今年初めてか、久しぶりに愛車のロードレーサー(一時はツール・ド・フランスを目指していた、というのは勿論嘘)に空気を入れ、川沿いの土手や旧道沿いのアップダウンを走ったらその喉の乾くこと。真夏の日差しは強烈だ。飲んだものを並べると、アクエリアス(1L)、キリンFREE2缶、Volbic(500cc)。それにしてもよく飲んだものだし飲めるものである。お陰で食欲もなくなった。
多分、ずっと走ってたほうが楽だったと思うが、途中水辺は観察がてら自転車を押して歩いていたので、それが効いたのだと思う。水辺は反射光もあるので、日射の強度が増す。その過去何度も走っている土手であるが、改めて歩いて観察すると、今まで気づかなかったことに気付かされる。去年辺りからトンボ視点が強まってるので当然トンボ中心になるのだが、今回ある川にいたトンボは、去年までだったらどこにでもいる「シオカラトンボ」で済ませたものである。それは「コフキトンボ」(写真)というものであるが、少年時代にもいたものが今になってやっと認識されるわけだから、考えようによっては今までこの「コフキトンボ」は存在してなかったというのに等しい。まあコフキトンボにとっては、人間が勝手につけた名前で当人にとっては名前があろうがなかろうが存在していたわけだから、どうでもいいことであるが。
そんな「コフキトンボ」、「シオカラトンボ」とどこが違うかと言われそうだが、まず塩の吹き具合が違う。その差は微妙な色と模様の違いとなって現れる。それと姿。コフキトンボの方が猫背である。止まり方もコフキトンボは摘んだような止まり方をする。これが慣れてくると一見しただけで判るから、あら不思議。しかし、数は多かったが敏感で、一メートル以内には接近できなかった。オオシオカラトンボなどは、人の頭にも止まりたがるが、同じような外見でどうしてこうも差が出来るのか、こんなところも、数が減る増えるに関係してくるのかも知れない・