「謙虚でなければいけない」という義務的な言葉には以前から違和感を持っています・・・それについて考えているのですが、例えば、手応えある真実の一端を発見して、しかしそれを「分かったなぞと思っては謙虚ではない」として蓋をしてしまうのは・・・非建設的で、愚かなのでは!?
手応えある真実が少しでもあったなら、それに自信を持ち、それに向かい合い続ける。もしもそれが間違いだった場合、素直に訂正する心があれば、これ謙虚ではないかしら?間違いを糧に更なる真実を追求することは大事な成長とも思われます。
間違いに甘えず、それを謙虚に受け止め訂正し、更なるステップへと昇華させることは、価値ある行いではないでしょうか。その場合、リベンジが許される社会であるべきと思われます! (間違っても真剣に反省しない人にはその恩恵は値しないようにも思われますが・・・怖!)
ようするに、無闇やたらと「謙虚でなければいけない」という考え方は、あまりよいものではないと思われます。真実に目を向け、それを追求しよう! 所詮我々には、限度があるから。全部は到底わからないから!その事実を知るとき、人は謙虚にならざるをえないはずだから!
ミクロコスモ、マクロコスモ! その両端は・・・あるのかしら? 宇宙の果ては? ブラックホールの中は? ヒッグス粒子は何で出来ているの? ほら!分からないことだらけ! 少しずつでも、人類がわかってゆくなら、これ尊いことと思われます