それにしても「秋葉原の通り魔殺人」はひどい。
誰もが巻き込まれる可能性があるので、他人事として
は考えられない恐さがある。
この手の事件は、その異常性から、何故そんなことが
起きるのかと、いろんな分析が行われどうにか論理的
な因果関係を導き出そうとするが、そういうのはあま
り意味がない。
それは、どんな時代にも起こりうる、客観的な理由な
ど見出せない事件だから。
社会の歪みが生み出すとか、抑圧された人間の不満が
ベースにあり、それを解決する方法がこの事件だった
とか、或いは、歪んだ欲望が形を変え表出したとか、
いくらでも説明は出来る。
今回は本人も言っているように、社会に対する復讐の
気持ちが強いのかもしれない。
そういう気持ちそのものが、すでに問題だとすると、
世の中犯罪者だらけではないだろうか。
想像の世界でだったら、マンガとか映画でいくらでも
行われている。
そして、それらが受け入れられているという現実は、
如何に意識の中にそういう気持ちを抱え込んでいるか
という証明ではないか。
実際にやってしまうのとは、大きな差があるが。
テレビのキャスターが尤もらしい顔をして「全く考え
られない」などと正しいことを絶対言うはずだが、む
しろ、必ず起こりうることであるし(アメリカなら銃
乱射)、社会はこういう人間を生むという現実を認識
するべきだ。
しかし、犯人は絶対許せない。
そんな事件があっても、その後のニュースは水泳の記
録ラッシュについてだ。
つまり、これが現実なのだ。
いくら、凄惨な事件があっても、当事者以外は瞬間に
切り替え、「オリンピックでメダルを狙うならやはり
スピードだよね」と本気で考える。
そのニュース価値は下手をすると水泳の方が上なのか
もしれない。
「通り摩殺人」よりは「スピード」。
結局、そんなもんである。
この一年を通してみれば、多分、「通り魔殺人」の衝
撃よりは「オリンピックの感動」の方が上回る。