ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

バイク

2007年08月18日 | Weblog


昨日書いた「ロードバイク」、何か違和感があると感
じていたのだが、その理由が分かった。
「ロードレーサー」と本当は言いたかったのだ。
つまり、「マウンテンバイク」のバイクに引きづられ
ついつい「ロードバイク」と言ってしまったのだった。
「バイク」という言葉は、モーターバイクのバイクと
いうイメージが強い年代からすると、最近のそれらの
言葉はよくごっちゃになり、どれがどれを指すのかちょ
くちょく分からなくなる。

ここでちょっと整理すると、「マウンテンバイク」の
モーター版は「オフロードバイク」或いは「トライア
ルバイク」ということでいいのか。
「ロードレーサー」に対してモーター版は「ロードレー
サー」。
あれっ、同じでいいのか。
それで改めて調べてみると、「ロードレーサー」は自
転車、モーターバイク両方で使う言葉だった。
それと、違和感を感じていた「ロードバイク」という言
葉、ちゃんと存在していた。
何のことはない「ロードレーサー」と同義語だった。
つまり「マウンテンバイク」に対しての「ロードバイク」、
決して間違いではなかったのだ。
新語であるということなので、ちょっと混乱してもしょ
うがない、ということでした。

で、そのモーターの方の「ロードレーサー」だが、実
は以前、そのタイプのモーターバイクに乗っていた。
ヤマハの「RZ350」という、2サイクルの加速がか
なり良いバイクで、すっかりそのスピードに魅了され
馬鹿みたいに飛ばしていた(そんな時期がありました)。
バイクの魅力はなんと言ってもスピード。
一般的に言って、命が補償されているジェットコースター
(極まれに違う時もあるが)で、あれだけ大喜びして
いる人間が、命が補償されてないバイクが楽しくない
わけがない。
ジェットコースター(個人的には好きではない)の何
十倍かの興奮が味わえるのだから。
陶酔感といっても良い。
多分その瞬間はドーパミンでまくりだと思う。
バイクとは「陶酔製造装置」である。
要するに「危険なオモチャ」ということです。

体感するものなので、乗る前には自分自身のスピード
に対する感度、つまりスピード狂の要素が認識できな
い。
乗って初めて分かるという、その自分自身の未知の部
分が厄介なのだ(体験談)。
何度となく、死にそうになってもまた同じことを繰り
返す。
結局死ぬまで分からないのか。
と思っていたが、ある時その死の恐怖心が、快感より
数倍ふくらみ、その時点でバイクに対する興味が見る
見る内にしぼんでいった。
きっかけは、高速道路を全開で走ったことだった。
何度かやってはいたが、その時もメーター表示の限界
180キロで走っていて、完全にトリップ状態。
このスピードだと、高速道路のコーナーでも結構車体を
倒さないとならない。
車体を揺らしながら(自然にゆれる)身体を地面に近
づける。
道路の表面が顔面にせまる。
スローモーションのように風景が流れる(この部分ちょっ
と修飾)。
ここで転んだら即死だね、と他人事のように考えてる
自分がいる。
「バニシングポイント」なんて映画があった。
消失点とはこういうことか。

結局、この体験がバイクを降りたあと何度も蘇り、冷
静に振り返るという機会を同時に何度も与えることに
なった。
というわけで、これからは自転車だね。
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