音楽家ピアニスト瀬川玄「ひたすら音楽」

♪クラシック音楽の伝統を受け継ぐ真の音楽芸術家を目指して活動しています♪ 「YouTubeクラシック音楽道場」も更新中♪

(つづき)ショッキングな音楽会 【イヴォ・ポゴレリッチ、ラフマニノフ《ピアノ協奏曲》】

2006年08月30日 | 音楽(一般)
唐突なアクセント。
楽譜とまったく違ったダイナミクス。
普段全く聴いたことのないような旋律。
ソロになったとたんに、完全にテンポ感を失う自由さ。

気違いの沙汰としか考えられない、破滅的な・破壊的な演奏である。

それでいて、時にとてつもなく澄んだ美しい音を奏でる・・・


演奏中、しばらく考えあぐねて、
ようやくポゴレリッチのしている音楽を紐解く
一つのアイディアにたどり着いたとすれば、それは、

「ピカソの絵を見ているつもり」で演奏を聴けばよいのかな、
ということだった。

現代芸術における非写実的で混沌としている絵画を(あるいは芸術家達は
それを「写実的だ」「整然とした姿だ」と言い張るのかもしれないが)
残念ながら自分はそこまで知っているわけではないので、
この分野における貧相な想像力をなんとか活用し、
あの有名な「ピカソ」の描く絵をイメージする意外に方法は無いのだが、
いわゆる「ピカソ」描く絵は、
人間なり被写体が、ごく一般的な、自然と見られる人間の形を
成していない(あるいは彼らはそれを「自然だ」と言い張るのかも
しれないが・・・)。

誇張された目鼻立ち、
片目が正面を見据えているかと思えば、もう片方の目は
顔の真横についている、まるでとんでもないバケモノのようだ。
体の割りにアンバランスな手足、
片手が大きく、もう片方は極端にちいさかったりもする、あるいは、
とんでも無いところから手足が生えていることだってある。

デフォルメという概念らしい。


ポゴレリッチの音楽にコレを当てはめてみた。なかなかしっくりきた。

唐突なアクセントは、誇張された目鼻立ち、
それは片目だけ大きく、もう片方は小さいままのすさまじいアンバランス。
普段聴くラフマニノフ《第2ピアノ協奏曲》からは
聴いたこともない旋律線(旋律といえるかどうかも疑問なこと多々)が
浮かび上がる。それは、遠近法でいえば普段は背景にあるはずの部位が
極端に画面前面に押し出されているようにも感じられる。

それでいて、目口鼻耳、手足、五体の欠けるところは無い。
つまり、楽譜に書かれた全ての音は、どうやら
全て弾かれているようなのだ(ほとんど聴こえないことも多々)。


これが、今の彼の感性なのだろうか。
もしかしたら、現代芸術家の、こういった種類の絵を描く人にとっては、
このポゴレリッチの音楽に大いに共感できるものなのかもしれない。

今の自分には、なぜこれらの芸術家達が「デフォルメ」という書法を
使用するのかを、深く理解・共感することは残念ながらできない。

だから、今の自分にはポゴレリッチのデフォルメされたラフマニノフを
共感することはできなかった。
まぁもしかすると、「デフォルメされた音楽」であったかもしれないことを
理解することは、少々出来たのかもしれない。

つづく

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ショッキングな音楽会 | トップ | (つづき2)ショッキングな音楽... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。