小学生の知識調査で、明治の歴史上人物が何をした人
か答えさせるというのをやったが、それによると、「木
戸孝允」「大隈重信」の正答率が悪かったらしい。
確か、20パーセントくらいだったような。
この数字が低いかどうかは、何とも言えないが、同じ
問題を大人に出した時にどうなのかというのが非常に
興味あるところなのだが。
と、いかにも自分は大丈夫であるかのような言い方だ
が、実は、この二人、名前だけは知っているが、一体
何をしたのかは具体的には理解していない。
「大隈重信」は早稲田の創設者としてしか知らない。
「木戸孝允」に至っては、幕末の頃活躍した人程度の
認識である。
例えば、「新撰組」とか「坂本竜馬」などに興味があ
れば、テレビ、映画を通して知識を得られるだろうが、
その手のものに興味がなく、学校で教えられた当時以
後新たに得たということがなく現在に至っているわけ
だ(だから忘れる一方)。
当然、それに関する本など読んだこともなく、心もと
ない知識レベルである。
ひょっとしたら、小学生と同程度かもしれない。
昔から歴史が駄目なのは一貫している。
「日本史」で赤点をもらったこともある(自慢にはな
らないが)。
蝶の名前は覚えられても、人物の名前、年号を覚えら
れないというのは、如何に興味をもてなかったかとい
うことの証左である。
興味のないことを覚えられないというのは、もう、絶
対的な原理であろう。
よく言われる、「歴史は浪漫である」というのも、全
くピンと来なかったし、「歴史大河ドラマ」も好きで
はなかったし、この点に関してはやはり一貫している
(自慢にはならないが)。
今だったら、「歴史は浪漫である」などといわれれば、
「当たり前だ、誰かが作った物語なんだから」などと
厭味の一言も言いそうである。
しかし、今でも「大河ドラマ」を見る気にはならない
が、歴史全体の流れを知るのは重要であると思う。
何か出来事、或いは作品に興味を持った時、その歴史
的背景を知っているかどうかは、そのものに対する理
解の深度を左右する。
知っていたほうが、間違いなく興味は増すのである。
知るに越したことはないということだ。