ちょっと以前から、音楽をする際に「感情を込めて」
という言葉を聞くたびに、なんだか
違和感を抱くようになってきてしまいました。
これは、音楽から感情を排除しようというのでは全くありませんので、
どうか誤解ありませんよう・・・。
では、なにが違和感を抱かせているのか。
感情を「込める」のではなくて、
感情は音楽に「こもる」もの、
そう考えてみたら、なんだか
しっくりしてくる気がするのです。
音楽の奏者、あるいはその音楽を聴く人が、
音楽に自身の心・感情が触れ合うように思える瞬間がありましょう。
(それこそが音楽の存在意義ともいえましょう!!)
それは、音楽に感情を「込める」から起こるのではなく、
理想的な音楽に、我々の心・感情が反応しているのだとは
思われないでしょうか?
「込める」という言葉には主観性が伴うものです。
自動詞といって間違いないでしょうか?
「こもる」というと、これはニュアンスが違ってきます。
他動詞といってよいのでしょうか?
この違いは大きいと、今の自分には思われるのです。
我々のたずさわるクラシック音楽の楽曲たちがあります。
偉大な先人達によって実によく書かれた音楽たちです。
これらの音楽たちは、
奏者が強引に感情を押し付けるまでもなく、
音楽の持っているラインや表情、テンポなどに
演奏を合わせることで、そこに出来上がる「美しい」音楽に
我々の感情は自然と反応してくれるのではないかと、そして
それが音楽と人間との在り方なのではないか?
感情は込めるものではない、こもるもの。
主観的な狭義の個人の趣味に甘んじない普遍的境地を目指す
ひとつの大事なキーワードになるのではないか、なぞと
もんもんと考えたのでした。
…………………………………………………………………
より多くの方々と音楽の面白さを分かち合いたく思い、
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…………………………………………………………………
・・追記・・
もちろん、
我々人間は、生きている限りで
個人であることを完全に脱することはありえないでしょう。
個人を完全に逸脱するということは、
現世に生きるこの身体との離別を意味し、
それは少なからぬ「死」そのもの。
よって、普遍の境地に到達するということは
理想でしかないのですが、しかし理想無くして、
我々の精神は日常を生き抜く心の糧を
得ることもできないのではないでしょうか。
ここに、
音楽を通して、理想を追い求めてみようと
そこに力を費やしてみようとすることは、
あながち遣り甲斐のないことではないと信じたいものです。
という言葉を聞くたびに、なんだか
違和感を抱くようになってきてしまいました。
これは、音楽から感情を排除しようというのでは全くありませんので、
どうか誤解ありませんよう・・・。
では、なにが違和感を抱かせているのか。
感情を「込める」のではなくて、
感情は音楽に「こもる」もの、
そう考えてみたら、なんだか
しっくりしてくる気がするのです。
音楽の奏者、あるいはその音楽を聴く人が、
音楽に自身の心・感情が触れ合うように思える瞬間がありましょう。
(それこそが音楽の存在意義ともいえましょう!!)
それは、音楽に感情を「込める」から起こるのではなく、
理想的な音楽に、我々の心・感情が反応しているのだとは
思われないでしょうか?
「込める」という言葉には主観性が伴うものです。
自動詞といって間違いないでしょうか?
「こもる」というと、これはニュアンスが違ってきます。
他動詞といってよいのでしょうか?
この違いは大きいと、今の自分には思われるのです。
我々のたずさわるクラシック音楽の楽曲たちがあります。
偉大な先人達によって実によく書かれた音楽たちです。
これらの音楽たちは、
奏者が強引に感情を押し付けるまでもなく、
音楽の持っているラインや表情、テンポなどに
演奏を合わせることで、そこに出来上がる「美しい」音楽に
我々の感情は自然と反応してくれるのではないかと、そして
それが音楽と人間との在り方なのではないか?
感情は込めるものではない、こもるもの。
主観的な狭義の個人の趣味に甘んじない普遍的境地を目指す
ひとつの大事なキーワードになるのではないか、なぞと
もんもんと考えたのでした。
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・・追記・・
もちろん、
我々人間は、生きている限りで
個人であることを完全に脱することはありえないでしょう。
個人を完全に逸脱するということは、
現世に生きるこの身体との離別を意味し、
それは少なからぬ「死」そのもの。
よって、普遍の境地に到達するということは
理想でしかないのですが、しかし理想無くして、
我々の精神は日常を生き抜く心の糧を
得ることもできないのではないでしょうか。
ここに、
音楽を通して、理想を追い求めてみようと
そこに力を費やしてみようとすることは、
あながち遣り甲斐のないことではないと信じたいものです。