商業主義の蔓延る前と後でクラシック音楽演奏の在り方が変わってしまったと、最近考えています。音楽の存在意義・人の思いを音に乗せて表現する、その第一義よりも商業主義が大事となって、演奏は萎縮してしまっているのではないだろうか?そして道をはずれ、表現の技法が歪曲されている気もする・・・
音楽をする人々の心が無くなってしまった!ことは無いでしょう!それにしても、商業主義のもたらす影響は、人々の心に引っかかって、健全な演奏が出来ることを阻んでいるような気がしてきました。商業主義の価値観に左右されない、健全な音楽の在り方を心掛け、日々の音楽生活を進められたらと思います