デカダンスの風潮にも
ドビュッシーはドップリ浸っていたという事実を知るにいたりました。


青年期のドビュッシーが受けたインタビューによると、
「好きな作家は? フローベール、エドガー・ボー。
 好きな詩人は? ボードレール。
 好きな画家は? ボッティチェリ、モロー。」
と答えているそうです。

象徴派・頽廃的な雰囲気の詩を数多書いているボードレール、
そのボードレールが英語から仏語に訳して有名となったらしい
エドガー・アラン・ポーの怪奇小説や詩作、そしてさらには、
画家のギュスタフ・モローという名が挙がっているのが、
今回の話題に重要な役目をもってきます。

モローは、19世紀フランスに生きた画家で、
神話や聖書の物語などを題材にした幻想的な作品を描いた
「象徴派」といわれる人で、その代表作には、
『サロメ』を描いた一連の作品群が挙げられましょう。


そして、これらの絵画作品を
紹介し世に知らしめたと言われるのが、
「デカダンの聖書」とも呼ばれるらしい本、
J.K.ユイスマンス著『さかしま』であるらしく、
絵画を文章でもって精彩に描写し、
その世界を、生々しく浮き彫りにしています。


文学青年であったドビュッシーは
ありとあらゆる当世の文学に触れていたらしく、この『さかしま』も、
もちろん読んでいた・知らないわけはなかったのだそうです。
(参考文献:青柳いづみこ著『ドビュッシー、想念のエクトプラズム』)

ドビュッシーの触れたであろう文学、
さらには、好きな画家としてあげたモローの代表作が重なり、
ここに「サロメ」という重なる点が浮かび上がってくるのです。

さらに「サロメ」に関する情報を追うと、
もちろん!音楽のジャンルにおける《サロメ》といえば、
ドビュッシーと同時代(いや同世代と言ってよいでしょうか!)の
ドイツの作曲家リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)のオペラであり、
(1905年作曲・初演)(ちなみにドビュッシー《前奏曲集1》は1910年作曲)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%AD%E3%83%A1_(%E3%82%AA%E3%83%9A%E3%83%A9)
このオペラ《サロメ》でのクライマックスは、
なんといっても、
踊り子サロメが衣装を一枚ずつ脱ぎ去ってゆくという《七つのヴェールの踊り》でしょう。
舞台上で登場人物が、音楽に合わせて、どのように演じられるのかは、
常に物議を醸し、人々の興味を惹かないではいられません。

また、このオペラの台本として使われているのは、
1891年にパリで出版されたというオスカー・ワイルド著の戯曲『サロメ』。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%AD%E3%83%A1_(%E6%88%AF%E6%9B%B2)



1891年のドビュッシーは29歳。
ローマ留学を終え(中断?)、
独自の道を進む頃のドビュッシーです。

ドビュッシーが、サロメを知らなかったわけは、ないでしょう。


1909年12月から翌年2月までの約2ヶ月の間に書かれた
《前奏曲集 第1巻》の2曲目に収められた
《Voiles》、
フランス語に必須?な冠詞を、もしかすると敢えて外すことで、
「ヴェール」という意味を秘めた?

それを更に深読みし、そのヴェールが
何のことなのか・誰の持つものなのかを想像すると、
この古き聖書に登場するサロメの存在は
どうしても浮かび上がってきてしまいましょうか。


最後に、
ドビュッシーのこの曲の楽譜をのぞいてみますと、
こうした解釈を、決定付けるかのような作曲者の指示が見られます。


冒頭の
「Dans un rythme sans rigueur et caressant
(厳格でないリズム、そして愛撫するように)」


曲のクライマックスの直前、43小節終わりに書かれた
「Emporté(取り去る)」という言葉、


そして曲の終わりにむかって58小節には
「Très apaisé et très atténué jusqu'à la fin
(とてもなだめ(落ち着かせ)、とても和らげ、終わりにむかって)」



・・・ドビュッシーの曲を聴きながら、
妖艶なサロメの踊りが、眼前に見えてはこないでしょうか?




追記:
ドビュッシー自身が、《Voiles》という題名を
冠詞をなくして書いたということは、
何事かを秘めておきたかった、
謎めかしておきたかった
という意図の現れなのかもしれず、
それを、このような解釈で公にしようとする行為は、
作者のフランス人的感覚にしてみれば「無粋」なのかもしれません・・・
あるいは、分かってはいたけれど、遠慮していた人々もいるのかもしれず・・・
しかし、ここは、
真にドビュッシーの音楽芸術を理解し・より深く愉しみたいという人の思いから、
この無粋を御免くださいますよう、言い訳させていただきます。



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